【小説】オリジナル/R刻番外編/甘い香りは誰が香り


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隣で眠っていたリノにそっと口づけ、アルトは起き上がった。窓からの太陽の光が、リノの白い肌を照らしている。
「……」
アルトはもう一度、リノに口づけた。甘い香りが、彼の鼻腔をくすぐる。リノの匂い。同じ石鹸を使っているのに、何でこうも匂いが違うのか。考えながら、リノの髪を手で梳く。梳くたびに、甘い香りがふわふわと漂う。
「……リノ」
十九になるちょっと前まで、名づけられなかった彼に、この名で呼んでも返事をしないときがある。それを悲しいと思いながら、何も出来ない自分が腹立たしい。
「R1……か」
「なんですか?」
寝ぼけているのだろう、彼が敬語で返す。
「寝ぼけてるのか? 呼んだんじゃない」
「……はい」
あくまでも他人行儀なリノに、少し頭にきて、耳をぎゅっとつねってやった。
「イタッ……。アイダさん、なにを……」
「誰がアイダさんだ。オレはアルトだ!」
「……アルト」
リノがガバッと起き上がった。だが、目はまだぼんやりしていて、アルトを視界に捕らえきれていない。
「……アイダさんの夢でも見てたのかよ」
「えっと、その……」
「それとも、あの人と一緒に眠ったこともあるのか?」
「……うん」
リノがベッドから立ち上がり、クローゼットを開け、着替え始めた。
「……しょっちゅうだった、そんなこと」
彼はそういいながら、長袖Tシャツを取り出した。
「本当なら、ボクは研究者の個人スペースには入っちゃいけなかったんだけどね。アイダさんはそんなこと、気にしてなかった」
「……悪い、思い出させたな」
ううん、と言いながら、部屋着のボタンを外し始めるリノ。アルトも着替えようとして、クローゼットに近づいた。
長袖Tシャツを頭から被り、整えるリノの瞳は、どこか悲しげで、アルトは視線を逸らした。視線を逸らすしかない自分を、心の底から軽蔑しつつ。
「……アルトは、ボクの過去を知りたい?」
その声で、彼は声の主を見つめなおした。凛とした視線は、決意と戸惑いとを秘めて、彼だけを見つめている。
「……」
知りたい、全部。
そう言いたい。リノの過去を、苦しみも悲しみも、全て二人で背負っていきたい。
しかし、彼を知ることが怖かった。知ってしまえば、後戻りが出来なくなる。きっと、目を覆いたくなるような事実だってあるだろう。アイダとの関係だって、氷山の一角に違いない。アルトには、まだ覚悟がなかった。彼の過去、全てを許す覚悟が。
顔を伏せた。それしかなかった。そして、そうした自分を恥じた。
「……ボクは、悪いニンゲンだ。だって……」
訊いてないのにポツリと言う、その口を押さえたかった。
聞きたくない。
それも言えないまま、着替え終わったアルトは立ち尽くす。そして、話を逸らそうとした。そういえば、さっきからタバコの匂いがする。
「タバコの匂い、しないか?」
「タバコ……。タバコって?」
「ほら、煙たいだろ? これだよ」
この匂い……と、リノが嗅いで、寂しそうに笑った。
「これは、アイダさんの匂いだよ」
彼が引き戸を開ける。
すると、サクラとアイダがテーブルについて、談笑していた。
アイダは二人に気づくと、吸っていたタバコを消した。
「サクラさん、アイダさん、おはようございます」
リノが丁寧に頭を下げる。
「おはよーっす」
アルトは適当に手を上げて挨拶した。
「おはよう。よく眠れたか?」
「いつもどおりっすよ」
それより、とアルトが笑う。
「アイダさん、タバコ吸うんだ。知らなかったよ」
「ああ、結構吸うほうだ」
彼はそう言いつつ、コーヒーをすする。
「サクラさん、メルちゃんは?」
