【小説】オリジナル/R刻/Rの刻印


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>>【小説】オリジナル/R刻番外編/決意
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海岸線を走る、白い車。
その後部席で、不機嫌そうに海岸を見つめる少年がいた。
車の少し手前には、目的地の白い建物が、丘の上から顔を覗かせている。
「不機嫌そうだな」
助手席に座っている、サングラスの男が少年に話しかける。
「見りゃ判るだろ」
鏡越しに、男を睨み付ける少年。
頬にかかっている、サラサラの髪の毛は濃紫。切れ目の瞳は右が濃紺、左が鮮やかなエメラルドのオッドアイ。
立ち振る舞いこそ少し無骨だが、シャープな印象がある美少年であることは間違いない。
「なに、お前の遺伝子には興味ない。おおよそ、どこかに欠陥があるのだろうからな」
男の言葉に、少年が褪めた目を海岸線に向けた。
「今のニホンに、お前らみたいな人体実験やってる研究所が、よく存在できるよな」
「言葉に気をつけろ、簗橋有都(ヤナハシ・アルト)。いや……」
男も、鏡越しにアルトを見た。
「R2か」

キキッ。

運転手が、車を止める。
大きな白い建物の前だった。
アルトと男が車から降りて、その建物に向かう。
指紋チェック、IDチェック、持ち物チェックをして、初めて中に入る。
無機質な匂いがした。
アルトの後ろで、鍵が自動的にかかる。
「R2。お前が生まれた場所だ。少しは覚えているだろう?」
「……」
アルトは黙ったままだった。
「答えろ、R2」
「……アルト」
ぽつっと彼が呟き返す。
「……オレはアルトだ。R2なんて、変な名前じゃない」
「外界にいたときは、自由奔放に育てられてきたのだろうが……ここでは規則に従ってもらう。お前の個体識別ナンバーはR2。お前はR1のサポートをするために、ここでR1と生活を共にする。これからは自由はない。いいな?」
アルトの右拳と、両目に光が宿る。
そして。

ガッッ!!

アルトが感情の赴くままに、男の脇の壁を思いっきり殴った。
風が男の頬を掠め、脇の壁には大きな跡がつく。
「ほう、拳にバーストを纏うか。なかなかやるじゃないか、R2」
男はアルトの神経を逆撫でするような言葉を放つ。
「よっぽどこれを食らいたいと見えるな」
アルトの瞳がもう一度輝き……
「食らえッ!!」
キン!
男とアルトの間に入ってきた少年が、その拳を受け止めた。
アルトと同じ配色の瞳が、薄く光を放っている。
「アイダさん、今はパワー相殺スーツ着てないんですから、この人を怒らせるのはやめてください」
アイダ、と呼ばれた男は、少年の髪を撫でた。
「R1。早かったな」
「アイダさんが心配で来ました」
「そうか」
アルトは、信じられない、といったふうだったが、そのあと、もっと信じられない光景を目の当たりにした。
アイダが少年の腹を思いっきり蹴飛ばしたのだ。
壁に叩きつけられる少年。
「余計な真似を」
けほっ、と咳き込む少年をアルトが助け起こした。
「大丈夫か?」
「うん、大丈夫……けほっ……!」
アイダを睨み付けるアルト。
「なにするんだよ! コイツは、お前を助けてくれたんだぞ!?」
「ふん。それがどうした?」
「……このっ……!」
もう一度殴ろうとするアルトを、少年が腕を抱きかかえて止める。
「やめて、R2! ボクは大丈夫だから!」
「R1。R2の教育を頼んだぞ。わたしはもう行く」
「は、はい」
アイダが2人を置いて歩き始めた。
アルトが、少年が抱きかかえたほうの腕をぶんぶん振り回す。
「お前なぁ!」
「ん?」
「反抗しろよ、アイツにッ!」
「ダメだよ、R2。ボクはこの研究所の『所有物』なんだもん」
少年が人好きそうな笑顔を向ける。
アルトは拍子抜けして、少年の顔をまじまじと見た。
ビリジアンブルーの髪は肩すれすれまであり、フワフワしていて触ってみたくなる。
ナンバリングからしても、自分より年上だろうに、丸っこくって優しい瞳は、「人間の汚い部分なんか見てきませんでした」と言っているようにも見えた。
はっきり言って、綺麗な……というよりかは、可愛い顔をしている。
「R2?」
少年が少しかがんで、アルトと視線を合わせた。
……コイツ、オレより背が高いのか。可愛いのに。
「アルト」
アルトがため息をついて自己紹介する。
「なにそれいいなぁ! なになに?」
少年が目をキラキラさせてアルトに詰め寄る。
「名前だよ、オレの。お前にだってあるだろ?」
「ナマエ? ナマエかぁ。……ボクはR1っていうんだ」
「え……?」
アルトが目を見開いた。
彼のその丸っこい瞳が、無邪気すぎて痛かった。
……名前がない、のか?
その一言さえ言えずに。
「でも、それ、欲しいなぁ、ボクも。……そうだ、アルト。ボクのこと、リノって呼んでよ」
「は? 『リノ』? お前、それ……」
女の子の名前だぞ?
その言葉も、無邪気な瞳に負けて言えなかった。
「No.R1って、『ノリ』って読めるでしょ? でも、食べ物と同じなのはイヤだから、ひっくり返して『リノ』。ね? いいナマエでしょ?」
「あ、ああ……。いい名前、だな」
R1……いや、リノがくすっと笑う。
「研究所へようこそ、アルト。案内するよ」

一通り案内されて、最後にアルトが通されたのは、窓のない部屋だった。
「ここがボクたちの部屋だよ」
なるほど、とアルトは思う。
ラグが敷いてある床には、クッションが4つと、テーブルが1つ。
ドアの反対側の壁には、カプセルホテルのように、横穴が上下に2つ開いていた。
これがベッドなのだろう。下の段には、くしゃっと丸まった毛布と、枕が置かれている。
「イイダさんに頼んで、同じ部屋にしてもらったけど、イヤだった?」
「いや、構わないけど?」
……ただし、お前の貞操が危ないけどな。
そんなことを、ニコニコ笑っているリノを見ながら思う。
「イイダさんて?」
アルトが聞く。
「ボクに一番優しくしてくれるヒト」
嬉しそうにリノが話す。
……いいなぁ、ソイツ。リノの笑顔、今まで独り占めしてたのかな。
アルトは少し、『イイダさん』に嫉妬する。
「ん……? なに、この感情?」
リノが首を傾げた。
「え?」
「アルトが今思ってることだよ。なんかザラザラする……」
心読めるのか、コイツ!
自分の頬が赤くなっていくのを感じた。
「……なんで赤くなるの?」
「こっ、心、読むなよ!」
「勝手に流れてきたんだよ。アルト、テレパシー下手だね。もしかして、殆ど使えないのかな?」
なんたることだ。
もしかして、リノを気に入ったこととかもバレたんだろうか?
アルトがリノを見ると、彼は笑って首を傾げた。
「とってもあったかい感情も混ざってるね。どっちも感じたことないや。アルトは面白いなぁ」
「……っ!」
慌てて、リノの口を塞ごうとする。
と、リノがその両手をぎゅっ、と掴んだ。
沈黙。
「リノ」
破ったのはアルト。
「……オレの両手離して、目、瞑れ」
リノがいうとおりにした。
「こうかな?」
「動くなよ?」
そういって、彼の腰に手を回し、少し背伸びをして、唇を奪う。
「んぅ……」
リノの甘ったるい声。
長いような、短いような時間の感覚。
アルトがようやく、彼を解放する。
「……まだ目を瞑ってたほうがいい?」
「馬鹿、開けていいよ」
彼が目を開けて、前にいるアルトをまじまじと見つめた。
「さっきのは、なに?」
げ。
アルトが声を出した。
……こいつ、キスも知らないのか?
「……まぁ、『好き』って気持ちの表現方法、かな」
「アルトはボクのこと好きなんだ? 嬉しい!」
リノが彼に笑いかけて、首を傾げた。
「ね、もう一回して?」
嬉しそうなリノの笑顔に、罪悪感。
……しちゃいけないことをしたんじゃないか?
今更、後悔が襲ってきた。
……何も知らないのをいいことに、なんていうことをしてしまったんだろう。
「リノ……」
言葉に詰まる。
そこに、
「……ボクのコト、好きってウソ?」
リノの泣きそうな顔。
「ホントだよ。……ホントに、お前のコト気に入ったんだ」
「じゃあ、何でしてくれないのぉ……ッ?」
ほろほろとこぼれる涙。
どくん、と心臓がはねる。
……謝らないと。
「リノ、聞いてくれ。キスは恋人同士がするんだ。恋人って判るか?」
「……何となく判る……」
「ごめんな、誤解させちゃって。オレはリノのこと、そういう意味で気に入って、好きだけど、リノは違うだろ? ……だから…………」
じゃあ。
リノが口を開いた。
「ボクも、アルトのこと、そういう『好き』でいていい?」
「へ?」
アルトが目を白黒させる。
そんな彼などお構いなし。
リノが無邪気に笑う。
「ボク、アルトの『コイビト』になる。ね、いいでしょ?」
「お、お前……ッ。何言ってるのか、判ってるのか?」
「イヤ?」
「それはオレの科白! イヤじゃないのか? オレの恋人って!」
「イヤだったら言わないよ」
透き通った視線。
アルトがその瞳に、自分の視線を絡める。
……判らないなりに、覚悟は出来てるのか。
「……今度は、目、瞑るな」
「うん」
唇を重ね、そっと舌を入れる。
「……っふ」
リノが少し震えるが、構わずに彼の口内を舌で侵す。
と、リノの舌がそれに答えるかのように、アルトの舌をちょんっ、とつついた。
アルトがそれに舌を絡ませる。
「う……ぅ…………ん……っ」
リノの反応に満足して、アルトはやっと、彼を虐めるのをやめた。
漏れる吐息。
「……ば、ばかぁ。アルトのばかぁ!」
さすがに恥ずかしかったのだろう、リノがアルトをぽかぽか叩く。
そんな彼を見て、アルトがにっ、と笑って一言。
「でも、気持ちよかったんだろ?」
「……うん」
……素直なヤツ。
思わず、赤面する。
リノも少し赤くなり、アルトに笑いかけた。
その時。
「R1、R2。いるかい?」
アイダとは違う声の主が、ドアの外で2人を呼んだ。
「あっ、イイダさんだっ」
リノが嬉しそうに、ドア付属の機械に入室許可を出す。
開いたドアから、イイダが入ってきた。
小柄で細い体躯。ナチュラルブラウンの髪。メガネで隠れた瞳は、どうやら赤に近い茶色のようだ。
「R1、彼の適性を調べるから、2人で研究室においで」
「えと、R2は多分、アタックタイプだと思いますけど」
「それはキミの感想かい?」
イイダがメモを取り出した。
「はい、ボクの感想です。ボクの監督不足ですが、R2がアイダさんに手を出しまして……。その時、拳にバーストを纏っていました。ボクの記憶違いでなければ、R2はバーストボムを得意とするタイプだったはずですし……」
「それはわたしたちが見ないと判らないな。お前の感想など、当てにならん」
イイダの後ろから、アイダが入ってきた。
「アイダさん……」
リノが困ったような顔をし、お辞儀して後ろに下がった。
アルトは冷たい目でアイダを見つめる。
「アイダ、キミは黙れ。R1の言うことを少しは信用したらどうだ?」
イイダがアイダを叱り付けた。
「イイダ、お前はこんな化け物のことを信用するのか。めでたいヤツだな」
ぷちん。
アルトの中で、何かが切れた。
力を拳に集める。
瞳に光が集まってゆく。
「ア・イ・ダァァァァァァァァァッ!!」
バシン!
渾身の力と能力を込めたはずの拳は、普通の拳くらいにしか通じなかった。
「なに!?」
「お前ら化け物の相手をするのに、丸腰だと思ったか?」
アイダが警棒みたいなものを取り出した。
「食らえ」
「やめて!」

バチッ!

咄嗟にアルトを庇ったリノの身体が、大きく跳ねた。
そのまま崩れるリノ。
「……スタンガン……! てめぇっ!!」
「ほう、あくまで反抗するか」
アイダが不敵に笑い、倒れているリノの顎を革靴で軽く蹴飛ばした。
「コイツのようになりたいのか?」
「そこまでだ、アイダ」
イイダが、自分より背の高いアイダから、スタンガンを取り上げた。
「キミはもう立ち去れ。それから、このことは上層部に報告する。いいな?」
「……ちっ、いいコぶりやがって」
捨て台詞を吐き、アイダが部屋を後にする。
イイダはそれを見送ると、ぐったりしたリノの傍にしゃがみこんだ。
「R1をこのまま寝かせよう。R2、そこの毛布を取ってくれないか?」
いわれたとおり、ベッドの下の段から毛布を取り出して、リノにそっと掛ける。
「オレ……怒りに任せて、何も考えなかった……。オレのせいだ……」
「あとで謝るだけでいい。R1はキミが悩むことは望んでない。そういうコだからね」
……この人は、リノのコトをよく知ってるんだな。
そう思って、こんな時だというのに、軽い嫉妬を覚えた。
「あの……。イイダ……さん」
「なんだい?」
「リノのコト、よく知ってるんですね」
「……リノ?」
ああ。
アルトが言い直す。
「……R1のコトです」
「ああ、このコが5歳のときから、ずっと一緒にいるからね。キミは覚えてないかもしれないが、幼かったキミにも会ったことあるよ。……ふふっ。R1にべったりくっついて離れないコだったな、キミは」
…小さい頃からリノに惚れてたのか、オレは!
頬が赤くなっていくのが判った。
アルトは物心つくのが遅かった。ここでの生活は、まったく覚えていない。
「キミはヤナハシ主任に引き取られたんだっけね」
「……父のコトを、ご存知なんですね」
「いい人だったよ。もう一度、会いたかった」
その言葉に、アルトが涙を一粒、こぼした。
「ありがとうございます。……父も、天国で喜んでいると思います…………」
アルトがここに来た理由。
それは、両親が事故死したからだ。
偶然、自分の乗っていなかった自家用車に、2人が乗っていて……崖から転落したのだと聞く。
身寄りがなくなったアルトには、自分のルーツを辿る以外、生きる術はなかった。
「えっと、名前……。キミの名前、なんていうんだっけ?」
「アルトです」
そうか。イイダが短く答えた。
「わたしは入生田咲良(イイダ・サクラ)。女の子みたいな名前だろ? ……常々思ってはいたが、R1にも名前をあげなきゃな……」
「……『リノ』です。R1の名前……」
アルトの言葉に、イイダは苦笑いをした。
「リノ? 何でまた、女の子みたいな名前を……」
イイダにリノの名前を説明する。
すると、彼は、ほう。と声をあげた。
「なるほど、No.R1をひっくり返して……か。なかなかトンチが効いてるな。判った。これからはこのコをそう呼ぼう。……長い間、名前がなくて悪いことをしたな…………」
彼が、小さな子にするように、リノの髪を撫でた。
「ん……」
それに応えるかのように、リノがうっすらと目を開ける。
そして、上半身を起こした。
「リノッ!」
アルトが彼に抱きついた。
「ごめん……! オレ、よく考えずに……」
そんなアルトを、くすくす笑って抱きしめ返すリノ。
「アルト、あったかーい」
アルトがリノを引き離して、彼をまじまじと見つめると、彼は「ん?」と声を出して首を傾げた。
「もっとぎゅってして?」
「あのな、オレを叱るだろ、普通」
「なんで? アルトはボクの為に怒ってくれたんでしょ? なんにも怒るところないよ? 怒るとしたら、もっとぎゅってしてくれないことかな?」
くすくす。
イイダが笑う。
「あはははは、キミらしいや。リノ」
リノは瞳をキラキラさせて、イイダを見つめた。
「ボクのコト、『リノ』って呼んでくれるの?」
イイダがにこっと笑って答える。
「ああ、勿論。いい名前じゃないか。長い間、名前がなくてごめんよ、リノ。……そうだ。わたしのことは、これから下の名前で呼ぶといい。サクラというんだ」
「サクラさん」
ん、そうだよ。
リノの、ふわふわの髪をよしよし、と撫でるイイダ。
「アルト。キミも、わたしのことをサクラと呼んでくれ。そのほうが家族みたいでいいだろ? 敬語もやめてくれ」
あ、うん。アルトが返事をする。
「じゃあ、サクラさん」
気さくな彼の行動にほっとして、アルトが笑う。
サクラがそれを見て、よいしょ、と立ち上がり、一言。
「わたしはお邪魔みたいだから、退散するかな」
「お、お邪魔なんかじゃ……」
慌てて言うアルトに対して、サクラがくすっ、と笑う。
「今度はリノが、アルトにべったりみたいだからね」
リノが、えへへへへ、と笑いながら、アルトの腕をぎゅっと抱きしめた。
「サクラさん、テレパシー使えるみたいだねー」
「あはははは、全然使えないよ。でも、リノを見てればだいたい判るかな」
彼はそう言って、じゃ、と手を振り、部屋を出て行った。
扉が閉まると、アルトはリノを見た。
嬉しそうに、自分の腕に抱きつくリノ。
自分より背が大きいのに、まるで小動物みたいだ、と思った。
「リノ」
「ん?」
「オレってさ、昔はリノにくっついて離れなかったのか?」
こんなふうに。
アルトが聞くと、リノがうん、と短く答えた。
「昔のアルトはボクより背が高かったけど、ボクより甘えん坊だったよ」
アルトが頬を膨らませた。
「今はお前がでかいんだよ。身長何センチ?」
「185センチ。アルトは?」
「……175」
ふうん。
リノが声を漏らす。
「180あるのかと思ってた。アルト、意外と背低いね」
「うるせ」
アルトがリノを小突いた。
リノがくすぐったい、と笑い、アルトもそれにつられて笑う。
2人の明るい笑い声が、部屋中にこだました。

