【連載】ブルプリ/Stage10『雨と少年』

  • blueprism10 2019/09/20 23:00

     ルアムが街で、泣いている少年を見かけたのは、大雨の日だった。
     人種混合地区とはいえ、アゼルが多いこの土地で、エジャンの彼は目立つ。通り過ぎていく人々は遠巻きに見ているが、ルアムにはそれが出来なかった。しゃがんでいる彼にそっと傘を差し出して、自らも屈む。
    「どうした?」
     少年が顔を上げ、ルアムを見た。思っていたより幼い少年の、可愛らしい形の唇が戸惑ったように動く。
     やがて、彼はなにか喋ったが、ルアムには速くて聞き取れなかった。エジャニーム語だ。
    「あー……」
     ルアムは、たどたどしいエジャニームで、ゆっくり喋る。
    「もうちょっと、喋る速度を落としてくれないか? 私の言っていること、わかるなら頷いてくれ」
     こくり。
     少年は頷いて、ゆっくりと話し始めた。
    「おにいさん、エジャニームがわかるの?」
     弱った。ルアムはエジャニームで話しかけたことを後悔した。実は殆ど喋ることなど出来ない。
    「悪い。出来ればアザセール語か、世界共通語だと助かる。エジャニームは殆ど喋れない」
     こくり。
     少年は頷いて、しばらく考え、言葉を発した。
    「じゃあ、せかいきょうつうごで。オレ、ヘタクソだけど」
     この歳で二つの言葉を操れるのか。えらく利口な子だ。ルアムが感心する。
    「……かえるとこ、なくなっちゃって」
     少年が、ポツリと呟いた。
    「何故?」
    「……」
     喋りたくないのだろう。再び下を向いて、口をつむぐ。
     誰だって、言いたくないものはある。
     ルアムはそう思いながら、手を差し出して提案した。
    「うちに来るか? 雨が上がるまで」
     少年はその手を取った。

     ********

    「あめ、やまないね」
     ルアムの部屋から、下着姿の少年が外を覗く。外はすっかり暗くなっていて、今日中には止みそうにもない。
     少年の身体を温めるために、シャワーを浴びさせたが、彼の着れそうな服はなく、仕方なく、下着だけにさせてしまった。
    「茶を入れたぞ。飲むといい」
     その彼をあまり視界に入れないように、ルアムがテーブルにカップをおいた。
    「ありがとう。おにいさんは、のまないの?」
    「私は仕事があるんだ。今からが一番やりやすい時間だし」
     そっけない態度で、ルアムは書斎机に向かう。
     少年は持ったカップに息を吹きかけながら、そちらをずっと見ていた。タイプライターの打鍵音が響く。
    「……なんのおしごと?」
    「小説家」
    「なんてペンネームなの」
    「言ったってわからんだろう。売れてないからな」
     その言葉に、少年はムッとした様子で言い返す。
    「オレ、けっこう、ほんよむよ」
     その言葉に、ルアムは打鍵しながら返す。
    「……SFは?」
    「だいすき」
     そうか。ルアムは一瞬だけ戸惑って、ペンネームを明かす。
    「デザー・ミルフェってペンネームで書いているんだ。知らないだろう」
     その瞬間、少年の目が輝いた。
    「おにいさん、デザー・ミルフェなのっ? さいきんのしんじんさっかで、オレのいちばんのおきにいりだよ!」
     ルアムがビックリして少年を見る。
     少年は続ける。
    「いせいじんとしょうじょのやつ、すっごくおもしろかった!」
    「発行部数もそんなに多くないだろうに、お前本当に読書家なんだな」
     えへん。少年が胸を張る。
    「それ、じかいさく?」
    「これは売らないやつだよ。正確には、売れないやつ。ボツにされてな」
    「じゃあ、なんでかいてるの?」
     少年の問いに、ルアムはうーんと考えて答えた。
    「私は気に入ってるんだ。だから、仕事の合間に、息抜きとして書いているんだよ」
     ふーん。
     少年は冷ましたお茶を飲む。
    「んー。これにがい」
    「極東のお茶だ。嫌ならジュースでも出してやる」
     ルアムの言葉に、少年は子供扱いされたと思ったのだろう。いらない、と言ってお茶を飲み干す。
    「飲んだのなら眠れ。明日には晴れるだろう」
     ルアムの言葉に、少年は立ち上がって腕を広げた。
    「……なんだそれ」
     訝しがるルアムに、少年が首を傾ぐ。
    「あれ? ねむるんでしょ?」
    「だから、なんだ?」
    「なんだって……えっちするんでしょ?」
     その言葉に、ルアムはポカンと口を開けた。
    「お前は何を言っているんだ」
    「だってオレ、しなきゃねむれないし」
     ルアムは頭を殴られたような衝撃を受けた。
     この子の保護者はなにを教え込ませているんだ。
    「あのなお前……」
     少年は、お説教をしようと立ち上がるルアムのところに行き、抱きついて唇を奪った。
    「おまえじゃない。アルト」
     アルトはそう言って、ルアムを押し倒した。