「ちょっとお買い物に行ったよ」
「そっかぁ」
アルトがリノを座らせ、自分はその脇に立った。タバコの匂いと、リノの香りが混じる。それを嗅いで、彼はちょっと複雑な気持ちになった。きっと、何度も、この香りがアイダの個人スペースに、残り香として残ったんだろう。彼の個人スペースに、リノを奪還するために突入した、あの時は気づかなかったが、気づかなくてよかった、と心から思った。気づいていたら、正常な心ではいられなかっただろう。
「相変わらず、その香りがするんだな、リノは」
アイダが懐かしむように笑った。それすら、アルトの心を痛めた。
しかし、次の言葉が出た瞬間、彼の心の中には、痛みなどなくなっていた。いや、別の意味で痛みはしたが。
「その香りは、妹たちが好んだ香水のそれと似ているよ」
知らない。
アルトは、自分の遺伝子上の母親を知らない。
リノも、メルも同じだ。
まだ、自分とメルはいい。仮の母とはいえ、愛情を受けて育ってきたからだ。しかし、リノは違う。ヒトの温もりなど知らないまま、この年まで育った。その寂しさは、どれくらいのものだったのだろう。アルトには計り知れない。
「……今思えば、あの年で香水を使うなんて、マセているがな」
「理央ちゃんと理香ちゃんか。懐かしいな」
そうか、お前は顔を合わせたことがあるか。アイダはそう言って、新しく取り出したタバコに火を点けた。
「いい子たちだった。つくづく、あの実験を恨むよ」
彼はそう言って、紫煙を吐いてから、隣にいたリノの肩をとん、と叩いた。
「イイダとゆっくり話をしたいんだ、席を外してくれないか。アルトも」
言われるまま、リノは立ち上がった。そして、アルトに行こう、と短く言い、玄関へと歩いていく。リノから誘うことは珍しいと思いつつ、アルトも振り返りながらそれに続く。
外は寒く、先ほど晴れていたのに、曇ってきていた。そんな中、リノが渡り廊下を無言で歩く。彼は、普段は歩幅が小さく、ちょこちょこ歩くが、今日に限って、歩幅が大きく(足が長いので、これが本当の歩幅だろう)、ずんずん歩く印象だった。そんな彼を、少し駆け足気味でアルトが追う。
階段も二段飛ばしで降りていき、公園へと続く道を一直線に歩いていく。
「おい、待てよ!」
その声で、リノはようやく止まり、下を向いた。地面に、雫が落ちる。
「……アルト」
振り返る彼は、寒さで頬を赤く染め、涙をぽろぽろと流し続けていた。アルトが駆け寄り、彼の手を握る。
「……ボクは、……ボクたちは、生まれないほうがよかった?」
「そんなことない」
すぐに否定するが、リノはしゃくりあげながら続けた。
「だって、力があるせいで、ボクたちのお母さんたちは死んだんだよ」
「それとオレたちが生まれたのは関係ないだろ」
「アイダさんが可哀想だって、アルトは思わないの?」
思うさ。
アルトが続ける。
「アイダさんは可哀想なヒトだ。いつまでも、リオさんとリカさんの幻影を追い続けて、お前に……実の甥にまで、手を出したんだからな。だけど、それを言うなら、お前だって可哀想だ。母親たちの代わりにされて、母親たちの死に心を痛めて……。それが現実だ。そうだろ?」
髪をくしゃっ、と撫でて、アルトはにっと笑う。
「公園行こう。公園行って、二人でクレープ食おう」
そう言って、リノの手を引っ張り、クレープワゴンの方向へ引き返す。
クレープワゴンの中には、あのお姉さんがいた。
「あ、キミたち。また来てくれたの?」
「はい、美味しかったんで」
アルトがそう言いながら財布を出す。
「今日は何にする? あ、今日から期間限定でね、フランボワーズレアチーズ味っていうの始めたのよ。自信作! 期間中にぜひ食べて欲しいな」