昼食。
食堂で全員で摂るんだよ、とリノに言われ、一緒に食堂に行き、配膳口で自分の分を受け取って、彼の隣の席に座る。
「ん?」
リノの周りだけ、ひどく人が少ないことに気付いたアルトは、アイダの言葉を思い出し、ぶすっとした。
「アルト、ここのご飯、キミの口に合わない?」
リノが心配そうに聞く。
「ん、別に? なんで?」
アルトがチキンカツを口に運びながら答える。
「だって、心がトゲトゲしてる」
「だーから、心読むなって」
彼がリノの頭をぺしっと叩いた。
ふわふわの髪が指に触れて、少し鼓動が早くなる。
「お前、ネコ毛だなぁ」
「ネコ毛って?」
「ふわふわの髪の毛してるってコト」
アルトが答えながら、カレーに入っているグリンピースをえいえいっ、と避けた。
「……グリンピース、嫌い?」
「嫌いどころか、憎みすぎて食えない」
「美味しいのに」
「じゃ、やろうか?」
避けたグリンピースをスプーンに乗せて、ほれ、口開けろ。と促すアルト。
リノが口を開けて、そのグリンピースをぱくっと食べる。
「美味しいのに~」
もぐもぐ言いながら、リノが首を傾げた。
……首を傾げるのは、彼のクセらしい。
「あー、グリンピース食ってる、食ってる。うえ~……」
アルトが苦々しい顔でリノを見た。
「ここ、いいかな?」
ふと、前から声がして、2人が前の席を見る。
サクラだった。
「あ、サクラさん。別にいいっすよ」
「仲いいね~。まるで恋人みたいだ」
サクラがいうと、リノがにこっと笑う。
「そう。ボク、アルトの『コイビト』なんだ」
えっ……?
さすがのサクラも、少し顔を引きつらせた。
そのままの顔で、席に着く。
「……リノ、そういう性癖だとはしらなかったな…………。って、アルトも?」
「まぁ、否定してもしょうがないし。オレはどっちかって言えば、ゲイ寄りのバイですよ」
う、うぅーん……。
サクラが唸りながら、グリーンサラダをさくっ、と食べた。
「……わたしもまだ独身だし、ヒトに言えない性癖があるから、ナンダカンダ言えないが……。あの、なんだ……キミたち、遺伝子的には兄弟に近い従兄弟同士なの、判ってる?」
げ。
アルトが呟いた。
「ど、どういうことっすか?」
「あ、やっぱり知らなかったのか。キミたちは一卵性双生児の兄弟と、これまた一卵性双生児の姉妹のDNAを掛け合わせてるんだよ。リノは兄と妹の遺伝子を、アルトは弟と姉の遺伝子を掛けてたな、確か」
沈黙が3人の間を流れた。
「……瞳が全く同じ配色のオッドアイなのは、おかしいとは思ってたけどなぁ」
沈黙を破ったのは、やはりアルトだった。
「えー、じゃあ、ケッコンできないの?」
リノも不満の声を上げる。
サクラが項垂れる。
「リノ……。ニホンの法律じゃ、元々男同士は結婚できないよ……。わたしは、常識はちゃんと教えたつもりなんだがなぁ」
「オトコ? ボクって、ニンゲンじゃないの?」
その言葉は、ますますサクラを凹ませた。
「人間の、男なんだよ。人間もそうだけど、生物には二種類いてね、男と女。これがいるから、生殖活動がきちんと成り立つわけで……」
「……??」
リノの反応を見て、アルトも項垂れる。
「リノ……。勉強、ちゃんとしてたか?」
「んー、本を読むのは好きだよ?」
「じゃあ、なんでこんな基本的なこと、知らないんだよッ!!」
思わずアルトがツッコミを入れた。
「リノが好きなのは、図鑑を読むことなんだよね。しかも、植物の」
サクラが空笑いをしてアルトに説明する。
なるほど。
……植物にオス・メスはないっつっても過言じゃないからなぁ。
アルトが納得して、ウーロン茶をごくり、と飲み干した。
彼は水分をかなりたくさん摂る。
はっきり言って、コップ1杯のウーロン茶じゃ全然足りない。
「飲み物っておかわりできるか?」
「ん、いくらでも。ご飯も大盛にしたいなら、言えばしてもらえるよ?」
リノの答えが返ってくると、アルトはちょっと貰ってくる、と席を立った。
アルトが、声の聞こえない範囲に行った、と思い、サクラが口を開いた。
「アイダと、まだ『そういう』関係なのか?」
「…………」
リノは悲しそうに目を伏せる。
それは、イエスなんだな?
サクラが辛そうに目を細めた。
「上層部は耳を貸さない。わたしが守ろうにも、アイツはわたしが非番のときを狙ってくる。リノ、キミは1人の人間なんだ。キミの自由にしていいんだよ?」
「……ボクは、この研究所の『所有物』なんです……。サクラさん以外に、ボクをニンゲンとして扱ってくれた人は居なかった。……でも……、『最中』だけは、アイダさんも優しくしてくれる。ボクは、怖い。これ以上、嫌われたく、ない……!」
リノの瞳から、大粒の涙がこぼれた。
「……ひっく…………ぐすっ……」
「リノ……」
サクラがリノの頭を撫でる。
「リノッ?」遠くから声がして、アルトがすぐに飛んできた。
「な、何で泣いてんだよ? なんかあったのか?」
コップを置いて、アタフタとするアルト。
「すまない、リノ。……アルト、泣かせるつもりはなかったんだが……。あのね……」
サクラは、リノが好いたこの少年に事情を話そうと思ったようだった。
しかし、リノがそれを止める。
「アルトには、話さないで! ……お願い、サクラさん――――……!」
「……」
サクラが思わず口をつぐんだ。
「オレに聞かれたら嫌なコトなのか?」
アルトの問いに、リノは首を縦に振って答えた。
「じゃあ、聞かないよ。お前が話したくなるまで、絶対に聞かない。……サクラさんも、話さないでくれるかな? オレ、リノを裏切りたくない」
サクラはアルトの言葉に、判った、と答える以外なかった。
無言の食事が続く。
「……あの、サクラさん」
アルトは沈黙に弱いらしい。またも、沈黙を破る。
「なんだい?」
サクラもグリンピースが苦手らしく、グリンピースを紅茶で流し込みながら尋ねる。
「オレって、何のためにここに呼ばれたんですかね?」
ん~……。
サクラが答えに悩んだ。
「リノの能力を最大限に高める相手役、かな? 正直、リノの、遺伝子上の結婚相手は確定してるんだよね……。リノ以外の『パワーユーザー』の遺伝子も必要ないし。あとは、どこまで、リノ自身が伸びるか。それを知りたいから、『パワーユーザー』であるキミを呼んだんだよ。まさか、ヤナハシ夫婦が亡くなったとは思わなかったけど……ね」
「えっ、リノって結婚相手決まってるんだ?」
その言葉に、サクラが持っていたスプーンを振った。
「『遺伝子上の』って言っただろ? リノやそのコが嫌なら、無理にセックスはさせないよ。…………って、なに想像してるんだい?」
真っ赤になったアルトを見て、サクラは思春期だねぇ、と笑う。
「……でも、だから、わたしはアイダを許せないんだ…………!」
険しい顔になり、そう呟いたサクラを見て、アルトは背筋が寒くなった気がした。
しかし、それも一瞬だけで、また温和な顔に戻ると、今度はサクラからアルトに質問が降り注いだ。
「アルト、生活に必要なものはあるかい? ほら、必要最低限のものは持って来させたけど、荷物になるからって、娯楽品は全部置いて来させちゃったろ? 被験者は、午後はたいてい自由時間だから、やりたいコトするといい」
じゃあ。
アルトが口を開く。
「あとで紙に書いて、サクラさんとこ持ってきます。欲しいものたくさんあって……」
サクラがにこっと笑い、冗談っぽく
「エロ本とか?」
と、アルトをからかった。
「よ、よしてよ。オレ、そんな盛んじゃないし」
あはははは。
サクラが笑う。
「わたしがキミくらいのときには、結構さかってたけどねぇ。アルト、16~7でしょう?」
「うん、17」
少し居心地悪そうに、アルトがウーロン茶を口に含む。
あっ。
サクラが、ぽん、と手を叩いた。
「リノがいるからいいのか」
ぶっ!
アルトが盛大に吹き出す。
「あ、アルト。大丈夫~?」
横にいたリノが、まだ咳き込んでいるアルトの背中をさする。
「だ、だだだだ、だって、リノはそーゆーこと知らないでしょおっ!?」
半分訳が判らなくなりながら、アルトがうがーっ、とサクラに詰め寄った。
「いや、知らないからこそ、キミが身をもって教えなきゃ」
その言葉に、アルトはガクッと頭を垂れた。

昼食後、部屋に戻った2人は、クッションに身を預けながら、それぞれの時間を過ごしていた。
「うーん、あとは何がいるだろうな?」
アルトがペン回しをしながら、目の前で図鑑を眺めているリノを見た。
リノの持っている図鑑は、よほど読んだのだろうか、表紙が擦り切れ、糸くずのようなものがぽろぽろ出ている。
「お前、趣味はないわけ?」
素朴な疑問を、リノに投げかける。
「料理作るとか……TV見るとか」
「ボクに与えられたのはこの本だけだよ? TVっていうのは知らない」
……本当に人間らしい生活をしてなかったんだな。
アルトが思って、リストの中に『(出来れば)TVとラジオつきコンポ』と書き足しておいた。
「なんかしてみたいことあれば、サクラさんに頼んでみようか?」
「ん~……」
しばし考え、リノはポツリ、と呟いた。
「昔、アルトとやってた、お絵描きをしたい」
「お絵描き?」
アルトが聞き返すと、リノがこくり、と頷いた。
「覚えてない?」
悪いけど。
アルトが前置きをした。
「オレ、物心つくのがやたら遅くてさ。ここでの生活、何にも覚えてないんだ」
「そっかぁ。じゃあ、アルトにとっては、今日がボクとの『はじめまして』だったんだね」
少し残念。
そう言って、リノは控えめに笑い、首を傾げた。
「アルトはね、すごーく絵が上手だったんだ。ボクは、その絵を見るのが大好きだった」
絵を描くのは、今でも大好きだと、アルトは思った。
……小さい頃、やたらと緑色の髪の人物ばかり描いていたのは、もしかしたら、リノに褒められた記憶がそうさせたのかもしれないな……。
「判った、画材は何がいい?」
アルトが笑って聞く。
「ガザイ?」
「描くものだよ。クレヨンとか、色鉛筆とか」
「クレヨンがいいな。いっぱい色のあるやつ」
「ん、書いとく」
『クレヨン(色のいっぱいあるやつ)』、と大きく書いて、アルトが深呼吸する。
「こんなもんかな。オレ、サクラさんとこ行ってくるよ」
アルトが立ち上がると、リノも立ち上がり、ぴょんっ、と跳ねた。
「ボクも一緒に行く~っ」
「はいはい」
……コイツ、何歳なんだよ。ガキっぽいな。
アルトが苦笑して、部屋を出た。
リノが続く。
渡り廊下を歩き、食堂の横を通る。
そこですれ違った人物。
「……アイダ……!」
アルトは、立ち止まってアイダを睨み付けた。
「R1、一緒に来い」
その視線をなんとも思わないのか、身動きせずにアイダが言った。
「……」
リノがアルトの服を掴み、小さく震えた。
「R1」
「……はい」
消え入りそうな声で、リノが答える。
アイダが、その肩に腕を回した。
リノより、アイダのほうが少し背が高い。
その身長差の所為か、アルトの目に、一瞬、仲のいい恋人同士に見えた。
いや、そんなはずはない。
アイダは、リノを蹴飛ばした。それも、思いっきり。
「リノ!」
彼が心配で、遠ざかっていく背中に声をかける。
「……ん。ボク、用事が済んだら部屋に戻ってるから」
リノはそう言ってか細く笑い、首を傾げた。
「心配しないで」
アルトは、2人の姿がエレベーターホールに消えるまで、じっと眺めていた。
「……なんか、心配だな」
歩き出しても、そのことが頭を離れない。
実際、すごい形相をしていたのだろう。
サクラのいる研究室に入っていくと、彼を見たサクラが、小さく「ぎゃっ」と叫んだ。
「な、なんて顔してるんだい、アルト」
「ちょっと、不機嫌なんです」
「それは見ただけで判るよ……」
サクラが困りながら、冷めたコーヒーをすすった。
「で、これ、とりあえず要るもののリスト」
「その顔のまま言われても、怖いんだけど」
んなコト言われたってさぁ……。
「リノがアイダに連れて行かれちゃってさ。オレ、なんか嫉妬してるのかな……?」
その言葉に、サクラの顔色が変わった。
「アイダはどこに行ったんだ?」
「エレベーター乗ったみたいですけど? つか、サクラさん、なんか怖い……」
「怖くて結構。それより、リノの身が危ない」
彼はそう言って立ち上がり、机をばんっ、と叩いた。
それを聞いて、アルトもなんとなく理解できてしまった。
……アイツ、リノの肩に手を回してたな……!
「アルト、2人を探そう!」
「は、はい!」
2人が研究室から出て、走り出した。
「アイダの個人スペースが3階にある。そこかもしれない」
「……リノ……!」
エレベーターホールに着くと、サクラが乱暴にボタンを叩く。
エレベーターが来るのが、2人には遅く感じられた……。
……一方、3階の片隅。アイダの個人スペース。
「うっ……く……」
暗い中に、リノの声が響く。
「や、やぁ…………! い……痛……い…………!」
「黙れ、R1」
アイダの声。
くぐもった水音が、周りに響く。
「んっ……! んんっ」
それに応えるかのように、リノの身体が弓形に反る。
いつもよりも乱暴な欲望に、彼の身体は耐え切れそうになかった。
「たす……けて、アルト……!!」
リノの頬に、涙が伝った。
それをアイダの舌がなぞる。
「あの小僧に惹かれたか? ん?」
「…………」
「お前はこの研究所の『所有物』。わたしの玩具でもある。忘れたか?」
「わ、忘れては……いま、せん」
ならば。
アイダがリノの裸の胸を優しく撫でた。
「あの小僧のコトなど想うな。それに、どうせ叶いはしない」
その時。
『サクラさん、鍵かかってる!』
『アイダ! いるんだったら出て来い! R1をどうした!?』
外から、アルトとサクラの声が聞こえた。
「ふん、『お姫様』を奪還しに来たか」
アイダがリノを開放し、身を整えた。
力が抜けたのか、へなっ、と座り込むリノ。
『おい、アイダ!! このドアぶっ壊すから、下がってろよ! 怪我されんのは嫌だからな!!』
『待て、アルト! キミ、今日バースト使うの、何回目だ!? 身体も精神も持たないぞ!?』
『んなこと心配してもしょうがないじゃん! いくぞっ!!』
リノが顔を上げ、声を張り上げた。
「アルト! ボクはここにいるよ、大丈夫だよ!! だから、やめてっ!!」
それを聞いて、アイダがくくく、と笑う。
「これで、お前はR2に軽蔑されるな。裸のお前を見たら、わたしと何があったか……あの小僧でも判る筈だ」
リノの身体が震える。
「それでも……構いません。……ボクは、あなたの『玩具』なんでしょう?」
いい心がけだ。
アイダが立ち上がり、ドアの横の機械を操作して、入室許可を出した。
ドアが開き、アルトとサクラが入ってくる。
「リ……ノ…………?」
アルトが目を見開いて、床に座っているリノを見た。
サクラもそれを見て、アイダの襟首を掴む。
「アイダ! R1をよくもッ!!」
「だからどうした? 性教育だよ、わたしなりのな」
アイダがサクラの手を払った。
「それに、R1も悦んでいたぞ? 根っからの好き者なんだよ、コイツは」

ぱんっ!