     ********

     ベッドの中で、白濁に汚れたアルトは満足気に息を吐いた。甘くて切なそうなそれは、男を誘うときのものだった。
    「まるで悪夢だ」
     ルアムがごちると、アルトは不思議そうに訊く。
    「ん、おにいさん……。もしかして、はじめてだった?」
    「初めてだ。悪いか?」
     気分を害したように言うルアムに、アルトは、ううん、べつに。と手を振った。
    「ただ、ね?」
     この、子供の形をした小悪魔は、寝返りを打って視線を流す。
    「デザー・ミルフェにシてもらったのって、いまはせかいじゅうさがしてもオレだけなんだなって……うれしかっただけ」
     ルアムが微妙そうな顔をする。彼はしばらく考え、その呼び方はやめてくれ、とポツリと言った。
    「私は私だ。そのペンネームは兄の幼名から取ったものだし、お前に呼ばれるのはあまり気分のいいものじゃない」
     わかった。
     アルトはそう言って、横たわっているルアムに跨がり、
    「おにいさん……もっかい、シよ……」
     彼の唇を奪った。

     ********

    「あめ、やまないねえ」
     タイプライターを打っているルアムに向かって、何かを持ったアルトが話しかけた。
     時刻は朝の10時を回っている。
    「雨季に入ったのかもしれんな」
    「うき、かあ。でも、ちょうどいいや。あめがあがるまで、ってヤクソクだもんね?」
     アルトが持っているものをテーブルに置く。いい匂いがして、ルアムは振り返った。
     少年がテーブルに置いたものは、美味しそうなパスタだった。
    「……それ、お前が作ったのか?」
    「うん、ごめんね。キッチンかりた」
     彼はそう言って席につき、たべよ、とルアムを誘う。
     ルアムは誘われるまま、席についた。そして、手で十字を切る。
    「……いただきます」
    「いただきます」
     フォークにパスタを絡めて、口に運んだルアムは、
    「!」
     軽く声を上げて、ガツガツとかきこみ始めた。
    「おいしい、の、かな?」
     空になった皿を置き、水を煽って、ルアムが息を吐いた。
    「……」
     手を伸ばされ、アルトがビクッと震える。
     ルアムはそれに少し戸惑ってから、この少年の頬を撫でた。
    「こんな旨い飯、久しぶりに喰ったよ。ありがとう」
     アルトはその手に自らの手を添えて、頬を染めて笑う。
    「どういたしまして!」
     ルアムが口を拭きながら聞いた。
    「ずいぶん手慣れた様子だが、いつも作ってるのか?」
    「ん? ううん、いつもはおとうとが」
     弟。
     彼の弟ということは、少なくとも彼より年下だ。なのに、炊事をするとアルトは言う。
     妙な兄弟だ。
     ルアムのその心を読んだかのように、少年が言う。
    「オレ、バヨナにかかってるから、みためよりもずっととしうえだよ。ふたごだから、おとうとのほうがうまれたのはやいし……」
     なるほど。
    「それは悪かった。見た目通りの年齢だと思ってたよ」
     いや、しかし。
     ルアムが少しだけ笑う。
    「お前の飯は旨いな」
    「ほんとっ? じゃあ、かせいふさんとしてやとってよ!」
     アルトのその言葉に、うーん。とルアムが考える。
    「……まあ、考えておく」
     ルアムはそう言って、食器を流しに置いた後、再びタイプライターに向かい始めた。
    「……」
     ぎこちない手つきでフォークを操るアルトは、そんなルアムをじっと見つめる。
    「……おにいさん、さ」
     パスタをくるくると巻きながら少し不安そうに話しかけてくる少年には見向きもせず、タイプライターを打ちながら「なんだ」と訊くルアム。
    「ごはん、ほんとうにおいしかった?」
     愚問だな。思いつつも、ルアムは答える。
    「なにも思い入れのないお前におべっかを使うほど、私は気遣いができる人間じゃない」
     言葉こそぶっきらぼうだが、その声のトーンは優しい。
     アルトはそれを聞いて、心底ほっとしたように息を吐いた。
    「オレさ。ごはんつくったの、これがにかいめなんだ」
     その言葉に、ルアムが思わず振り返る。
     あり得ない。
     確かに、プロの料理ではない。そこまで洗練されている味とは言えない。
     だが、家庭料理として見るならば相当にレベルが高い。二回しか作ったことのない者が出せる味ではない。
    「……きのう、みようみまねでつくって、おとうとのかえりをまってたんだ」
     ぽつり、とアルトが話し出す。
    「おとうとがかえってきて、それをみつけたら、ひどくおこりだして……」
     かちゃり、とフォークを置いたアルトは、膝の上にこぶしを載せた。
    「そんなことをするアルトなんか、だいきらいだって……」
     少年が俯く。テーブルの上にいくつか雫が落ちた。
    「ほめられなくてもべつによかったんだ。でも、なんでそこまでいわれなくちゃいけないんだろうって……」
     ルアムは大きく息を吐いた。弟の言い分を聞いていないが、アルトに落ち度は見られない気がする。
     タイプライターを打つ手を止めたルアムは、少しだけ戸惑い、それから、俯いて震えている少年の背を撫でた。
    「……雨が上がるまでだ」
     アルトは小さく、うん、と返事をする。
    「わかってる。あめがあがったら、でてくよ」
     ルアムが彼の背を撫でながら、そうじゃない、と言い返した。
    「雨が上がるまで、考えるといい。よく考えて、それでも帰りたくないのなら、それはもうしょうがない。そうしたら、雇ってやる」
     アルトがルアムを見た。ああ、やはり泣いていた。ルアムは思って、彼の涙を拭ってやる。
    「私も、旨い飯は食べたいからな。強制はしないが、お前がいてくれたほうが助かるよ」
    「……うん。ありがとう、おにいさん」
     ルアムは腰を折って、少し笑った少年に口づけた。