アルトがメニューを見ると、確かに、ラミネート加工した別紙に、『NEW!』とでかく表示があり、美味しそうなクレープの写真があった。この前から思ってはいたが、ここのクレープワゴンは、メニューの写真がやたらめったら美味しそうだ。全種類制覇したくなってくる。いや、ここの店の名誉のため言っておくが、クレープ自体もとてもウマい。
「あ、じゃあ、それ二つ」
「はーい」
お金を払い、クレープを二つ受け取ると、リノに声をかけて、公園へと歩き始めた。リノが後ろからついてくる。いつも通りの格好だ。
公園に辿り着いたが、人っ子一人いない。だが、今の自分たちには相応しいだろう。そう思い、この前のベンチよりも奥の、道路からは木陰に隠れて見えないベンチに座る。
「ほら」
彼にクレープを渡すと、少し笑って受け取り、アルトの隣に座った。そして、出来立てのクレープにかじりつく。
「おいしいか?」
「ん、おいしい」
頬についたフランボワーズソースをぬぐってやると、リノがポツリ、と話し始めた。
「……ボクね、アイダさんに何度もされたけど、そのことなんとも思ってないんだ。おかしいかな。おかしいよね。だからさっき、ボクは悪いニンゲンだ、って言ったんだ」
自嘲気味に笑う彼に、少し驚く。そんな表情が出来たのか、と。思えば、その表情は研究所でも見た気がするが、そのときは、さして気にも留めなかったのだ。
「別に、いいんじゃね?」
けれど、アルトは何となくほっとした。アイダを恨んでいる、なんて聞いたら、彼を嫌いになるかもしれなかった自分を恥じると同時に、そんなこと言う訳ない、何で信じてあげなかったんだ、という思いが強かった。
「お前が気にしてないなら、いいんだよ、それで」
「アルトは、気にしないの?」
「オレはお前が好きだから、少しは気にするけど。でも、オレだって、過去に違うヒトとしてるし。責めることは出来ないし、しない」
「それ、あずささん?」
「あと一人いる、実は」
「……ふーん」
あれ? 訊かないの?
アルトの問いに、リノがぷいっとそっぽを向いて答えた。
「ちょっとヤキモチ妬くから、しない」
「あー……ヤキモチ妬くんだ、お前も」
リノがそっぽ向いたまま、クレープを頬張った。
こりゃあ、そうとうヤキモチ妬いてるな。そう直感したアルトは、黙ってクレープを食べることに徹した。
「……いいもん、今はアルト、ボクのこと見てくれるもんね」
ぽつっと言った言葉に反応して、アルトがぷっ、と噴き出した。リノを抱き寄せ、ネコ毛をわしわしと逆立てるように撫でる。
「当ったり前だろ! むしろ、お前のことしか見てないよ!」
機嫌を直したのか、にっこり笑って、抱きついてくるリノ。
あー、本当に可愛いな。なんで女じゃないんだ、チクショウ。
そんなことを思いながら、髪の毛を撫で続けると、あの甘い香りが漂ってきた。
「あのさ」
アルトがリノを放して訊く。
「香水とか、つけてる?」
「コウスイ?」
ああ、つけてる訳ないか、この世間知らずが。
「じゃ、なんの匂いだ、これ」
「んー……。シャンプーかな」
「オレも同じの使ってるんだけど」
「ボクのと違うと思うよ。ボク、肌弱くて、研究員のヒトたちとは違うの使ってたから」
ああ、そういや、シャンプーとリンスとボディソープ、二種類置いてあったな。アルトが思い出す。
「え、じゃあ、今、大丈夫か? サクラさんち、全部同じだったじゃん」
「ん……。だから、今、全身がちょっと痒いんだ……」
クレープのしっぽのほうを食べ終わって、リノが指を舐めながら答えた。どうでもいいが、ここのクレープは、中身がぎっしり詰まっているので、リノの食べ方だと、先端を食べ終わるころには指がべたべたになる。
「はぁー、おいしかった。ボク、これ好きだな」
「んじゃ、オレのやるよ。食べかけでいいか?」
ありがと!