サクラが、アイダの頬を叩いた。
しかしそれは、アイダのかけているサングラスも飛ばないくらいの、軽いものでしかなかった。
「憎しみで人が殺せるなら、わたしはキミを殺しているよ、アイダ。わたしに力がないのが悔やまれるよ」
アルトが、自分の着ていたジャケットを、リノにかけた。
リノのほうが身体が大きいためか、見ていて恥ずかしいところは隠しきれていない。
「……バレちゃったね、アルト」
リノが少し笑って、首を傾げた。
「リノ……」
「ボクってサイテイでしょ? ……笑っちゃうよね。キミのコトも手に入れるつもりだったんだ、ボク」
「……お前はそんなヤツじゃないよ」
知ったフリ、しないで。
リノが顔を曇らせた。
「ボクは、小さい頃のキミを知ってる。でも、キミは、ボクのコト覚えてないんでしょ? それなのに、ボクの本性……知ったフリ、しないでよ」
ちくちくと痛むリノの心に、ふわっとしたものが触れた。
アルトの心だった。
……アルト、なんで……?
キミに嫌われようとしてるのに、何でそんな感情をボクに向けるの?
「アルト」
嫌いになって。
「ボクは……」
キミの思うようなヒトじゃない。
「……部屋で話そう」
アルトがそう言って、脱ぎ散らかされたリノの服を手に持ち、そばにあったバスタオルで身体を隠すように彼に指示してから、彼の空いた手を引いて部屋を出ようとした。
「あ、サクラさん。オレたち、部屋に戻るね。……これ以上いたら、アイダのクソヤローをボコボコにしかねないしさ」
あとはよろしく。
要件だけを口にして、リノの手を引いてずんずん歩くアルト。
エレベーターを待っている間も、決してリノの手を離そうとはせず、部屋に着いても、しばらくはリノの手を握っていた。
「……放してよ」
「本当のこと言ってくれたらな」
「全部、ホントのことだよ?」
「じゃあ、何で、こんな辛そうな顔してる?」
アルトがリノの手を離した。
そして、力いっぱい抱きしめる。
「ア……ルト?」
「……バカだよ、オレ。会って間もないのに、こんなにもリノに惹かれてる」
だから。
アルトの声が、強くなる。
「ウソ、つかないでくれ。本当のことを話して。オレを頼れよ……リノ……!」
リノの脳裏に、昔のことが蘇った。

アルト……R2が研究所を出て行く日のことだった。
『R2、お別れだね……』
リノ……R1が首を傾げて、寂しそうに笑う。
R1は研究所に残らなければならなかった。
研究所はスポンサーがいなくなったため、半閉鎖。
そのため、オールマイティタイプのR1の研究だけは続けられることが決定したが、他のシリーズは廃棄処分、または研究所を離れる者に引き取られることになった。
R2が、R1の両手を握る。
『R1、ボクは忘れないから。いつか、迎えに来るからね』
『ホント?』
『辛いことがあったら、ボクを思い出して』
R2が、R1の瞼にキスをする。
『もし、研究所を出られることがあったら、ボクを頼ってきて。R1、大好きだよ』

ダイスキダヨ。

リノの瞳から、涙がこぼれた。
「アルトは……変わってない…………」
「ん?」
リノがアルトを抱きしめ返す。
「……アルト。……キミが研究所を離れたあの日から、ボクはずっとキミだけを……想ってた」
だから。
リノが悲痛な声を上げた。
「嫌いに……ならないでェ……! アルトが好き……! 大好き……!」
声を上げて泣きはじめたリノの頭を、アルトが優しく撫でた。
「嫌いになんてなるかよ。安心した……」
ため息一つ。
しばらく続く、リノの嗚咽。
やっとやんだとき、アルトが急にモジモジしだした。
「あ、あのさぁ、リノ」
耳まで真っ赤にして、申し訳なさそうに呟くアルト。
「……服、着てくんない?」
「ん?」
「……オレさ、自分の裸で欲情することはなくても、リノの裸では欲情できるからさ…………」
リノがアルトと少し距離をとって、首を傾げた。
「ヨクジョウって何?」
…コイツ、アイダには、されてるだけか。
「……要するに、さっきまでされてたようなコトをしちゃいそうだから、服着てくれよ」
「ああ、そーゆーコト?」
アルトが服を渡すと、リノは子供のように掛け声をかけながら服を着始めた。
「アルトもああいうこと、したいの?」
着替え終わって、服のホコリを払うと、リノがそう聞いてきた。
「好きだったら当然だろ? お前はしたくないの?」
「んー……。確かに、アルトとだったら楽しいかも」
リノがクッションに腰掛ける。
「楽しいとか……そういう問題なのか?」
アルトもそれに習って腰を下ろした。
「アイダさんとするのは楽しくなかったもん」
そりゃあ、楽しくないだろーよ。
アルトが毒を吐いた。
「あーやだやだ。アイツ、サングラスの下では、リノをエロい目で見てるんだぜ、きっと」
「エロイメって?」
「ん? なんか、こー……ヤな目つきだよ」
ふーん。
見たことないな。と、リノが呟いた。
「ボク、16の時からああいうことされてるけど、そういえば、アイダさんの目って見たことない」
ちょっと待て!
アルトが慌てる。
「お前、何年間されっぱなしなんだよ!」
「今年19だから、えと……? 3年?」
今度は別のことで慌てるアルト。
「19!? お前、オレより2つも年上なの?」
色々とショックを受けて、アルトはううーん、と頭を抱えた。
「19……ねぇ。3年間も……。うーん、オレ、もっと早くリノに会いたかったな」
「でも、キスはアルトが初めてだよ。今思い出してみれば、瞼にもしてくれたしね」
だから、再会のお礼。
そう言って、リノが両腕を伸ばし、アルトの頬を包んだ。
そして、アルトの瞼に口づけをする。
「リノ……」
時が止まった気がした。
……ずっとこのままでいたい。
されたときと同じように、そっと唇が離れる。
リノの唇が離れるのが惜しかった。
「……えへへ、なんだか恥ずかしい」
リノが笑って、首を傾げた。
その顔が少し悲しそうになり。
……どさっ。
リノがアルトを押し倒していた。
「……リノ?」
アルトが彼の顔色を伺おうとするが、逆光でよく見えない。
ポタっ……。
しずくがアルトの顔に落ちた。
……泣いて……る?
アルトが胸を痛ませる。
「もう……独りはヤダ。…………ヤダよぅ……!」
彼がアルトにすがり付いて、声を上げて泣き出した。
「アルト、アルト。傍にいてェ……! 小さいときみたいに、ボクの傍にいてよォ? 覚えてなくていい、覚えてなんか、なくて、いい、から……!」
アルトは、しがみついているリノをそっと抱きしめた。
「オレがついてる。ずっと……傍にいる」
ふわふわの髪を撫で付けて、手にとって口づける。
石鹸の匂いに混じって、甘い香りがした。
多分、リノの匂い。
リノがぐすぐす言いながら、アルトを抱きしめ返す。
体温が伝わってきた。
……ああ、温かくていい匂いで気持ちいい。
気持ちよさに、ぼーっとした頭でアルトが思う。
しかし、途端にアイダの顔が浮かび、嫌な気持ちがこみ上げてきた。
……もっと早くオレが傍にいたら、守ってやれたかもしれないのに。
思わず、リノを抱きしめた腕に力が入る。
「……アルト? 痛いよ……」
「……悪い」
腕を放す。
リノが起き上がって、アルトの顔を見下ろした。
首を傾げ、一言。
「……アルト、泣いてるの?」
「泣いてない」
「じゃあ、何でそんな顔するの?」
アルトが自分の腕で顔を隠す。
「……アイダに嫉妬してるだけ」
「アイダさんに? なんで?」
少しむっとしながらも、アルトが答える。
「お前を何度も抱いてるからだよ」
「抱いてるって、ああいう行為のコト?」
アルトから答えはない。
リノが息せき切って続ける。
「でもね、ボクはアイダさんとそういう風になりたいなんて思ったこともないし、これからもきっと思わない。ボクは誰よりもアルトが好き。アルトがそういう風にしたいんだったら、ボクと今すぐにああいうコトして? ボクはアルトに嫌われるのが怖いよ」
その言葉に、アルトががばっと起き上がる。
「……するの? いいよ」
「だっ、誰がするか! そんな、お前の望まないセックスなんて!!」
アルトは耳まで赤くして、声を大にした。
リノがにっこりと笑う。
「そんな優しいアルトが好き」
「……っ!」
なにか、試されたような気がして、情けなくなる。
「でもね、そういうコトしたいんだったら、ボクはいつでも大丈夫だからね」
「いいよ、お前も無理しなくて」
ため息一つ、アルトが言うと、リノが首を傾げた。
「じゃ、ボクもしたいときに言うから」
コイツ、どー育ってきたんだ。
アルトが心の中で、もう一度ため息をついた。

夕食前。
「いーかげんにしろぉ!」
女の子の声に、アルトが反応した。
「……ここ、女性職員っていたっけ?」
「ジョセイショクイン?」
リノが鸚鵡返しする。
ああ、いないのか。
「じゃあ、さっきの声は?」
「ん?」
「ちょっと乱暴な言葉遣いの」
「ん」
リノは植物図鑑に夢中で、半分聞いていない。
「ちょっと、オレ、見てくるよ」
断りを入れて、アルトが扉を開ける。
と、突然、アイダが倒れこんできた。
「あぁ!?」
アルトが目の前を見ると。
赤い髪の可愛い女の子が、片足を上げていた。
ちょうど、アイダの急所の位置あたりだった。
女の子は涙目だ。必死だったのだろう。
「……アイダ、生きてるか?」
さすがに可哀想に思ったのか、アルトが「もしもし」、とアイダの肩を叩く。
「くっそ、このチビガキ……!」
アイダが忌々しそうに言い放つ。
「だって、あなたがいけないんじゃない!」
ぽろぽろと涙をこぼして、少女が言う。
「わたしに似た男の子とヤラシイコトしてるとこなんか想像するから!!」
アルトが、はて……と思う。
少女に似た男の子。
ああ。
アルトが手をポン、と叩いた。
……リノに似てるんだ、この子。
リノを女の子にして、髪の毛赤くしたらこんな感じ。
可愛いはずだ、とアルトが感嘆のため息を漏らした。
すると、少女が顔を真っ赤にして、また涙目になり……。
「このヒトもーッ!?」
と、アルトに拳を向けた。
やられる!
アルトが受ける体制をとった。
「ストーップ。ダメだよー」
リノの声と共に、アルトの前に見えない壁が作られる。
キン。
音がして、少女の拳が止まり、少女はその壁の固さに身悶えしてしゃがみこんだ。
アルトの後ろから、リノがひょこっと顔を出す。
「ありゃりゃ。ボクと似てるねェ。もしかして、R3?」
「は、はぁ?」
少女がジンジンする拳を押さえながら、リノを見る。
「……はぁ、確かに似てる……。でも、悔しいけどあなたのほうが可愛いね」
「……褒められてる?」
リノがアルトに聞く。
「褒められてる、褒められてる」
アルトが肯定すると、リノが嬉しそうに笑った。
「褒められた!」
少女が拍子抜けしたような顔をして、立ち上がる。
と、彼女の、アルトたちとは左右逆の色のオッドアイが光る。
「えっと、リノくんとアルトくんか。ふーん」
彼女が2人を見比べた。
「あ、テレパシー使えるんだね?」
使えるなんてもんじゃないわ。
少女がうんざりした顔を、まだ倒れているアイダに向けた。
「時々、わたしは無意識なのに、ヒトの思考が流れてきちゃって、こうなるの」
そりゃ迷惑な話だな。
アルトがうんうん、と頷いた。
「わっ、アイダさん!」
リノがしゃがんで、アイダを助け起こす。
「……ッ! この欠陥品がッ!」
助け起こされるなり、アイダが少女の頬に平手打ちをしようとした。
そこに。
「アイダ、やめろ!!」
サクラが駆けつけて、彼女を庇い、それを受けた。
「サクラさん!! アイダ、てめぇっ!!」
詰め寄るアルトの脇をすり抜けて、アイダが廊下に出る。
「イイダ、そのクソガキの教育をしっかりしておけ!」
そういうと、まだ痛むのか、彼はよろよろとした足取りでその場を去った。
一同はそれを見送り、ため息一つ。
サクラが少女に笑いかける。
「はぁ、よかった。大丈夫かな、お嬢さん」
少女は耳まで赤くして、小さく「はい」といい、潤んだ瞳でサクラを見上げた。
「あの……えっと、わたし、岬萌楼(ミサキ・メル)っていいます……。な、名前……教えてくださいますか?」
サクラがくすっと笑う。
「イイダ・サクラです。サクラ、でいいよ。よろしく、メルちゃん」
と、サクラがアルトのほうを向いた。
「アルト、これ、支給品だよ」
彼が持っていた袋から、ジャケットを出した。
青が基調のジャケットで、肩は白く、プロテクターが入っている。
左の胸には、『R2』と刻印され、キラキラと乱反射する水晶のような物質が埋め込まれた、六角形のプレートがあしらわれていた。
「……『R2』か。なんか複雑」
「でも、被験のときまで名前で呼ばれたくないだろ? 嫌なら、このプレートの文字、コンパスで削るけど?」
サクラが一生懸命コンパスで削っている姿を想像して、アルトは噴き出したくなった。
「いや、いいっす」
アルトはジャケットを受け取ると、早速腕を通した。
寸法はちょっと大きめだが、みっともないほどだぼだぼでもない。
「うん、見た目より暖かいや、これ」
「起きてるときには、なるべく着ていてくれ。『パワー』の制御システムが入ってるんだ」
「へえ、こんな小さいのに」
アルトが感心すると、リノが「これ」と指差した。
指差したのは、水晶のような物体だった。
「『クリアドロップ』って呼ばれる石なんだけどね、これが体内の『パワー』を制御してくれるんだって」
サクラが補足する。
「よく、天然石のコトをパワーストーンって言うだろ? あれって、あながちウソじゃなくてさ。特に、『パワーユーザー』の人間には効果があるらしくてね。その中でも、近年発見された『クリアドロップ』が、力の制御によく効くらしいんだ。……あ、そうそう」
彼が袋から、クリアドロップが埋め込まれた赤いベレー帽を出した。
そして、メルにぽふっ、と被せる。
「メルちゃんにも。女の子だって言うから、赤にしてもらったんだけど。うん。よく似合う」
メルが耳まで真っ赤にして、恥ずかしそうに俯いた。
「あ、ありがとうございます~……っ」
それから、悪いんだけど。
サクラが困ったように頭を掻いた。
「今日だけ、メルちゃんも、この2人と一緒の部屋で過ごしてくれないかな。他の住居スペースがえらく荒れててね。とてもじゃないけど、人を通せる状態じゃないらしいんだ。大丈夫、この2人だったらきっと紳士的だから」
「は、はい」
「じゃあね。わたしはもう帰らなくちゃいけない時間だから。……リノ、アルト。頼んだよ。また明日」
サクラが懐中時計を見て、せわしなく去っていった。
メルがそれを見送って、はぁ、と熱っぽいため息をつく。
「サクラさんかぁ……。素敵な人だなぁ……」
アルトが、そう呟くメルの肩をぽんっと叩いて一言。
「あのなぁ、サクラさん見た目若いけど、結構年行ってると思うよ?」
それを聞いて、メルがぷぅっ、と頬を膨らませた。
「年なんか関係ないのっ! アルトくんなんか、性別関係ないんでしょっ? さっき、心の中見えちゃったもん!」
アルトの顔があっという間に赤くなる。
「お、お前、なぁっ! ヒトの心の中見るなッ!!」
「だーって、見えちゃうんだもん」
「未だに見えちゃう?」
リノの問いに、メルがあれっ?と首を傾げた。
「……あっ、見ようと思わなければ見えないっ! すごーい、コレ!」
でしょ。
リノがにっこりと笑いかけた。
「じゃ、食堂行こっか。ようこそ、メルちゃん」
3人で食堂に移動すると、もうお膳を配り始めていた。
昼間よりかは明らかに人が少ない。
「わぁ、結構豪華ね!」
メルがお膳を前にして、嬉しそうに言った。
ご飯に鯛のお刺身。澄まし汁に、ひじきと大豆の煮豆。さらにお新香。バランスも結構いいのではないだろうか。
3人揃って席に着くと、メルはニコニコしながら、どれから食べよう、などといって迷っている。
しかし、アルトは浮かない顔をしていた。
「……アルトくん。なんか、無表情だけど?」
「アルト、また嫌いなものあるの?」
2人の問いに、アルトは持っていた箸で、あるものを指した。
……ひじきと大豆の煮豆。
「アルト、お豆嫌いなの?」
リノの更なる問いに、アルトは怒りを抑えた声で答える。
「違う、この黒いの」
ひじきかぁ。
メルがうーん、と唸った。
「わたしは、これ、美味しいと思うけど?」
「こんなぶっとい睫毛みたいなの、人間の食べ物じゃねぇ!」
ぎゃーすか喚き出したアルトに、リノが困った顔をする。
「美味しいのに~……」
「じゃあ、またリノが食う? いいよ、オレはっ」
「おっきくなれないよ?」
「お前が食って、またでかくなったら?」
やだよぅ。
リノがますます困った顔をする。
「ボク、この3年間で30センチ伸びたんだよ? また伸びたら、入る服がなくなっちゃう」
それは伸びすぎだねぇ。
メルが先にご飯を食べながら、うんうん、と頷いた。
「リノくん、何センチ? 結構高いよねぇ」
「ん、185センチ。あと、ボクのことは呼び捨てでいいよ」
じゃあ、リノ。
メルがにこっと笑って、彼の名前を呼んだ。
そして、アルトを見て一言。
「アルトも見習いなさい」
「……なんでオレまで呼び捨てなワケ?」
「わたしの頭の中で、自動的にそうなりました」
「自動的に直せよ……」
「なに? アルト、呼び捨てに文句あるわけ?」
「……いいよ、もうっ」
アルトが乱暴に、口の中に鯛の刺身を運んだ。
ボクもいただきますしよっと。
リノが手を合わせてお辞儀をし、ひじきと大豆の煮物を一口食べた。
「おいしいなぁ」
お前のほうがよっぽどおいしそうだよ。
煮物とにらめっこをしながら、アルトはボーっとそんなことを思った。