     ********

    「あめ、やまないねー」
     配達員から手紙を受け取り、戻ってきたルアムに、アルトがのんきな声で言った。
    「そうだな……。ん?」
     封筒の蓋を剥がしたルアムは、それまで気にしていなかった差出人に気づいた。出版社からだ。
     中から出てきた紙には。
    「……『重版』」
    「じゅうはん!」
     アルトが目を輝かせてルアムに駆け寄る。
    「すごいね、おにいさん!」
     ぽかんとしていたルアムは、そう言われてやっと実感したようだ。
    「は、ははは……!」
     少し情けない笑みと共に、ルアムはアルトを高く抱き上げた。そうしてその場でぐるぐると回ると、今度は強く抱きしめる。
    「お前、幸運を運んできた天使なんじゃないか?」
    「うーん。それはちがうとおもうけど」
     どうでもいい。ルアムがアルトを撫でながら言う。
    「私にとっては、お前は天使だ」
     言われたアルトは、少し戸惑い、ルアムを抱きしめ返した。それから、彼の背中を撫でながら微笑む。
    「きょうはごちそうつくらなきゃ」
    「私の好物にしてくれ」
    「うん。なにがすきか、おしえて」
    「極東の、『肉じゃが』という料理が好きだ。具はカレーに似ている。それと、米を炊いたものを一緒に食べたい」
    「つくれるかなあ」
    「レシピは持っている。それに、お前が作ったものなら、間違いないだろう」
     ずいぶんしんらいしてくれてるんだね。
     アルトが嬉しそうにすると、ルアムが少し恥ずかしそうに目を背け、アルトを離した。そして、本棚をガサゴソと探ると、小さな紙切れと原稿の束を持ちだし、紙切れのほうをアルトに渡す。
    「レシピはこれだ。作っておいてくれると嬉しい。私は出掛ける」
    「いいけど、どこに?」
    「持ち込みだ。新人なんでな。魔宝石加工師も掛け持ちでやっているくらい、食べれないんだよ」
     アルトはそっか、と短く言って、レシピを確認した。
    「おうちにあるものでつくれそう」
    「そうか。楽しみにしてる」
     そう言って、ルアムはアルトを置いて部屋を出ていった。
    「はりきってつくらなきゃね」
     家事に勤しんでいるアルトの元に、ルアムが帰ってきたのは日が落ちてからだった。
    「おかえりなさい。にくじゃが、できて……」
     そのアルトの口を、ルアムは唇で塞ぐ。
     そして、その場でアルトを押し倒した。