ニコニコ笑いながら受け取り、クレープにパクつくリノ。
「で、シャンプーとかのメーカー判る?」
アルトが財布の小銭を確かめながら言う。
「ん、書いてあるのが読めないからなー」
「……お前って、何が読めるの?」
ん? とリノが言って、えーっと、と羅列し始める。
「ひらがなと、カタカナと、ローマ字と、数字」
やっぱり、漢字は読めないか。
アルトがはーぁ、とため息をついた。
「いいや。行くぞ」
アルトが、また指を舐めているリノに手を差し出し、立ち上がった。
「えっ、どこに?」
「薬局」
ヤッキョク?
明らかに判っていないリノの手を引っ張り、くずかごにゴミを放り込み、公園を出る。
坂を下り、クレープワゴンの前を通り、大型ショッピングモールの薬局へ。
そこで、
「あれ、アルト、リノ」
薬局の袋を持った、メルに会った。もう片方の手には、メモ用紙を持っている。
「お前、なにしてんの」
思わず、アルトが訊くと、メルが頬をぷっくり膨らませた。
「あ、酷いなぁ。リノのシャンプー類買ってたんだよ。始めっからここ来ればよかった」
彼女がどこ行って、あそこ行って、それでもなくて、とグチグチ言い始めたのを、アルトはチラッと目をやり、頭をぐしゃっと撫でた。
「なーによぅ!」
「ご褒美」
「いらないわよ」
「なにぃ」
いがみ合う二人をまぁまぁ、とたしなめるリノ。
「それより、メルちゃん、ありがとー」
「いいんだよー、リノの為だからね!」
きゃっきゃ、と戯れる姿は、まるで女子二人のようで、アルトは少々居心地が悪かった。そんなアルトに気がついたのか、メルが笑う。
「きゃはは! アルト、リノは男の子だからね。ましてや、あたしがリノを取る訳ないし」
「うっせぇな、そんなこと心配してねーよっ! お前はサクラさんといちゃついてろっ!」
彼がそう言うと、リノが彼の袖口をぎゅっと掴んで、上目遣いに彼のことを見た。
「アルトー……。言いかた酷いよ、メルちゃんに謝りなよ」
「そうだよアルト。言いかた酷いよ、あたしに謝りなさい」
厄介なことになる前に謝るか。少しだけ嫌味を込めて。
そう思ったアルトは、手をひらひらさせながら、早口で言う。
「はいはい、すみませんでした。さっさとウチに帰って、サクラさんといちゃついててくださいな」
ま、許そう。
メルがない胸を張って言い、ショッピングモールの出口へと歩き始めた。男二人も、それに続く。
「アイダさん、そろそろコーヒーのおかわり欲しいよね。早く帰んなきゃ。二人は何しに来たの?」
「あー……。コイツのシャンプーとか買いに。あと、アイダさんに追い出された」
その言葉に、メルがんー、と言葉を濁した。
「あのヒト、色々考えてるからねー。自分がいいヒトになるのが嫌なヒトだし、今回もそれでかな?」
ああ、コイツは心が読めるんだった。
そう思い、メルに、首を傾げて見せて、確かめる。
「ああ。あのね、あのヒト、あたしたちの進学先探してくれてたの。多分、ほぼ決定事項で、ノヴァアカデミーに通うことになると思う」
「ノヴァアカデミー……。蓬田財閥経営の、パワーユーザーの為のガッコウだね」
リノの説明でようやく把握できたアルトは、そっか、と頷いた。
「さーて、お昼も一緒に作っちゃおーっと。なにがいい?」
三人並んで歩きながら、メルが訊いてきた。
「ボク、オムライス!」
リノの無邪気な声に、
「グリンピース抜きな」
と、アルトの苦々しい声が被さる。
「じゃあ、オムライスね。グリンピースは入れます。アルトはリノに食べてもらいなさい」
「えー!」
あはは、と笑い声。
坂道を登っていく三人。
「あ、雪!」
「ホントだ」
「わぁ、初めて見たよ、ナニコレ。綺麗だねぇ、凄いや」
雪が降る中、再び坂を上って行く三人。
この上り坂のように、自分たちの生活も向上していくに違いない。
アルトの心の中には、そんな予感があった。


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