「ふー。満腹、満腹」
居住スペース。
メルがクッションにもたれて、足をバタバタさせながら言った。
アルトは2リットル入りのペットボトルに、ウーロン茶をめいっぱい詰めてもらったのを持って帰ってきて、ちびちび飲んでいる。
と、彼がペットボトルから口を離して、メルに向かい一言。
「メル、パンツ丸見え。ピンクのハート柄」
ばしっ!
メルが笑顔を引きつらせながら、アルトをグーで殴る。
「いってぇなあ。いいだろ、見たくて見たんじゃないんだから」
「えーえー、わたしよりもリノがいいんだもんね、アルトは!」
「そーだよ、いいじゃんか。……悪ぃかよ!」
「あ、否定しないんだ? やーらしーい!!」
「あのな、お前な……。リノ、何とか言ってやってくれよ」
アルトから救助要請を受けたリノは、真顔で一言。
「やらしいってどういうこと?」
アルトが口を開けてぽかんとする。
「あのね、リノ。やらしいっていうのはね、アルトみたいに、いっつも好きなヒトのことを考えてるヒトのことを言うの」
その説明、ちょっと間違ってないか?
アルトがそう言う前に、リノがほうほう、と頷いた。
「じゃあ、ボクもやらしいや。ずーっとアルトのこと考えてるもん」
にこっと笑っていうリノに、アルトが一言。
「いや、メルの説明、間違ってるから」
「なーによぅ。アルトがやらしいのは間違ってないでしょ?」
「う、うるせぇなっ」
まぁまぁ。
メルとの間に、リノが割って入る。
「もうすぐお風呂の時間だよ。アルト、メルちゃん、浴場行こう」
言われて、アルトがんっ?と声を上げた。
「……待て、浴場は1つじゃなかったっけ? 時間制?」
「え?」
リノが首を傾げる。
そして、爆弾発言1つ。
「一緒に入ればいいんじゃないの?」
ぽむっ、と音が聞こえたかのように、メルがあっという間に耳まで赤くする。
「ば、ばばば、バカッ! メルは一応女の子だろっ!」
アルトも耳まで赤くして、リノに訴える。
「言ってくれたのは嬉しいけど、一応ってなによっ」
「いンだよ、お前は。一応で!」
仲がいいのか悪いのか。
言い争う2人をよそに、笑いながら、リノがメルに問いかける。
「メルちゃん、一緒にお風呂、イヤ?」
あまりにも無邪気で、あまりにも罪がない笑顔につられて、メルが答える。
「ん、いいよ」
よくよく考えれば、年頃の女の子に一晩一緒の部屋で過ごせっていうのも酷な話なのにな。
アルトは素直に、メルの懐の深さに感心した。
「じゃ、行こうか」
リノを先頭に部屋を出て、3人は浴場へ向かう。
廊下は既に暖房を切っていて、肌寒い。
ジャケットを着ているアルトはそう感じなかったが、ノースリーブのリノと、薄いワンピース一枚のメルは相当寒そうだ。
アルトは迷いもせずにジャケットを脱ぎ、メルの肩にそっと掛けた。
「あ、ありがと……」
「女の子は冷えやすいんだろ? あまり冷やすと風邪引くからな」
「……リノはいいの?」
「ん?」
リノが首を傾げて、どうして、とメルに聞いた。
「どうしてって……。アルトはリノが好きなんだから、リノにこれを掛けるべきじゃない?」
ああ、なんだ。
くすくすと笑うリノ。
「ボクは、ボクのことより、メルちゃんを優先したアルトの行動が嬉しい」
偽りを知らないリノの言葉。
アルトも「ま、そういうこと」と頷いた。
「……リノとアルトって、付き合い長いんだ……」
「ん? ああ、オレが3歳のころまで一緒にいて、今日再会したばっか。しかも、オレ、物心つくの遅かったから覚えてねーし」
「じゃ、なんで……」
「あのさ、リノは他人第一主義なの、この短時間でも判るだろ? リノにジャケットを掛けてリノとメルに嫌な思いさせんのもやだったし、オレはバイだけど元々フェミニストだから、お前にジャケット掛けたの」
それに。
アルトが続ける。
「オレ、見る目はあるつもりだし」
「見る目?」
リノとメルがハモる。
アルトがははっ、と笑いながら、そう、と答える。
「そんなんでぶーぶー文句言うヤツなんか、好きにならねーよ。リノにしろ、メルにしろ」
メルがきょとんとして、「え……?」と呟いた。
アルトが決まり悪そうに言う。
「お前のことも気に入ってるって言ってんだよっ」
「えええー? そういうのってアリなのー?」
甲高い声を上げるメルに、アルトがうがーっ!と声と両腕を上げる。
「バカか、恋愛対象じゃないっての! 妹みたいな感覚!」
「あ、なんだ。よかった。わたしにはサクラさんがいるもん」
アルトがあー、はいはい、と意地悪そうに言う。
「サクラさんの眼中には、メルはいないとは思うけどな」
がらっ。
先頭にいたリノが、脱衣所のドアを開けた。
メルのぽかぽか攻撃から逃げて、アルトもドアをくぐり、それにメルも続く。
と、メルが声を上げた。
「広いのねー」
「個人のロッカーに着替えとタオル類入ってるからねー」
リノが『R1-A』と書いてあるロッカーを開けて、服を脱ぎながら言う。
……そうだ、リノは名前が…………。
思い出して、アルトは少し切なくなった。
そして、メルにこそっと耳打ちする。
「オレたちのも、やっぱり識別ナンバーかな?」
「んー……。どうだろ? でもさぁ……」
メルが大量のロッカーを指差した。
「似たようなナンバーがいっぱい並んでる……」
アルトが周りを見渡す。
リノの使っているロッカーは、脱衣所で一番端。その次に、R1ーB、R1-C……と、R1-Zまで続く。
その次の列はR2-Aから始まり、やはり、R2-Zまで続く。
その次の列はR-3シリーズ。だが、これはR3-Mまでしかない。そこから先は職員のものらしく、苗字のアイウエオ順に続いていた。
職員の最初のロッカーは、Aida=Ruaと書いてある。アイダのだろうか?
「ボク、長いから先入ってるねー」
既に全裸になったリノは、そういうと、浴場の中に入ってしまった。
「……アルト、どうしよう? この中から探すの?」
「し、しょうがねーだろ。大丈夫、お前はR3だろ? 13個の中から探しゃあいいからな。オレなんかR2だから26個だ。泣けてくる……」
2人がロッカーをバッタンバッタンと開け閉めを開始する。
その時、アルトの背後で気配がした。
「誰だ?」
振り向くと……
「いちいちこちらを向くな。バカか?」
アイダだった。
「……アイダ……! テメェ、まだいやがったのか」
アルトが睨み付けるが、アイダはそれをものともせず、『Aida=Rua』と書いてあるロッカーを開け、悠然と服を脱ぎ始めた。
「ふん。今日の当直の責任者はわたしだからな」
「げっ……」
アルトが思わず声を上げた。
「夜に安息があると思ったか? 甘いな。夜だからといって、お前ら化け物が自由になるわけないだろう。しっかり監視させてもらう」
それから。
アイダが人差し指をアルトに突きつけて、声高に言った。
「R1はわたしの玩具だ。お前なんぞが触れていいものじゃない」
そして、反論しようとするアルトの顎に指を這わせる。
「お前も、わたしの玩具になりたいのだったら、その願い、聞いてやらないでもないがな」
くくくっ……。
低く笑って、アルトを放すと、アイダは浴場へ身を消した。
「……ねぇ、あの人、いつもあんななの?」
いつの間にか自分のロッカーを見つけたらしいメルが、帽子を抱えてアルトに聞く。
「アイツはあんなんだよ。性根が腐ってやがるんだっ」
「あの人、不器用なのね」
メルは意味深な一言を発して、ワンピースと下着をがばっと脱ぎ捨て、バスタオルで身体を覆った。
「アルト、自分のロッカー見つかった?」
「ん? あ、これかな? R2-L。お前はいくつだった?」
「R3-M。ラストナンバーみたい。……一番年下なのかなぁ」
いいじゃん、一番下。可愛いし。
アルトが笑う。
「……ねぇ」
少し幼くて、でも綺麗な笑顔に、メルが顔を赤らめた。
「わたし、アルトのこと、きっと好きだよ」
そんな告白じみたメルの言葉を聞きながら、アルトも身支度を整えた。
「そいつはありがとう。さ、行くぜ。リノが心配だからな」
「う、うん」
2人が浴場に入る。
広い広い湯船。もっと広い洗い場。
小さい頃、連れて行ってもらった『銭湯』という場所に似てる、とアルトが思う。
そんな中に、やっぱりリノとアイダは一緒に居た。
「アイダさん、痛くないですか?」
「大丈夫だ」
リノがアイダの背中をごしごしと洗っている。
「……なんか、疲れているみたいですけど……? キュアかけましょうか?」
「別にいい」
ヤキモチ妬きではない、と思っていたアルトだが、この光景にはいささか腹が立った。
ずかずかと2人のほうに歩いていって、リノの手を取り、無言で連れ戻してくる。
「な、なになに?」
キョトンとするリノ。
「あのな、お前な……」
効かないだろうがお説教を、と思ったところに
「なんだ、小僧。妬いているのか?」
意地悪く笑うアイダ。
「妬いてて悪かったな! つうか、昼間にあんなことしておきながら、よくその面下げて出てこれたな! 今はオレのめいっぱいの力で殴れるんだぜ、アンタのこと」
「やってみるか?」
アイダの挑発に、アルトが力いっぱい殴りかかろうとした。
「きゃーっ!」
メルが目を覆って叫ぶ。
ところが、さっとリノが割って入り……

ガンッ!!

拳を当てて相殺する。
「り、リノ……っ」
その表情に、アルトが驚く。
まるで、大人。
あの子供っぽいリノはどこへ行ったのか。
薄く光を宿したオッドアイで、リノはアルトを見据えた。
「やめなさい、R2」
静かに……とても静かに言い放つリノ。
「リノ……?」
そのとたん、ぐらっと揺れる視界。
サクラが昼間警告したとおり、身体がもたなかったらしい。
アルトがヘタッと座り込む。
そして、ぐっ、と呻き、俯いて、両腕で頭を抱え込んだ。
「頭……いてぇ」
彼の呟きにも、リノはその視線を崩すことはなかった。
アイダがリノに近づく。
「R1、よくやったな」
それから、リノの裸体をそっと撫でた。
「っあ……」
憑き物が落ちたかのように、元に戻ったリノが頬を赤らめる。
「ちょっと! あなた、なにするのよ!! このヘンタイ!!」
メルがアイダに食って掛かる。
「R1はわたしの玩具だと言ったろう、小娘」
「いーえ、リノをあなたの玩具なんかにはさせないわ! アイダさん。あなたの本心、わたしには判ってるんだからね! 黙って欲しかったら、この場は退場して!!」
ちっ。
アイダが決まり悪そうに舌打ちし、浴場を出て行った。
ふぅ。
メルがため息ひとつ、アルトのそばに行ってしゃがみ込む。
「アルト、わたしに任せて」
彼女はそういうと、両手をアルトにかざした。
彼女のオッドアイが、きゅん!と輝き、メルからアルトへと光の霧が移っていった。
「あ、あれ……?」
アルトが顔を上げる。
「頭、痛くなくなった?」
「あ、ああ」
「よかった」
メルが微笑みながら立ち上がる。
アルトもそれに続いて立ち上がり……
「リノ……」
立ち尽くしているリノを悲しそうに見つめた。
メルもそっちに視線を向ける。
「あ、る、と……」
リノの目から、一粒の涙が落ちた。
少しずつ、ふらふらとこっちに向かってきて……
「……ぐすっ」
アルトに抱きつき、その勢いでそのまま押し倒した。
「アイダさんに……逆らっちゃ……ダメだよぉ。……ダメなのぉ……!」
自分の胸の中で泣くリノに、アルトは安堵のため息をついた。
リノの髪を撫で付けながら、諭すように言う。
「あのな、リノ。オレはそれでも、お前がアイダに尽くしてるところなんか、見たくない。お前がやめてくれたら、オレもやめるよ。……どうかな、この条件?」
リノが頭を上げて、ふるふると首を振った。
「ボクは……」
ぽろぽろと涙をこぼして。
「この研究所の所有物であり……」
辛そうな顔をして。
「アイダさんの玩具なんだ……」
「違うよ、リノ!」
否定したのはメル。
「リノはリノだよ! 自分の自由にしていいの!」
そうだよ。
アルトが子供をあやすように、リノの頭を撫でた。
「自由にしていいんだ。何かあっても、オレが守るから……」
ありがとう……。
そう言って、リノが大声をあげて泣き始めた。
その様子を、アルトとメルはずっと見ていた……。

やっと風呂から上がった3人は、部屋に戻り、寝る準備をしていたが、ふとしたことから喧嘩になった。
「お前1人女なんだから、お前が1人で上のベッドに寝ろ!」
とは、アルトの主張。
「アルト。心の中、丸見えなんだからね! リノの身が危ないので、わたしはリノと一緒に寝ます。アルトが1人で上のベッドに寝て!」
とは、メルの主張。
「あ、あのさ、ボク、床で寝るから……」
「ダメだ!」
「ダメッ!」
リノの主張は、2人によって遮られた。
「じゃあ、こうしようぜ。じゃんけんだ。勝ったほうがリノと一緒に寝れる! どうだ!?」
「いいわよ! わたし、絶対負けない!!」
「じゃーんけーん……」
ぽん。
「やったー! リノ、これで安心だからね!」
「ちっくしょー! そうだ、メルは心が読めるんだった、忘れてた!!」
メルがにこにこ笑いながら、下のベッドを整える。
「メル、お前、リノを襲うなよ!?」
アルトが冗談混じりに言うと、
「えー? リノってば、寝顔可愛いだろうし、もしかすると襲っちゃうかもー」
メルの反撃が来た。
くっ、冗談に聞こえねェ!
そう言いながら、アルトが上段のベッドスペースに行き、少しかび臭い毛布に顔をうずめた。
「なに? アルト、もう寝るの?」
メルの声。
「疲れた。寝る」
布団に顔をうずめたまま答えるアルト。
「えぇぇ。さっきまであんな元気だったのにー?」
「お前が元気だから、つられて元気に振舞ってたけど、もームリ、限界。オレ、修学旅行とかでも体調崩すタイプなんだよ……」
「えー? 意外……」
「メルちゃんは寝ないの? ボクももう寝るよ。本当は消灯が11時なんだけど、今日は疲れたから」
「んーじゃあ、わたしも寝る~」
ぱち。
薄明かりになり、全員が黙ると、アルトはすぐに夢の世界へと旅立った…………。

「あ、る、と」
耳元で囁く声。
「ん……」
疲れたんだよ、寝かせてくれよ。
思うが、声に出すのも億劫だった。
「……アルト……」
上に、誰かが圧し掛かる。
……男……だな。リノか。
「んん……」
リノであろう人物をぎゅっと抱きしめる。
「やぁん……。寝惚けてないで起きてよ、もうご飯の時間だよ?」
ご飯より、お前を味見してみたいよ。
朝だからなのか、そんなことを思う。
「……ボク、食べれないよ?」
「……だから……心読むなって……」
やっと目を開けて、リノの姿を確認しようとするアルト。
「読めちゃうんだもん。しょうがないじゃない」
おとなしく抱きすくめられているリノの姿を確認して、アルトがふ、と笑う。
「おはようのキスは?」
「え?」
リノが聞き返す。
「それないと、起きてやんない」
「えぇ~?」
ほら、と目を瞑るアルト。
「しょうがないなぁ、アルトは……」
リノの唇が頬に当たる感触がした。
「おしまい! 起きてくれないと続きしないからね」
ちぇっ。
舌打ちをして、アルトが起き上がった。
そして、半ば強引にリノの唇を奪う。
「んんっ」
…あー、このまんま押し倒せたらなー……。
思いながらも、唇を離す。
「さぁて、飯食いに行くか。リノ、先降りて」
うん、と返事をして、リノがはしごを使わずに下に飛び降りる。
惚れ惚れするくらい、綺麗な着地。
へぇ、結構運動神経いいんだ。
感心しながら、アルトがはしごを降りた。
「メルは?」
「もう食堂行っちゃったよ」
気、使わせちゃったかな?
そんなことを思いながら、リノと2人で部屋を出る。
食堂が近くなると、ポタージュスープのいい匂いがした。
カウンターでトレイを受け取り、メルのそばの席に座る。
「あ、アルト、おはよー!」
食べずに待っていたメルが、彼ににこっと笑いかけた。
「朝ごはんドーナツだよ! おいしそーだよねっ!」
「うんうん! オレ、ドーナツ大好き! つか、甘いモン大好き!」
「あはははは、アルトってば女の子みたーい!」
「ボクもこれ、大好き! おいしいんだよー。あのね、週に一回は、朝ごはん、ドーナツなの」
3人でいただきますをしたあと、ほおばったドーナツは確かにおいしかった。
ドーナツは3個で、味も3種類。オールドファッションと、フレンチクルーラーと、ココアドーナツ。それも、全部オイル控えめのようだった。
それに、ジャガイモのポタージュスープと、フレンチサラダ。
朝、目覚めたばかりの胃袋にはちょうどいい感じだ。
談笑しながら、朝ごはんを食べている3人。
そのとき。
「R1、R2、R3」
アイダが3人に近づいた。
「はい」
返事をしたリノ以外は、むすっとした感じで彼を見据えた。
アイダは、そんな2人はさして気にせず、淡々と用件を伝える。
「8時半からテスト戦だ。バトラースーツに着替えて、第一演習室まで来るようにな」
「……いつも通り、兵士ロボットとですよね? それとも……この2人と、ですか?」
リノの泣きそうな顔。
「この2人とだ。決まっているだろう」
ぽろっ。
リノの瞳から、涙がこぼれた。
「………………いや、です」
「今なんと言った?」
わざと聞き返すアイダに、リノがキッパリという。
「いや、です。R2やR3はボクのキョウダイです。戦えません」
初めて見せた、リノの反抗的な態度に、アイダが少し躊躇したかに見えた。
が、リノの襟首を両手で掴んで立たせると、昨日のようにみぞおちに強烈な蹴りを入れる。

がちゃん!