     ********

    「私を軽蔑しろ、アルト」
     自分の隣で息を整えている少年に、ルアムはそう吐き捨てた。
    「なん、で……?」
     とろんとした、潤んだ瞳で青年に問うアルト。それを見ずに、ルアムは続ける。
    「お前にこんな形で八つ当たりした。最低だ、私は」
    「やつあたり……?」
    「……まるでダメだとさ。人格まで否定された。私は人の心が分かっていないと。だから、異星人の心が上手く書けたんだろうとな」
     彼は更に続ける。
    「私の意思でお前を抱けば、人の心が分かるだろうなんて……そんなことを思うから……だから私は」
     その後の言葉が出ないのだろう、ルアムの喉が詰まる。
    「さい、ていだ……私は……」
     やっとのことで絞り出した声は、少し涙で掠れていた。
     少年は、震えている青年に手を伸ばし、その頭を抱く。
    「おにいさんは、すこしきずつきやすいだけだよ」
     だいしょうぶ。
    「ひとのこころがわからないわけじゃない。オレのつくったごはん、おいしいっていってくれるひとが、そんなわけない」
     アルトの胸に顔をうずめたルアムは、そっと頭を撫でられて息を吐いた。
    「……アルト。お前、本当は何歳なんだ?」
    「じゅうよん。あとはんとしで、じゅうご」
    「本当に見た目と大違いなんだな。もうすぐ元服じゃないか」
     ふわりふわりと頭を撫でられながら、ルアムが言う。
    「……お前、まだ帰る気はないのか?」
     頭を撫でる手が止まる。ルアムはそれを感じて、少し身を固くした。
    「かえらない。オレは、あめがやんだら、ちがうまちにいくよ」
     ならば。ルアムは声も固くした。
    「元服を迎えたら……。私と……一緒になってくれ」
    「……」
     アルトからの返事はなく、手は止まったままだった。
     ルアムは続ける。
    「お前が好きだ。……離れないでくれ。私と一緒にいてくれ。私は、お前が」
     きゅ、とルアムの頭を抱きしめて、アルトが問う。
    「……なまえ」
    「……ん?」
     ルアムが返すと、アルトはもう一度問いかける。
    「おにいさんのなまえ、きいてなかった」
     彼は続ける。
    「はんりょのなまえ、しらないとか、ひどすぎるから」
    「……ルアムだ」
    「ルアム」
     高くて甘いその呼び声に、ルアムが顔を上げる。
    「だいすき」

     ********

    「あめ、やみそうだね」
    「デートでも行くか?」
     ルアムの誘いに、アルトはカゴを持って答える。
    「そのまえに、しょくりょうひんのかいだしいってきます! しょくりょう、さすがにつきました!」
    「一緒に行こう」
     その提案に、アルトはストップ!と手を前に出した。
    「ルアムはめききできそうにないし、ぜったいへんなひとにだまされそうだからダメ! ひとりでいってくる!」
     ああ、私は尻に敷かれるな。ルアムはそう思いつつも、この未来の伴侶の様子があまりに可愛らしくて、任せることにした。
    「一人で大丈夫か?」
    「だいしょうぶ。きらいなものはない?」
    「匂いの強いものは苦手だな。パクチーとか」
    「にんにくは?」
    「アレは平気。……て、精つけてどうする」
     少し意地悪く言ってみると、少年は頬を染めた。
    「えっちしてもらおうかなって」
    「原稿ではないのか」
    「もちろん、げんこうもかいてもらいます! オレ、こじんてきにデザー・ミルフェのファンだし」
     性的な発言よりも、そちらのほうがよほど効くのだろう。ルアムの顔が真っ赤に染まった。それを見て、アルトはえへへへへ、と笑う。
    「かえってきたら、デートしよ。どこがいいかなあ、としょかんとか、ステキかも。じゃあ、いってきます!」
     そう言いながら、スキップするように部屋を出ていったアルト。
     飛び出していく彼を窓から見て、ルアムが微笑み、そのまま空を見上げた。
    「ああ、本当に雨が止みそうだ」

     そして、そのまま、アルトは二度と帰らなかった。

     ********

     失意のうちに、ルアムはその部屋を引き払い、アルトを探す旅に出た。
     旅の中、書いた原稿の数々は様々な出版社から出され、いつの間にか大作家と呼ばれるようになっていたが、心は満たされることがなかった。
     アルトに愛想を尽かされたのかもしれない。幾度となく頭をよぎったが、最後に見た嬉しそうな彼は本物だと言い聞かせ、自分を奮い立たせた。
     再会は突然だった。
     旅の途中で見かけたアルトは、何一つ変わることなく、誰かと一緒に歩いていた。
    「アルト!」
     声を掛け、人混みをかき分ける。
     腕に手が触れた。そのまま抱き寄せる。
    「……お前、誰?」

     それが、アルトの第一声だった。