リノがほかのテーブルと椅子を巻き込んで、派手に床に転がった。
それなのに、何事もなかったかのような、静かな食堂。
多分、これは日常茶飯事なのだろう。
「う……っ」
リノが苦痛に呻いた。
「リノッ!」
アルトがすぐに席を立ち、リノを助け起こす。
「てめぇっ! リノのこと、なんとも思ってねぇのかよ!?」
「思っているさ。大切な実験体だ、とな」
「ウソツキ」
それまで何も言わなかったメルが、カタン、と音をさせて立ち上がった。
「それだけじゃないよね、アイダさん。あなたは……」
「小娘」
アイダから放たれる威圧感に、メルがビクッとした。
「それ以上言ったら、貴様を殺す」
メルがそのまま、ストン、と座り込むのを見て、アイダは静かに立ち去った。
「ひっでぇ……! 内出血してるぜ」
アルトが蹴られた部分を見て、辛そうに呟いた。
リノがそっとそこを触って確かめ、大きく息を吐いた。
輝きを放つ両目と、光の霧をまとった手。
輝きも光の霧も消えると、内出血の痕が消えていた。
「ゴメン、心配かけたね。もう大丈夫」
リノがアルトの手を借りて立ち上がる。
「……昨日から気になってたけどさ、ソレ、なんなの?」
「ん? これは『キュア』。メルちゃんも使えるみたいだね」
と、メルが救いの手を入れる。
「『ケアル』とか『リリフ』っていったら判る?」
「あー、回復魔法ね。判る、判る」
魔法じゃないけどね、腫れたのとかは治んないし。メルが苦笑した。
それから、きりっとまじめな顔になり。
「それにしても、アイダさんって嫌な人! あーもう、やけ食いとして、アルトの分のドーナツも食べちゃおうかなー!!」
「ちょっと待ったぁ! 残しておいたのは一番好きなやつなんだよ! もし食ったら承知しねーからな!」
そう言いあいながら笑う2人を、リノは悲痛そうな顔でじっと見つめていた。

部屋に帰ると、3人分の妙な服装がおいてあった。
緑系でまとめてあるのは完全にぼろぼろで、すぐにリノのだと判る。
残りの青紫っぽいのと、紅いのは、アルトとメルの分だろう。
「……」
リノがその服装をぎゅっと抱きしめ、ぽろぽろと涙を流して崩れ落ちた。
「リノ?」
2人がリノに駆け寄る。
「イヤだ、イヤだよォ……! やりたくないよォ……!」
アルトとメルが顔を見合わせた。
「テストっつってたじゃん。何もそんなに……」
不思議そうなアルトの声。
しかし、鋭いメルは何か違和感を感じたようだった。
メルが少し眉をひそめて、ベレー帽を外す。
そして、リノの背中にそっと手を置いた。
「……!!」
途端に、メルの顔色が変わり、メルが頭を抱えて、ぺたん、と座り込んだ。
同時に、リノも気を失う。
「リノ? メル?」
アルトがリノを寝かせ、メルの顔を覗き込む。
「…………ッ!」
ガクガクと震えて、大きな目を見開き、恐怖の表情を見せるメル。
アルトが安心させようと、メルに手を差し出した。
メルがその手を握ると。
「!?」
ざぁっと、アルトの周りの景色が変わった。
昨日案内された、第一演習室の風景だった。
「なんだ?」
メルの傍で、リノが横たわっている。それはさっきまでと変わりはない。
音は何もなく、耳がおかしくなりそうなほどの静寂を保っている。
「……ここはどこなんだ?」
アルトは辺りを見回した。
と、もう1人、リノがいる。
その瞬間、理解した。
これは、メルが読み取った、リノの記憶。
つまり、もう1人のリノは、『記憶の中のリノ』。
そのリノは、赤い液体まみれで演習室の中央に、背中をこちらに向け佇んでいた。仮に、リノ´と呼ぶことにしよう。
リノ´の服装は、横たわったリノが抱えているものだった。
服にも、赤い液体が染み込んでいる。
「リノ?」
リノ´がアルトの声に振り向いた。
虚ろな目に、うっすらと宿った光。
昨日会ったときから、入浴のときしか外すことのなかった頭のバンドに、色とりどりのたくさんの線が繋がっている。
そして、彼の足元には。
「なんなんだ、これは!?」
たくさんの金属の破片や、何かの部品だっただろうもの。
それも赤い液体まみれだった。
ふと、リノ´の手に目をやると、人間の頭部のようなものを掴んでいる。
そこから流れる、赤い液体。
まるで……死体。
「……うっ……!」
アルトは思わず、吐き気を覚えた。
『R1、まだ1体残っているぞ』
研究員の声。
リノ´は掴んでいた物を投げ、アルトのほうに向かって走り出した。
『シ、ネ』
抑揚のない声で呟く、非情な言葉。
腕を振り上げて、虚ろな瞳が、激しく輝く。
彼が振り上げた腕に、まるで太陽のような輝きの光の球体が出来上がり……。
「!!」
激しい衝撃に襲われた気がした。
吐息が伝わりそうな至近距離に、表情のないリノ´の顔。
どろっとした感触。
紅くなる視界。
『演習終了。R1、戦闘数値・A国精鋭隊、単独壊滅可能レベル』
パシュッ。
リノ´の頭のバンドから、線が全て外される。
その途端、リノ´の目つきが、普段と変わらないものになり……
『あ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!』
アルトの目の前で、崩れ落ちて、泣き出した。
「リノ! リノ!!」
名前を呼んでも、彼は気付くことなく。
「うっ…………」
辺りの惨状を、また、目にしてしまい、アルトも膝をついた。
アルトの手から、メルの手が離れる。
ざあっ。
元の景色が戻ってきた。
しかし、あの光景を忘れられるわけでもなく。
「う、うぇッ……!」
激しい目眩と吐き気に襲われて、アルトの目から、大粒の涙がこぼれた。
なんだ、アレは。
あんなことを毎日、リノはやっているのか?
あれと同じことを、今度はオレたちを相手にやらせるのか?
人権とか、もう、そういうレベルの問題じゃない。
これは……!
「り、リノ……! メル……!」
クラクラする。
吐き気が消えない。
「ダメだ、こんなところにいたら……!」
とりあえず8時半からのテスト戦を回避しないと、自分たちは殺し合いをすることになる。
しかし、足が、身体が、いうことを利かない。
それは、メルも同じだったらしい。
カタカタ震えて、立ち上がろうともしない。
「リノ! メル!」
アイダが不審がってここに来る前に、せめてどこかに隠れなくては。
「リノッ! メルッ!」
逃げなくては!
ピッ。
入室許可を出したままの扉から、誰かが入ってきた。
アイダなのだろうか。
しかし、視線も向けられない。
せめて、せめて少し時間を稼ごう。
そう思ったアルトは、相手を大声で威嚇しようとした。
「ち、近寄るな! 本気で殺すぞ!!」
しかし。
「リノ、アルト、メルちゃん!?」
相手は、アイダではなく、サクラだったらしい。
がさがさがさがさっ。
何か、たくさんの荷物を床に置く音がした。
ピッ。
扉が閉められ、入室不許可に設定される。
「なにが起きたんだ!? みんな、大丈夫かい!?」
「さ、サクラさん……」
少し、身体の緊張がほぐれる。
が、心は、警戒のシグナルを発したままだった。
サクラだって、ここの人間だ。
ここの……!
「くっ!」
ようやく自由が利くようになったアルトは、がばっと立ち上がり、自分よりも少し小柄のサクラの胸倉を掴んで、勢いよく壁に押さえつけた。
ダンッ!
サクラはさして抵抗もせず、アルトにされるがままだ。
少し足が浮いている。もしかしたら、首の辺りが絞まっているかもしれない。
けれど、今のアルトには、そんなことは関係なかった。
「うっ……! あ、ア……ル、ト、苦し……い……!」
「お前だって研究所の一員だ! そうだろ!?」
「なん、の、こ、と……を?」
「リノにあんなコトをさせてる!! そうだろ!?」
サクラの顔がだんだん青紫になってきた。明らかに、酸素がいっていない。
「答えろ、イイダ・サクラ!!」
「やめてッ!!」
パンッ!
メルの、悲鳴に近い声がして、アルトとサクラの間に、見えない壁が出来た。
勢いで、アルトは弾き飛ばされ、サクラはその場にずるずるとしゃがみ込んだ。
「サクラさんじゃない! サクラさんじゃないわ! 見えたもの!!」
メルも、ようやく身体に力が入るようになったんだろう。弾かれたアルトの傍に行き、アルトの腕を、精一杯、ぎゅっと抱きしめた。
「違うの、違うのよ、アルトォ……!」
「メル……」
「アルト……、メルちゃん………………?」
息も絶え絶えに、サクラが2人に聞いた。
「サクラさん。わたしたち、『見た』の……。リノが、なにをして過ごしてきたか……」
サクラが俯いた。
「そう、か……」
呟いて、口をつぐむサクラ。
「やっぱり知ってたんじゃねぇかよ!! この人でなし!!」
アルトがサクラに罵声を浴びせた。
「アルト、黙って! 黙ってよォッ!! アルトは見てないでしょ、サクラさんがどうしてこの部屋に来たかを!!」
メルの言葉に従い、アルトが黙る。
「サクラさんは、今日からのテスト戦、廃止させたの!」
「……え?」
俯いたままのサクラを、アルトが見つめる。
「どういう、こと、だよ?」
メルに聞くと、メルが首を振った。
「わたしから話したって……ダメだよ……。サクラさんに、聞いてよ」
ふっ、とサクラが自嘲気味に笑う。
「わたしから話したって、ダメだろう。キミたちが『見た』のは、事実だ。わたしはそちらの演習に関わっていないが、リノを『兵器』として育てていた。それが、『事実』だ」
だけど。
サクラが続ける。
「わたしはずっと、異議を唱え続けた。R1に名前をつけ、人間として生活させよう。常に、そう上層部に訴えかけた。訴えは一部だけ通ったよ。それが、『キミたちとの共同生活』だ。Rシリーズで現存しているのは、R1-A……リノと、R2-D……アルフレッド。この個体の現在の行方は結局判らなかったが……。あと、R2-L……アルト。ラストナンバーのR3-M……メルちゃん。連れてこられる人物がいたら、ここで共同生活をさせる。勿論、人間として。そういう約束で、現住所探しと現在の状況確認を行った」
アルトが、じっとサクラの胸倉を見た。
白めの肌が、少し赤くなっている。
悪いことをしてしまったのかもしれない。
話は続く。
「アルトの行方はすぐ判った。ヤナハシ主任は退職前と住所が変わっていなかったからね。しかし、夫妻が亡くなったすぐ後だった。アルト、キミのところに探偵が来ただろう? キミの出生のコトと、ここに住まないか、というコトを話しに」
確かに、来た。
不審な人物だったが、話のつじつまはあっており、両方の祖父、祖母もとうに亡くなっていて、その一人息子と一人娘だった父母が亡くなり、孤児になってしまった自分にはそれしかないと、すぐに二つ返事をしたのを覚えている。
てっきりあれは、研究所の職員だと思っていたが、探偵だったのか。
「同時に、メルちゃんの行方もすぐ判った。メルちゃんは有名な雑誌の読者モデルをしていただろう? オッドアイの上に、紅い髪の子は目立つからね。わたしが覚えていたのは赤ちゃんの頃のメルちゃんだったけど。まぁ、探偵はプロだからね。すぐに住所を割り出して、メルちゃんのところにも交渉人が行った。そのすぐ後だ、メルちゃんのところでも、身内が相次いで亡くなったのは……」
メルも孤児になっていたのか。
アルトが横目でメルを見た。
楽天家な印象のあるメルの瞳が、少し潤んで見えた。
「かくして、共同生活プロジェクトは一応、進展を見せた。こうして、連れて来られたのがキミたちだったわけだ。しかし、展開が速すぎて、リノには名前がついていなかった。今まで『兵器』だったわけだからね、当然といえば当然かもしれない」
サクラが一息ついた。
「だが、問題があった。研究所で生活させるには、それなりの研究名目が必要だ。結果、リノは、『次世代のパワーユーザーを残すため』に研究が継続され、遺伝子上の結婚相手も決められた。対するキミたちは、『パワーユーザー・R1-Aの限界を知るため』の『パワーユーザー』として招かれることになった。そこで、考え出されたのがテスト戦だった。でも、それには、やっぱり、元々の研究名目が残ってしまった」
そこでだ。
「『わたしの特権』を使わせてもらって、今日からテスト戦を廃止させた。今後は、ESPカードとかでの研究が主になる。安心していいよ」
わたしの話はこれでおしまいだ。
サクラが穏やかな顔で微笑んで見せた。
しかし、アルトには1つ、疑問が残った。
『サクラの特権』って、なんだ?
「あの……。サクラ……さん。さっきは……」
「ああ、気にしなくていい。わたしも結局は研究所員。『兵器』としてリノを扱っていた過去は残る。ほかの所員と同罪だ」
それもそうかもしれないけど、そうじゃなくて。
アルトが、おずおずと聞く。
「サクラさんの特権、って、なに?」
本当に、テレパシー使えないんだねぇ、この子は。
サクラが少し照れたように笑って、一言。
「改めまして……リノの、『遺伝子上の父親』です」
「えっ、えええええェ!? リノのお父さんッ!?」
アルトが奇妙な叫び声を上げた。
「わたしが15のときの子なんだよね、リノは」
「え、じゃあ、サクラさん、34歳ってこと? っていうか、お、オレの……?」
「伯父だよ、わたしは」
さらっと言い放つサクラ。
そして、少し複雑な表情をして、呟いた。
「メルちゃんの伯父でもあるけど」
え、メル?
そう言って、まだ腕に抱きついている赤髪の少女を見つめるアルト。
「あ、わたし、リノとアルト、両方の妹でっす。サクラさんの双子の弟さんと、義理の妹さん……あれ、義理のお姉さんかな? ややこしいな……の遺伝子掛けあわせてあるんだって。それは、ここに来るかって説明を受けたときにちらっと聞いたけど?」
と、にっこり笑う、妹と判明した少女。
「オレは聞いてねぇ! なんだそのややこしいのは! って言うか、話戻るけど、それがどういう特権な訳だよ!」
「ん? わたしも『パワーユーザー』なんだよ、要するに。で、『研究所内、めちゃくちゃにするぞ?』って、上層部に喧嘩ふっかけてきた」
それは特権って言わねェ!!
「なんなんだ、アンタいったい! それ、単なる脅しじゃねーか!」
「悲しいなぁ、アルト。伯父さんを『アンタ』呼ばわりするなんて」
へらへら~っと笑ってみせるサクラ。
アルトは力が抜けて、メルを巻き込んで横になった。
「なに、アルト? リノだけじゃ飽き足らず、メルちゃんにまで手を出す気かい?」
「違う! 疲れたんだよ! あんな可哀想な記憶見たあとに、そんなオチが待ってたんじゃあ、落差がありすぎて寝転がりたくもなるぜ!」
「わたしを巻き込まなくてもよかったんじゃない?」
「お前がオレの腕、放さなかっただけだろうがよ!」
大きく息を吸って、アルトが酸欠気味の脳を活性化させる。
刹那、あの記憶の風景が頭をよぎったが、もう考えないようにした。
リノにも、あの記憶に触れることは言うまい。
今日からは、リノを人間として生きさせる。それが、自分の使命だ。
はぁー、なんなんだ、ここは。
アルトが自分を納得させるかのように、大きな声で言う。
それしか、あの光景を吹っ切る方法がなかった。
そんな彼の思いを知ってか知らずか、ははは、とサクラが半端な笑いを返す。
あ、でも。
サクラが真剣な声で1つ注意した。
「まだ、リノを『兵器』として扱おうとしている人間は研究所内にうようよいる。いつ、また『兵器開発』になるかも判らない」
そのときは……。
「わたしは、研究所全部を敵に回すつもりだ」
アルトのほうからは、サクラの表情をうかがい知ることは出来なかったが、彼のほうから、冷たい空気が流れた気がした。
昨日の昼食のとき、アルトが彼から感じたのと同じものだ。
多分、これこそが、彼が『パワーユーザー』である証拠なんだろう。
だが、サクラはまた、ころっと声の調子を変えた。
「まあ、伯父さんに任せなさい。アルト、メルちゃん。それから……」
タヌキ寝入りしている我が息子よ。
サクラが呼びかけると、リノがむくり、と起きた。
そして、真っ赤な顔をして、サクラを上目遣いで見て、一言。
「お、オトウサン……だったんだ……。サクラさんって……」
「いつから起きてたんだい、リノ」
「アルトが変な声を上げたときに目が覚めたの……。そ、そのっ、サク……じゃない、オトウサン……」
サクラさん、でいいよ。
「わたしも父親っていう自覚ないからね。精子提供しただけだし」
「セーシ?」
あわわわわ。
慌てて起き上がったアルトが、リノの口を塞ぐ。
「リノはまだ知らなくていいッ! ちゃんと人間らしくなってからにしよう! な!?」
「ん? うん」
素直なリノにほっとして、アルトが彼をぎゅうっと抱きしめた。
「痛いよ、アルト」
「……もうちょい、こうさせて」
「いいけど」
さて。
サクラが立ち上がって、ドア近くに置いた荷物をがたがたと動かした。
「アルト、思う存分リノを抱きしめたら、手伝ってくれないか? TVとラジオはダメだったけど、CDプレイヤーは置いてもいいって言われたからね。昨日、急いで繁華街まで出て、キミがメモに書いたもの殆ど一通り買ってきた」
「TVもラジオもないなんて、あんまり人間らしくない生活ですね」
メルがいうと、オレには判るな、とアルトがいう。
「リノには刺激強すぎるよな。例えばさ、TVでベッドシーンが出てきて、リノが見ちゃったら、なんて説明するんだよ、お前?」
「アレで子供作るんだよ、って言うよ?」
リノが首を傾げると、お前はいいの、と、アルトがリノの頭を撫でた。
リノが嬉しそうに笑うのを見て、メルのほうに向き直り、サクラが問う。
「メルちゃん、それ、ああいう反応する子に言えるかな?」
「あはははは……ごめんなさい。確かにそれは言えないや」
でしょ。
サクラがいいながら、いろいろなものを殺風景な部屋に並べ始めた。
リノを放したアルトと、起き上がったメルが、それを手伝い始める。
その時。
「R1! 10分遅れだ! 早くしろ!」
外から、アイダの声が聞こえてきた。
戸惑っているリノの口に手を当て、サクラが代わりに答える。
「今日から戦闘演習は廃止だ、アイダ! 先ほど、所内通達を緊急で出したはずだが、まだ通告がいっていなかったのか!?」
アイダの声が返ってくる。
「そんなことは聞いていないし、関係ない。例え事実であったとしても、R1のみは通常通り、戦闘演習を行う。さっさと準備させろ。それとも、わたしが準備させてやろうか?」
「そんなことはさせない! アイダ、研究所の決定に従え!」
すぐあとに、明らかにイラついたアイダの声が返ってきた。
「イイダ。お前は、この研究所のスポンサーが誰だか忘れたか?」
サクラも少しイラついてきたのか、早口でまくし立てた。
「お前の父が名誉会長を務めている、『蓬田財閥(アイダザイバツ)』だよ、知っている! しかし、お前は一研究員で、立場的にはわたしの部下であることを忘れないで貰いたい!」
一瞬ためらいの間があって。
しかし、サクラは言い放った。
「そして、わたし自身も『パワーユーザー』であることも、承知して貰いたいね!」
「!」
アイダの、驚愕の声。
それからしばらくして、はっ、という笑い声と共に、こんな言葉の羅列が返ってきた。
「……お前だったのか、研究所内にいるという、『始まりの1人』は! まあいい。力でねじ伏せる気か、イイダ。いかにも人間未満のすることだな! いいからこの扉を開けろ!!」
また冷たい空気が流れた。
完全に頭にきたのか、サクラがその空気をまといながら、ドアのほうに近づき、ドアを入室許可に切り替えた。
そして、ドアを開け、アイダと対面すると……
「アイダ。少し痛い目に遭ってもらうぞ……!?」
と、彼を睨みつけた。
キィン、と金属の協和するような高い音がして、赤みがかったサクラの両目に光が宿る。
ガガガガガッ!
周りの空気が一瞬にして何本もの杭状の氷になり、アイダのほうに猛スピードで向かっていって、彼の周りを縫うかのように、壁に突き刺さった。
しかし、そのうちの一本は軌道が別で、アイダの鼻先でぴたりと止まっている。
氷はパワーで作ったといっても、氷でしかないのだろう。アイダの着ていたパワー相殺スーツは効かなかったようだ。
「……! この化け物め!」
アイダがサクラに向かって、暴言を吐き捨てる。
サクラが力を解いたのか、宙に浮いていた一本が、音を立てて床に落ちた。
「化け物で結構。この件についても、財閥にでも上層部にでも、好きなだけ報告すればいい。わたしは、この子たちの為だったら、全部を敵に回す覚悟はもう出来てる」
そう言い残し、サクラはドアを閉め、ドアのロックを入室不許可に切り替えた。
「覚えていろ! いずれまた、お前たちは管理されるんだ!」
アイダの捨て台詞に、サクラがポツリ、と呟いた。
「わたしは物覚えが悪いんだ。いちいち覚えていられるか」
おー……。
アルトが感嘆の声を上げた。
「かっこいいなぁ」
「かっこ悪いよ、わたしは。『パワーユーザー』だと……キミたちの『始まりの1人』だと、バレたくなくて、昨日はリノにスタンガンの恐怖を体験させてしまったんだからね」
悲しそうな目をして、荷物の移動を再開させるサクラ。
しばらく、沈黙が続く。
「オト……サクラさん」
珍しく、沈黙を破ったのはリノだった。
「ボクは、サクラさんをかっこいいと思う」
何をどうしていいか判らないリノは、1人、下の段のベッドに腰掛けた。
「確かに、アイダさんから受けた、あの棒の武器の攻撃は痛くて、怖かったよ。でも、ボクは、それ以上に、今日行われていたかもしれないテスト戦が怖かった」
震える両手をぎゅっと握り締め、リノが続ける。
「サクラさんは、自分のことをボクたちにバラしてまで、ボクたちを助けてくれた。……すごく、かっこいいと思う」
「……そうだよね」
サクラが設置したカラーボックスに小物を置きながら、メルが引き継ぐ。
「わたしは知ってたよ、聞いてたから。研究員のヒトの中に、わたしたちの血縁関係者がいるって。研究所に来てから、いろんな研究員の心が頭の中に入ってきたけど、みんな、血縁者が誰だか探り合ってた。サクラさんの心は上手く読めなかったし、読みたいとも思わなかったから、まさか、サクラさんがそうだとは思わなかったけど」
でもね……。
メルが続けた。
「わたしが……多分、アルトもそうだったと思うんだけど、世間に『特殊な人間』だって知られたくなくて、怯えていたのと同じように、サクラさんだって、知られたくなかったんだと思う」
テーブルの上に、画用紙の束とクレヨンの山をバラッと散らしながら、アルトもいう。
「アイダだって、さっきまで知らなかったじゃないか。アイツ、スポンサーの御曹司なんだろ? どーりで偉そうにしてるな、とは思ったけど……まあ、それはいいや。……アイツが知ったら、自分が『化け物』呼ばわりされるのも判ってたんだろ? でも、サクラさんはバラした。オレたちのためにね。……かっこいいじゃん」
ありがとう。
照れ隠しなのか、サクラはずいぶん素っ気無く3人に礼を言い、あらかた片付いた部屋を見て、手をパンパン、と叩いた。
「今日は、今までの機具の廃棄処分とかもあるみたいでね。わたしはデータ処理部だから、関係なくて暇なんだけど、研究実行部のほうはゴタゴタに巻き込まれて休みらしい。すまないね、研究所の方針が行き当たりばったりで」
「いや、いいっすよ」
アルトが答えて、クッションに身を預けた。
他の2人も、それぞれクッションに身を預ける。
「そだ、アルトとメルちゃんの歓迎会やろうか?」
すると、リノがぴょんっ、と立ち上がり、両手を挙げた。
「わーい、賛成!」
「わぁ! 嬉しいです、サクラさん!」
メルも笑って、足をばたばたさせた。
「じゃあ、じゃんけんで、地下の貯蔵庫にあるジュースとお菓子、持って来る人決めようか!」
この提案がちょっとした事件というか、ハプニングに繋がったのだが、まあそれは、また今度の機会に語るとして、あえてここでは語るまい……。

夕方、浴場。
アルトとリノが、広い湯船の片隅に、肩を並べて浸かっていた。
リノの頭のバンドは、当然ながら外れており、真ん丸なその瞳は、濡れた長い前髪で隠れて見えない。
彼が入浴剤の入った、コーラ色のお湯を掬いながらいった。
「なんでメルちゃんはお風呂一緒に入らなかったんだろうね?」
「なんでって、そりゃ、地下行かなかったからだよ」
あ、そっかぁ。
「地下、埃っぽかったもんねぇ」
そうだけど、そうじゃねーけど。
アルトが口ごもったが、地下での出来事は思い出すだけで恥ずかしく、とてもじゃないが口にできそうになかった。
「そういうことにしとくよ」
「夕方からお風呂入れるなんて、ゼイタクだなぁ」
リノがくすくすと笑った。
「しかも、昨日夜中の当番だったアイダがいねーから、天国だよな」
「そう?」
「オレはそう」
アルトが座る位置を変えて、リノの真正面に来た。
そして、彼の長い前髪を真ん中で分ける。
「?」
丸くて綺麗なオッドアイに、アルトが映った。
「キス、していいか?」
リノが首を傾ぐ。
「? なんで?」
「記念」
「いいけど、なんの?」
オレにいわせんな。
アルトが彼の首筋にキスをして、吸い上げ、歯を立てた。
「……ッ、ちょっと痛い……。キスじゃないの?」
「これもキスなんだよ」
「や、痛い……。やめて、お願い……!」
リノの懇願に、アルトがおとなしく従う。
歯を立てられた位置を確かめるように、リノが首筋に触れた。
「もう……ッ。痕になっちゃったかも……」
「それでいいの」
アルトはしらっとした顔で、もう一度、リノの横に移動した。
「よくないよ、何するんだよぅ」
「文句言うと、違うところにも痕つけるぞ?」
「……例えば?」
リノの素朴な問いに、アルトが意地悪そうに笑って彼を抱き寄せ、彼の身体の一部分を触った。
「こことか?」
「だ、ダメだよぅ! なに考えてるの、アルトってば!」
「そうそう他人に見せる場所じゃないだろ?」
リノが困った顔をする。
「……うぅ。でもォ……ダメ、だよぅ」
逃げるように、リノが湯船から上がる。
アルトは湯船のふちに頬杖をついて、湯船から上がったリノのその部分を見つめた。
「そこは敏感だから?」
くすくすと意地悪く笑う、遺伝子上の従弟に、リノが頬を染めて聞く。
「……痕、もっとつけたいの?」
「出来ればね」
真剣ともおふざけとも取れない調子の声。
こういうとき、アルトの心は雑音が多すぎて、肝心の部分が聞き取れない。
困った従兄は、首を傾げて尋ねた。
「……コイビトは……?」
「ん?」
小さい声に、アルトが聞き返す。
「コイビト同士は、そういうことするの……? 普通、なの……?」
はっきりそう尋ねられると、なんと答えていいのか判らない。
しばらく考えて、オレは、と返した。
「昔の恋人には、そこに痕つけた。『この娘はオレのものだから、誰も触るな』って思って」
答えてから、しまった、と思った。
リノの表情が、切ないような、寂しいような色に染まったからだった。
「アルトには、昔にも、いたんだ……?」
確かに、アルトには、過去に恋人がいた。
デートもした、キスもした。性的交渉も一通り済ませた。そして、さっき言ったように、自分のものだ、とキスマークをつけた。相手も、それを受け入れた。
しかし、それは過去の話だ。
今、恋の相手として好きなのはリノであり、それ以外に存在しない。
何よりも愛しい存在。
なのに。
「……今好きなのは、お前だけだよ。過去は過去でしかないし……」
心が痛んだ。
過去の恋人と別れたことを思い出して。
そう。
彼女も、言ったのだ。
研究所の人間と同じような目で、アルトを見たのだ。
『化け物!』
雨の日……2人で歩いていて。
そこに、スリップしたトラックが突っ込んできて。
彼女を守るには、力が必要だった。
仕方なしに、バーストをフルに使った。
アルトは多分、Rシリーズで最もバースト能力を強化された個体なのだろう。
『パワー』を使った瞬間、トラックは、粉々に吹っ飛んだ。
彼女は守れた。
トラックの運転手も、幸いなことに無事だった。
力の使いすぎで、息を切らせて、クラクラになった頭で、何とか彼女に聞いた。
『大丈夫、か?』
だが、それは、他の人間の目からすれば、人間以外の、気味の悪いモノがやった行為にしか見えなかった。
アルトの、自然界には存在しない濃紫の地毛を、綺麗だ、といったその口が。
不自然なまで、鮮やかなオッドアイを、個性だ、といったその声が。
恐怖に染まって、叫んだのだ。
『化け物!』
偶然にも、その次の日、両親が亡くなった。
訃報を聞いた瞬間、アルトの、平和で幸せだった世界が、終わった。
「……」
はっと我に返り、アルトは湯船から出て、自分を見つめていたリノには目もくれず、シャワーを水にして、頭から浴びた。
「アルト……」
リノの震えた声。
記憶の中の、彼女の声と被る。
幼馴染だった、綺麗な少女。
もう、会うこともないだろう。
「なんでもない。忘れろ、もう痕をつけたりなんかしないから」
冷たい水を頭から浴びながら、アルトがイラついた声で答えた。
と、ヒトの肌の温もりを、背中が感じた。
「リノ?」
シャワーを止める。
今は冬だ。リノにまで冷たい水を浴びせて、風邪でも引かせたら大変だ。
「……リノ、ごめん。オレ、今イラついてて……」
だから、離れてくれ。
そういおうとしたとき。
「…………痕、つけて」
震える声に、振り返る。
「……リノ?」
「ボクは……」
涙を流していたのだろう、彼の白目は真っ赤に充血していた。
「なんで、泣いて……」
そこまで言いかけて、はっとした。
コイツも『パワーユーザー』だ。
もしかして……。
「ゴメン……。記憶、見えたの……」
「……」
やっぱりか。
アルトが複雑な思いで、リノのほうに身体の向きを変える。
「ね。痕、つけて」
「お前は……アイツじゃないから」
「だから、もう痕はつけないの?」
イラつきと、悲しみと。少しの嬉しさと。
何もいえない。いいたくない。
「じゃあ」
リノが、そっとアルトを抱きしめた。
鼓動が聞こえる。
少し、早い鼓動。
「ボクが、キミに痕をつけてもいい?」
「……」
「いいよね? ……つけるよ?」
柔らかい唇の感触が首筋に降りた。
少し戸惑いながら、そこを舐める舌の感触と、吸い上げる感触と。
ひたすら、そこの感覚に神経を集中させる。
温かくて、くすぐったい。
「……ッ!」
リノが、さっき自分がしたように、軽く歯を立てた。
「う……」
唇が離れる。
「おしまい。……ちゃんと痕ついたよ」
アルトが思わずそこを触ると、リノが恥ずかしそうに笑いながら首を傾げた。
「お揃い。……ね?」
少しだけ、アルトが笑う。
「馬鹿だな、お揃いにする必要ないんだぞ、こんなもの」
「いいの、ボクがしたかったからしただけだもん」
そのあと、少し沈黙して。
どちらともなしに、唇を重ねあった。

「で、言い訳は?」
両手に体温計を持ったサクラが、毛布に包まった自分の息子と甥っ子を交互に見た。
体温計は両方とも、37.2度。
決して健康とはいえない数値は、言い訳を考えている2人のモノだった。
「湯冷めしました……」
「くしゅんっ」
きゃははっ。
メルが楽しげに笑った。
「お風呂でもエッチなことするからだよー」
「ばっ、バカッ! メル、お前、ヒトの心見んなッ! 見てもはっきりいうんじゃねぇっ!」
「くしゅんっ、くしゅんっ」
体温計をしまって、サクラがため息をついた。
「全くもう。湯船にもろくに浸からないで、3時間も浴場で過ごす子がいるかい?」
「な、なんで殆ど湯船に浸かってないって判ったんすか?」
「アルト。キミはテレパシーこそ使えないものの、周りに思考がダダ漏れだよ。明日からそこら辺、訓練しようね。すごい恥ずかしいコトをリノと延々としてたの、まる判りだから」
げっ。
熱のせいで赤かったアルトの顔に、青みが差した。
「自重しなさい、一応、同性同士で、従兄弟同士だよ?」
「浴場だけに欲情してたんだね~」
楽しそうにコロコロ笑うメルに、サクラが肩を落とした。
「メルちゃん、それすごい寒いギャグだね」
「あ、ダメですか。座布団没収?」
「うん、全部持ってって、って感じ」
サクラの座布団没収発言に、メルが頬をぷーっと膨らませた。
「せっかくうまいこと考えたと思ったのにー」
「うーん、ネタの選択がよくないな」
腕を組んで、サクラが首を振った。
「じゃあ、『バイは倍楽しいが、ゲイは身を助けず』ってどうですか?」
とびきりの笑顔を浮かべた彼女の両肩を、サクラがぽんと叩く。
「お願いだから、下ネタから離れて……。メルちゃん、可愛いのが台無し」
「へっ?」
可愛いといわれて、メルが赤くなった。
「あ、カンチガイしないでッ。別に特殊な意味はないからッ」
サクラが慌てて否定すると、メルが途端にシュン、と落ち込んだ。
「ん? なんで落ち込むんだい?」
それを見て、アルトがぷっ、と笑う。
その笑いに気付いたサクラが、うーん?と考えた。
「アルト、その笑いの意味はなんだい?」
「さあ、なんでしょう?」
「リノ、なんだか判る?」
「くしゅんっ、くしゅんっ」
あ、それどころじゃないんだね。
呟いて、眉をひそめたサクラが、メガネを外す。
「?」
「……」
伊達メガネだったのだろう。はっきり見えていそうな視線を、メルに向けるサクラ。
「…………」
しばらく、見つめ合う2人。
「………………あっ」
と、同時に頬を真っ赤に染め、視線を外した。
アルトがほうほう、と頷く。
「くしゅんっ」
リノのくしゃみを合図に、メルとサクラがそわそわしだした。
「その、あの、サクラさん?」
「え、あ、ああ、なにかな?」
「…………」
「…………」
お互いに背中を向け合い、沈黙。
くっくっくっ……。
アルトの笑い声が響く。
「くしゅんっ」
また、リノのくしゃみを合図にして、お互いに向き合い、視線を合わせる。
「……」
しかし、一言も出てこない。
しまいには。
「わ、わたし、海外っていうグァムが好きで……」
「あ、ああ、あそこは砂浜の水が綺麗だよね……」
どこかおかしな会話を始める始末。
しかも、本人たちは必死だし、通じてるつもりだから始末が悪い。
じれったくなったアルトが、ボソッと一言呟いた。
「キスでもすれば?」
「な、ななな、何言ってんの、アルト――――!?」
「そ、そそそ、そうだぞッ、何言ってるんだい!?」
一緒になって詰め寄る2人に、アルトがだって、と言って、視線を向ける。
「他人から見ても、明らかに両想いじゃん」
「リョウ……?」
「オモイ……?」
メルとサクラが顔を見合わせて、何かを言おうと口をパクパクさせる。
あー、めんどくせェな、このフタリ。
アルトが呟いて、自分の隣を見た。
そして、鼻をぐしぐしいわせているリノの手を取る。
「さっ、リノ。オレたちは自分の部屋でイチャイチャしよっか」
風邪の所為で、少し足取りが重いリノの背中を押して、アルトが医務室の扉をくぐった。
そして、振り向き、べーっと舌を出して、一言。
「ごゆっくり」
ぱたんっ。
「……」
沈黙。
『くしゅんっ』
廊下から、リノのくしゃみが聞こえた。
それを合図に、サクラが、メルの両手をぎゅっと掴んで、自分の胸元へ寄せた。
「あのっ……。サクラさ……」
「……何も、言わないでくれ」
一歩、メルが前へ出た。
サクラが屈む。
「……」
呼吸が聞こえる距離。
違う人間なのに、同じように息をしている不思議。
「だけど……」
「焦らないで」
ただただ、お互いの瞳にお互いを映す。
「言わせて、サクラさん」
「いや、言わせたくない」
打ち合わせもしていないのに、ゆっくりと呼吸のリズムが合わさっていく。
静かな、静かなリズム。
「でも……ッ」
「判る、から」
だから。
「僕の呼吸にだけ、神経を向けて」
1、2、3……
メルが、ひとつひとつの呼吸を、大切な宝物のように数え始めた。
鼓動まで聞こえてきそうな沈黙の中……ひとつだけ光る言葉。
「キミが、好きだ」
そして、ふたつのリズムが完全にひとつのリズムになったとき。
医務室の床のシルエットも、自然にひとつになっていた。

住居スペース。
「くしゅんっ」
リノの肩には、アルトが、この研究所に来るときに着ていたジャケット。
しかし、丈が短い。
「寒いか?」
「くしゅんっ」
「ん。なら、いい。……喉渇いたな」
アルトがペットボトルの烏龍茶を一気に飲み干した。
そして、座っている脇に、空のペットボトルを転がす。
「サクラさんって、いわゆるロリコンだったんだな」
「くしゅんっ」
「でもさ、さして特殊な性癖でもねぇと思うけどな」
「くしゅんっ」
ははっ。アルトが笑う。
「無理に返事しようとしなくていいぜ。オレの独り言だからさ」
「うー……」
「ところでさ、もうすぐ夕飯?」
「う~」
「え、嘘。あとそんなにあるのかよ。腹減ったのに」
まったく通じていないような会話。
「あうお、おくろいっへうころ、わかうろ?」
ようやく、リノが言葉らしきものを発した。
「ああ、通じてるよ。当たり前じゃん」
「らっれ、おく、おろんろあいおいっへはいほ?」
「うーん。でも、判るんだよな、不思議なことに」
「ひっふほっへ」
アルトがティッシュを一枚とって、リノに渡す。
「はい、ティッシュ」
「ぐしゅっ……ぐしゅっ」
「拭くだけじゃなくて、鼻かめよ。ああもう、ガキだなぁ、お前は」
ティッシュを何枚かとって、鼻をかませるアルト。
そこに。
「た、ただいま。ドア、開けてくれない?」
控えめな、メルの声。
「あ、あのっ……。リノ、アルト……」
「開いてるから、入ってこいよ」
リノの頭を撫でながら、さらっというアルト。
パタン。
「たッ……ただいま……ッ」
「くしゅんっ」
くっくっくっ……。
リノのくしゃみを聞いて、アルトが笑う。
「リノも結果が気になるんだよなー。判る、判る」
「う、うぅ」
耳まで真っ赤にして、クッションに腰掛けるメル。
その髪の毛から、水滴が落ちた。
「ん? 風呂入ってきたんだ?」
まだ濡れている髪の毛を見て、アルトが聞く。
必死にこくこく頷く彼女を見て、ぷっ、と笑う。
「サクラさんとだろ?」
「……アルト、テレパシー使えないフリしてただけ?」
「いや、本気で使えねーよ、そんなモン」
「じゃあ、なんで判ったの?」
「勘。つーか……。へえぇ、どっちが誘ったん?」
ばしっ。
「乙女に聞きすぎ。殴るよ?」
アルトの身体にコブシをめり込ませるメル。
「もう殴ってるだろうがよ!」
いてて、とその部分を擦るアルト。
と、ニヤニヤしながら、でも判ったぜ、と得意げに言う。
「そっかそっか、メルからか。へえぇ、大胆だなぁ」
「もーっ! わたしがバースト使えたなら、アルトのことノシちゃうのにっ!!」
「あっはっは、メルには無理無理!」
ケラケラ笑って、自分の頭をよしよし、と撫でるアルトに頭に来たのか、頬をぷーっと膨らませるメル。
「あっはっは、可愛い顔が台無し! しっかし、お前、なんの雑誌のモデルやってたの?」
「ピーチレモンズ。ローティーンズ雑誌ね。もうすぐモデル卒業だったんだけどなぁ」
「アレね。アレのモデル、幼馴染も応募したけど、落っこってたぜ? そーとーレベル高いんじゃない?」
「なに? 幼馴染さん、美人だったの?」
アルトは、あの思い出がよぎったのか、しばし考えて、
「や、たいしたことねーよ」
と答え、メルと遊ぶのをよした。
途端。
メルが後ろから、痛いほどぎゅっと抱きついてきた。
「ば、バカ! メル、お前、リノの前で何やって……!」
あわてるアルトの声は、
「うわぁぁぁぁん!!」
メルの大泣きでかき消された。
見えてしまったのだろうか。
メルの腕をほどき、自分と向かい合わせにして、彼女の両手をぎゅっと握る。
「泣くなよ。な? なんでもないだろ?」
「だって、だって、アルトが……! ゴメン……! 思い出させちゃったよぉ……!!」
「オレなら大丈夫だから」
「だって……」
そこに、ちょっと複雑そうな顔をして、リノが割って入る。
「へうたん、おくのあうおひはわったらめ」
「?」
メルが泣くのをよして、きょとんとする。
「なに? リノ、今、なんて言ったの?」
「『メルちゃん、ボクのアルトに触っちゃダメ』」
アルトが通訳しながらティッシュを取り、リノに鼻をかむように言う。
「よ、よく判るね……」
「余裕」
丸めたティッシュをぽいっとゴミ箱に投げて、小さくガッツポーズを取りながら、彼が答える。
「な、全然平気。だから、もういいんだよ」
「でも……」
「それより、そろそろ飯だろ。食いに行こうぜ。な?」
アルトがそう言って、メルの頭をポン、と撫でて、にっ、と笑った。

「ふぅ、食った食った」
メガネをかけたアルトが言いながら、かちゃかちゃと作業をする。
「あれ、メルちゃんは?」
まだ鼻をぐすぐすいわせているリノの言葉に、アルトがあれ?と、声を上げた。
「ああ、お前、食器片付けてていなかったっけ。メルは、今日からサクラさんの部屋で生活するってさ」
「あ、サクラさん、基本的にはこの研究所に住んでるからね」
サクラもさすが自分の伯父、というべきか、独占欲が強いんだろう。
作業を続けながら、ボーっとそんなことを思う。
「わぁ、アルト。それは何?」
リノの言った、それ、とは、アルトの作っていたものだった。
「ん? ピアスだよ。オレとお前と、メルの分」
ちゃらっ。
ピアスは、ドロップ型のかごの中に、クリアドロップが入っているものだった。
クリアドロップは、今朝、サクラから譲り受けたものだ。
「ぴあす?」
「耳につける飾り。どれ、つけてやるよ」
食堂から拝借した氷水をリノの左耳に当てて、針で穴を開け、ピアスをつけてやるアルト。
「わあ! すごい!」
「似合うよ。……いつもつけてろよ。制御装置の代わりだ」
アルトがメガネを外し、自分の耳に開いている穴に、ピアスを通した。
「ありがとう!」
リノが旧式の制御装置をはずし、アルトにぎゅっと抱きついた。
アルトがその髪の毛を撫で付ける。
「メルにも渡しに行こうぜ」
「うんっ」
2人で部屋を出て、暖房の切れた寒い廊下を、てくてくとエレベーターホールまで歩く。
ノンスリーブの寒そうなリノに、自分のジャケットを掛けて、手を繋ぐアルト。
嬉しそうにリノが笑って、首を傾げる。
サクラの個人スペースは5階。ここは2階。
エレベーターに乗り込み、5階へ。
5階に付いた瞬間に会ったのは、メルとサクラだった。
「あ」
全員分の声。
「今から2人のところに行くところだったの」
リノの声に、サクラの笑い声がかぶさる。
「あはは。こっちもだよ」
「ほれ、メル。プレゼント」
アルトがメルにピアスを投げてよこした。
メルが上手にキャッチして、ピアスを見、感嘆の声を上げる。
「ナニコレ、アルトが作ったの? 可愛いー」
サンキュ、とアルトが笑う。
「ピアス穴開いてるか?」
「開いてる開いてる。早速つけてもいい?」
「ああ」
メルが2人と同じように、左のピアス穴にピアスをつける。
「サクラさん、似合うかな?」
頬を染めて、自分の彼氏(兼伯父)に訊く少女に、彼氏は微笑みで返した。
「アルト、伯父さんにはないのかな?」
ちょっと意地悪く訊くサクラに、へっへー、とアルトがもうひとつ取り出した。
「あるに決まってるじゃん。ただ、クリアドロップは入ってないけどね」
ちゃらっ。
サクラに渡すと、彼は自分がつけていた濃紺のピアスをはずし、付け替えた。
「ピアス穴、もう1つ開けないとな」
そう言って、大事そうに、そのピアスを胸のポケットにしまうサクラ。
「……サクラさんのそのピアスの色って、メルのオッドアイと同じ配色ですよね」
アルトが言うと、サクラはバレたか、と苦笑いをした。
「わたしの初恋のヒトの瞳の色なんだ。要するに、メルちゃんのお母さん」
えーっ?と、メルが頬を膨らませる。
「あ、カンチガイしないで。今はメルちゃん一筋だし、彼女は卵子を提供してからすぐ、実験中の事故で、わたしの弟とともに亡くなってる」
メルの頭にぽん、と手を置いて、寂しそうに笑ったサクラは、すごく無理をしているようにも見えた。
「あ、用事思い出しちゃった。サクラさんも戻って」
メルがそう言って、サクラの腕を引っ張り、ほらほら、とせがむ。
「??」
「いいからいいから」
そういうメルに、首を傾げつつ、ついていくサクラ。
「じゃあね、リノ、アルト。おやすみー!」
ぽつん、と残された2人は、顔を見合わせた。
きっと、慰めるんだろうな、メル。
そんなことを思いつつ、アルトが、戻ろうか、と口を開いた。
「ね、アルト」
「なんだ?」
「……一緒に寝てもいい?」
「いいよ」
2人は、手を繋いでから、エレベーターのボタンを押して2階に戻り、来た道をゆっくり戻っていった。

朝早く、目が覚めたアルトは、まだ眠っているリノにキスをしてから、電気をつけて、テーブルに着いた。
メガネをかけて、クレヨンと紙を取り出す。
なんとなく、外の景色を描きたかった。
慣れた手つきで、クレヨンを操る。
「こんなだったかな」
描いたのは、一昨日、車の中から見た景色だ。
冬なのに、夏みたいな日差しで、水平線がきらきら輝いていて。
「……一昨日は綺麗だったよな」
「ん……」
反応するように、リノが短く声を発する。
「リノ、起きたのか?」
訊くと、リノがうん、と言って上体を起こした。
リノの身体から、はらりと毛布が落ち、裸体があらわになる。
「こんな寒いのに、上半身裸で寝るか、フツー」
「下も裸だよ」
「……ッ! 服着ろッ」
と、リノの身体から視線を外そうとしたとき、目に付いてしまった。
左の二の腕、上から3分の1辺りにあるR1という文字と、すぐ下にバーコードの刻印。
「お前……こんなのあったっけ?」
「あるよぉ。……アルトやメルちゃんにはないんだね。いいなぁ」
微笑みながら首を傾げるリノは、儚く見えた。
「痛かったんだ、これ付けられたとき……。ボク、泣いちゃってさ……」
「そりゃ、痛かっただろうさ……」
アルトがその部分を撫でさすった。
「もう、そんな思いさせないからな」
彼の言葉に、リノの目が潤み……
「これ、『おはよう』と、『ありがとう』のキス……」
と、口づけをしてきた。
リノの下半身もあらわになるが、そんなことはお構いナシだ。
深い深い口づけが終わった瞬間、アルトが顔を真っ赤にさせながらぷいっとそっぽを向いた。
「さっさと服着ろよ。昨日の昼はお前からだったけど、今度はオレから襲いかねないぞ?」
「はぁい」
素直に応じるリノを見て、ああ、やっぱりリノのことが好きだ、とアルトが思う。
着替え終わり、そんなアルトを、首を傾げて見つめるリノ。
「ん? オレがどうかしたか?」
「ううん、やっぱりボクは、アルトのことが好きなんだなぁ、って思って」
なんだ、同じことを思っていたのか。
そう思ったら、なんだか嬉しくって、アルトはふっ、と笑った。
でもなんだか、その感情を独り占めしたくて、話題を変える。
「飯、まだかな?」
「まだだよ」
と、リノがテーブルの上に視線を移し、その目をキラキラと輝かせた。
「わあ、綺麗な絵!」
「ん? サンキュー」
アルトは照れ隠しにそっけない返事をした。
「これは何を描いたの?」
え……?
一瞬、嫌な考えが頭をよぎった。
まさか。
……まさかだよな?
「外だよ」
……冗談だよな?
「外ってこんなに綺麗なんだ! いいなぁ!」
嘘だろ。
アルトが口だけで呟いた。
外を見たことすらないのか?
「ねぇ、これは空って言うんでしょ? こっちの下のは何?」
こんなに海の近くに住んでいるのに。
海すら見たことがないのか?
「……海、って言うんだ」
説明しながら、アルトはリノをきつく抱きしめた。
「アルト? 痛いよ」
アルトには、無邪気な声が痛かった。
思わず、涙がこぼれ落ちる。
「……アルト?」
「いつか、外に行こうな……」
「連れて行ってくれる?」
「ああ」
いつか絶対、連れて行く。
アルトは強く強く、心に誓った。
そして、感づかれないように涙をぬぐって、リノを放す。
「腹減った」
「ん、食堂行こう」
赤くなった眼を見せたくなくて、ふいっとそっぽを向いたアルトに、リノが謝る。
「……ごめんね……」
「……なにがだよ?」
「アルトの絵、何も判らないのにとやかく言っちゃって」
「別に怒ってなんかねーから。ただ……」
お前が可哀想に思っただけだよ。
言えなくて、無言でドアを開けた。
まだ暖房が入ってない廊下から、風が少し入ってきて冷たかった。
「行くぞ、リノ」
「うん」
先を進むアルトと、それに従うリノ。
食堂に近付くにしたがい、チーズの焼けた匂いがし始めると、やっと2人の緊張が解け始めた。
アルトが振り返る。
「リノ。今日、なんだろうな?」
「多分、ハムチーズトースト!」
機嫌を直したと思ったんだろう、リノが嬉しそうに笑う。
「ハムチーズトーストか。おいしそうだな」
アルトが前を向き直る。
と、視線にサクラとメルが入ってきた。
2人が持っているトレイの中には、ハムチーズトースト2枚と、レタスを添えたポテトサラダ、オニオンスープ。
「当たりだ」
「やった!」
アルトとリノがトレイを受け取って、手招きした2人のところへ向かう。
「何の話してたんだい、リノ。ずいぶん嬉しそうだけど」
サクラがニコニコしながら問う。
「ん? あのね、今日のご飯の献立当てたの!」
「へぇ、すごいじゃないか」
リノがますます嬉しそうに笑う。
「うんうん、すごい。いただきまーす。……あれ、アルト。眼、赤いよ? 寝不足?」
メルがオニオンスープを一口飲んで、首をかしげた。
まだ眼が赤かったか。
アルトはそんなとこ、とごまかして、いただきます、と言った。
そして、ウーロン茶を口に含む。
「またエッチなことしてたの?」
ぶっ!
メルの問いに、アルトが口に含んでいたウーロン茶を吹き出した。
「げほっ……。お前なぁ……。オレが……そ、んなに発情してるように見えるのか? げほっ……」
「うん、見える」
メルの即答。
がくっと項垂れるアルトを見て、サクラが笑いながら、こらこら、とメルを叱った。
「アルトは17歳の男の子なんだ。そういうことに興味があって当然だから、指摘するのはよしなさい」
サクラさん、その言い方もひでーよ。
そう言って、そこの2人だって。と、フォークでサクラとメルを指すアルト。
「昨日の夜、何あったのかなぁ? メル。首筋のそれ」
と、意地悪そうに笑う。
「む、虫刺されだもん!」
「へえ、この研究所、窓もないのに?」
「う……」
ニヤニヤ笑うアルトに、たじたじするメル。
「まあ、否定はしないよ、わたしは」
静かに言ってコーヒーを飲むサクラは、やはりみんなよりかは大人だった。
「ちぇ、サクラさんにも意地悪したつもりだったのに」
「わたしはそれくらいで動じたりしないよ」
「昨日はメルと一緒にワタワタしてたくせに」
「あ、あれはだなぁ……」
やっと動揺したな?
アルトが勝ち誇ったかのように笑う。
そこへ、昨日と同じようにアイダが訪れた。
「イイダ」
「なんだ?」
緊張でピーンと張りつめる空気。
「今日、名誉会長が視察に来られるそうだ」
「! 何故?」
「新しい被検体2体と、研究をご覧になりたいそうだ」
「聞いていない。何故急になんだ」
知るか。
冷たく言い放つアイダ。
「わたし名義で所内通達は出したはずだが? チェックを怠った貴様が悪い」
そして、子供たち3人に向き直り、声高に言った。
「せいぜい処分されないよう、おとなしくしていることだな!」
ゆっくりと去るアイダの背中を見て、アルトがべーっと舌を出した。
しかし、サクラの顔は怒りともつかない顔でこわばったままだ。
「アルト、メルちゃん。名誉会長は、アイダ以上に冷酷だ。くれぐれも気をつけるんだよ。勿論、リノもだ」
わたしも気をつける。
その後に再び摂り始めた食事の味なんて、アルトはちっとも覚えていなかった。

第一演習室。
「丸」
メルが答えると、研究員がカードをひっくり返した。
「正解」
次のカードを見せる。
「星」
同じようにひっくり返す。
「正解」
さっきから30分はやっているんじゃなかろうか。
アルトが退屈さにあくびする。
「交代。R1」
言われて、メルが椅子から離れ、その椅子にリノが座る。
研究員が机の上に、ランダムにカードを並べた。
「R1、星だけを避けて、全部めくりなさい」
「はい」
リノがゆっくり、しかし止まることなく、カードをめくっていく。
退屈だな。
そう思ったアルトは、ガラス戸の向こうを見た。
少し年老いた、見慣れない男性がアイダに付き添われ、他の研究員からうやうやしく扱われていた。
……あれが名誉会長か?
アルトが軽く睨み付けた。
ガラス戸越しにそれを見たサクラが、ジェスチャーでアルトを叱る。
「はいはい」
視線をリノのほうに戻しつつ、アルトが呟く。
「なんだ、R2。質問があるのか?」
演習室に入っていた他の研究員が、アルトを睨み付ける。
「別にありませーん」
アルトがおどけて返す。
「研究中は無駄口を叩くな」
「はいはい」
「返事は1回!」
「はい」
くっそ、やなヤツ。
アルトが腕を組んでむくれる。
その時、突然。

バンッ!!

「ぎゃあっ!!」
爆発音と共に、研究員の腕から出血して、彼が悲鳴を上げた。
「え……?」
アルトがリノを見た。
何か呟きながら、カードをめくるのをやめないリノ。
再び、爆発音。
「何だ、どうした!?」
「この力……。R1か? やめないか、R1!」
にわかに騒がしくなる室内。
リノはカードをめくり続ける。
バンッ!
「きゃあっ!」
メルのそばで、爆発が起きた。
「メル!」
バンッ!
次はアルトのそばで。
「うわぁっ!」
サクラが慌ててドアを開き、伊達メガネをかなぐり捨て、室内へ入って、アルトとメルの頭を覆うように抱いた。
「アルト! メルちゃん!」
サクラの瞳がリノを捕らえる。
その瞳に光を宿すと、唇をかみ締めた。
「そこっ!」
サクラの両目が力強く輝き、次に起きた爆発を、四角い、透明な箱で囲った。
しかし、箱が弱かったらしく、少し爆風が漏れる。
「サクラさん! オレを放して! オレに指示して! オレなら相殺できる!!」
「ダメだ、許可できない。危険すぎる!」
次々に起こる小爆発を相殺しながら、サクラが答える。
「でもっ……!」
最後の1枚を残して、カードをめくり終わったリノは、ゆっくり立ち上がった。
そして、両目に強い光を宿して、浮かび上がった。
周りには、光る球体を十数個、携えている。
「ははっ……」
少し笑うリノ。
「あはははは!!」
光り続ける両目から涙をポロポロ流しながら、高らかに笑い、周りの光る球体を補給しながら周りに放ち続ける彼は、まさしく『人間兵器』だった。
「死ネ! ミンナ、死ネ!!」
その言葉に、アルトの中で、何かが崩れていく音がした。
しかし。
「リノ……。リノを、止めなきゃ……!」
それでも、彼の心の中には、リノのことを愛しいと思う気持ちしかなかった。
サクラの腕から逃れ、宙高く浮かぶリノの前に立つアルト。
「リノ……! 判るか? アルトだよ」
バンッ!
リノが放った光の弾が、アルトの額に当たって、アルトの視界が紅く染まる。
「リノ。怖くないよ。さあ……」
それでも怯まず、アルトは優しく微笑んで、宙高く浮かぶリノに手を伸ばした。
バンッ!
差し伸ばしたほうの手も、光の弾にやられて出血する。
「アルト! 危険だ、戻れ!!」
サクラの言葉も聞かず、アルトは血が滴り落ちる手を、それでもリノに差し伸べ続ける。
「リノ……。おいで。お前が兵器だって何だって、オレには関係ない。オレは……」
バンッ!
伸ばした手とは反対の肩にも、痛みが走る。
「お前のこと、好きだよ。愛してる……!」
「ア……!」
一瞬、リノの表情が、正常に戻った気がした。
「あ、る、と……?」
「そうだよ。……さあ……!」
リノが光の球体を消し、床に着地して、アルトに近付く。
「あ……」
刹那。
バンッ!
リノは残酷な笑みを浮かべて、手を差し伸べていたアルトのわき腹を、拳で思いっきり殴った。
バーストつきだったのだろう。アルトは殴られた箇所から大量に出血して、そのまま横に倒れ込んだ。
「きゃあぁぁぁぁぁっ!!」
惨状を目の当たりにしたメルが、目を覆って叫ぶ。
アルトは気を失っているらしく、ぴくりとも動かない。
「あははははっ!!」
その彼の頭を踏みつけ、涙を流しながら声高に笑うリノ。
「メルちゃん、ここで自分の身を守ってて!」
サクラがそう言って、メルの側から離れ、リノの死角に滑り込んだ。
「おいたが過ぎるよ、リノ!!」
ガンッ!!
両目に光を宿らせて、リノの後頭部を強く叩くサクラ。
どさっ。
リノが倒れ込んだ。気を失ったらしい。
「R1!!」
アイダが、事態が収拾した演習室に入ってきた。
怪我人2名。
重傷者1名。
それがこの実験の結末だった。

「だから、もう一度説明しろと言っている!」
サクラが医務員に怒鳴り散らした。
「ですから、説明したくても出来ないんです。原因がさっぱり判らなくてですね……」
「のちに大きな病院に収容して、精密検査をしますが……。恐らく、テスト戦ごとに脳波をいじっていたことに原因があるかと……。脳波が狂っている可能性も否定できません」
別の医務員が説明する。
医務室。
いろんな線をつながれて、眠らされているリノ。
その脇で、頭や腕に包帯を巻かれた、痛々しい姿のアルトが横たわっていた。
「……イテェ……」
ぽつり、と呟いて、アルトが目を覚ました。
「アルト……! よかった!」
アルトに付きっきりだったメルが、アルトに抱きつく。
「いてててて! 痛いっての!」
サクラがそれを見て、胸を撫で下ろした。
「大丈夫かい、アルト」
「……うん、多分」
それはよかった。
遠慮しがちな笑いをサクラが浮かべた。
「……リノは?」
「…………脳波が狂っているかもしれないそうだ……」
「……そう……」
アルトが、横で眠らされているリノに視線を投げた。
身じろぎひとつしない。睡眠薬でも大量に投与されているんだろう。
アルトの表情が、苦痛にゆがんだ。
「アルト? 痛むの!?」
心配するメルに、アルトが首を振って答える。
「オレ……オレって……リノにしてみれば、ちっちゃい存在だったんだよな……」
「そんなことないよ! わたしは知ってるもん!!」
メルが強く否定する。
「わたしにはいっつも痛いほど伝わってた!! リノが本当にアルトのこと想ってるって!!」
だから。
メルが泣きながら訴える。
「リノを信じてあげて……!」
アルトが強い意志を持って、こくり、と頷いた。
「ところでさ、メル」
なに、とメルが訊き返す。
「リノにやられたところって、キュアじゃ治せないのか?」
ごめんね。メルが答えた。
「わたしのキュアの限界がそこまでだったの。これでも治したほうなんだよ」
「そっか。悪かったな」
アルトがベッドから立ち上がる。
そして、リノの側に立って、彼の手を握り締めた。
「リノ……」
「起きたようだな」
アイダと名誉会長が、医務室に入ってきた。
「これはこれは、名誉会長。R1のことはご安心ください。ただいま、検査入院できる病院を当たっているところです」
医務員が説明する。
しかし、名誉会長が言い放ったのは、全員が思いも寄らないことだった。
「いや、結構。病院は当たらなくてもいい」
「な、何故です?」
名誉会長が眉1つ動かさずに答える。
「R1は用済みだ。廃棄、または売却処分にする。代わりに……」
彼がチラッとアルトを見た。
「R2で人間兵器研究を続行する」
ガンッ!!
アルトがリノの寝ている検査台を力強く叩いた。
「てめぇ、何様のつもりだ!? あぁ!?」
「ほう、威勢のいい。いい兵器になりそうだな。キミのそういうところをかったんだよ」
「……!」
「では、わたしは退散するとしよう。……留有、ヘリの発着台まで送ってくれ」
「かしこまりました、お父さま」
2人が去った後、残されたのは絶望感漂う空気だった。
「R1を……廃棄……」
「または売却、か。鬼の名誉会長のなさりそうなことだ」
口々に言う医務員たち。
「イイダさん、R1に付き添うのはもうよしたほうが宜しいかと。どうせ、近々、処分される身です」
「だから見捨てろと?」
サクラが首を振りながら答える。
「それは血の通った人間のやることじゃない」
「しかし……」
「わたしのことは気にしなくていい。勝手に付き添わせてもらうよ。……アルト、メルちゃん。部屋に帰ってなさい」
しかし、2人も首を振った。
「オレも付き添う」
「わたしだって!」
それを聞いて、サクラがふっと笑った。
「いい子だね、2人とも。だから、大好きだよ」
3人で笑い合ってから、リノのそばに椅子を持ち込み、並んで座る。
(……なんとかならないのか? ……なんとか……!)
アルトがリノの手を握り締めながら、考えを巡らせる。
いつか外に連れて行くと、決心した矢先なのに。
売却なんてさせない。ましてや、廃棄だなんて。
隣に座ったサクラを見る。
伊達メガネのレンズが反射してよく見えないが、彼も同じ考えを巡らせているような……そんな雰囲気だった。
メルも、心配そうにサクラを見つめた。
2人の視線を受けて、サクラは両隣に頷いて返した。
「廃棄も売却もさせるつもりはないよ……。何とか食い止めてみせる」
だが、解決策が見当たらないようだった。
その時、背後から、乱暴にドアを開ける音が聞こえた。
「R1はまだ起きていないのか?」
……アイダだった。
「R1には、点滴で睡眠薬を投与し続けています。今起こすのは……」
医務員の答えに、アイダの、少し焦り気味の声が返ってきた。
「だったら、その点滴を引き抜け! 必要ないだろう!」
「また暴走を始めたら、怪我人どころか死者が出かねません。無理です!」
「くっ……!」
アイダがアルトの横に立って、検査台をガンッ、と叩いた。
「R2!」
アルトは、呼ばれたが、返事をしなかった。
すると、アイダから、気まずそうな声でこんな言葉が返ってきた。
「……悪かった。ヤナハシ・アルト。少し、わたしに付き合ってくれないか? ……話がある」
「オレには、アンタと話すことなんか、ない」
アルトがアイダのほうを見ずに、冷たく言い放つ。
「……頼む……! 大事なことなんだ……」
いつもとは違う弱々しい声にびっくりして、アルトがアイダのほうを向いた。
「頼む……!」
アルトがリノの手を離して、立ち上がる。
「……判った。サクラさん、メル。ちょっと行ってくる」
「……すまない。……こっちへ」
アルトは、アイダにいざなわれるまま、医務室を後にした……。

3階の片隅。
アイダの個人スペースまで連れられてきて、アルトは腕を組んだ。
「何のつもりだ、アイダ」
「……話をするだけだ。危害を加えるつもりはない」
「そりゃそうだろ。あんな真剣なアンタなんて、オレは初めて見た」
ははっ、真剣か。
「そうかもしれないな……」
アイダがそう言って、初めてサングラスを外した。
「……!」
アルトは、言葉にならない声を上げるしかなかった。
なぜなら。
その瞳は、アルトやリノ、メルほど不自然ではないにしろ、アルト、リノと同じ配色のオッドアイだったからだ。
「その瞳……?」
アルトには、そこまで言うのが精一杯だった。
何故だ?
名誉会長は、普通の茶色い瞳だったはず……。
アルトの考えていたことを汲んだのだろう、アイダがぽつり、と言った。
「名誉会長はわたしの実の父ではない。義父だ」
「義父……?」
「わたしはイイダのことを『始まりの1人』と言ったが、それを言うなら、わたしだってそうだ。ただ……」
アイダが悲しそうに目を伏せた。
「それはわたしの妹たちの話だが」
「……オレたちの『遺伝子上の母親』たちが……アイダの妹たち……?」
そうだ。
アイダが続ける。
「わたしは、亡くなった妹たちの代わりに、実験のサンプルとして、名誉会長の元に残されたんだ。『パワー』の素質はなかったが、それでもよい、と言われて……な」
ここからは哀れな男の、昔話として聞いて欲しい。
そう言って、彼は、なおも続ける。
「昔、仲のいい双子の姉妹と、その兄がいた。双子の姉妹は、兄のことを愛していて、兄もまた、双子のことを愛していた。結婚できないとは幼心で判っていながらも、想い続けた。『これから先も、ずっと共にあれ』と。しかし、妹たちはとある実験で、遺伝子上で結ばれた相手と死んでしまった。男はその相手を憎むしかなかった。でも、所詮死んでしまった者だ。憎んでもしょうがない。だが、相手も双子だった。……男は憎んだよ、相手の片割れのこともな。そこに、『実験のサンプルとして、自分を養子にしたい』という、実験提供者の申し入れ。男は快く引き受けた。片割れを憎み続けるために。自分の苗字に、その証拠を刻んで」
男は成長した。そして、この研究所へ配属になった。
アイダが自嘲気味に笑う。
「そこで見た、『R1』と呼ばれていた少年には驚いたよ。……愛する双子の生き写しだったんだ。男は、抑えていた気持ちを抑え切れそうになかった。黒い欲望が、言ったんだ。『あの子をモノにしてしまえ』、とね」
「だから、リノを抱いたのか?」
アルトが突き刺さるような声で言った。
「何も知らないリノを……無邪気で純粋なリノを、穢したのか!?」
「……今思えば、バカなことをしたよ。抱けば抱くほど、同性であるR1が愛しくなっていって……けれど、遠くなるんだ。想えば想うほど、あの子はわたしを避けていった。当然だがね」
アイダの瞳から、涙が一筋、流れた。
「あの子に避けられるほど、わたしの心は黒く淀んでいった。そして、どうしようもないことに、身体だけでも繋がっていたいと抱き続けたんだ。……わたしは、そんなどうしようもない自分が憎かった。だから、あの子にも辛く当たり続けた。……そして、時が流れ、お前がここに来た」
あの子はすぐにお前に懐いたな。
「正直、お前に嫉妬したよ。だが、今日、義父にR1処分宣告をされて、気がついた。わたしは、結局、あの子が大事なんだと。……R1を、逃がしたい。……アルト。協力してくれないだろうか……? 頼む……。わたしは、あの子の為なら、イイダを許すことだって、義父を裏切ることだって出来る」
「……話は判った」
アルトが静かに言った。
「1つ。サクラさん……、イイダ・サクラを許すこと。1つ。リノを3年間穢し続けたことを、リノ自身に謝ること。それさえすれば、オレは協力する」
「……約束する」
じゃあ。
アルトが包帯が巻かれた小指を差し出した。
「?」
アイダが不思議そうに返す。
「指きりだよ。よく、子供がやるだろ?」
「ガキだな、お前は」
「何だよ、あんたのためを思ってやってんだぜ? ほら」
アイダが、アルトの小指に小指を絡ませた。
アルトがそれをぶんぶん振りながら歌う。
「ゆーびきーりげんまん、うーそついたらはーりせんぼんのーます! 指きった!」
指を離し、アルトが無邪気に笑った。
「あんたの呪縛もこれで解ければいいな! 妹さんたちの死からも、リノを抱いた罪悪感からも!」
アイダはしばらくポカンとしていたが、
「ははっ……」
ぽろっ、と涙がこぼれた。
「はははっ……」
それはだんだんと量が多くなってゆき……。
「……ありがとう、アルト……!」
やがて彼は、声なき声を上げて泣き始めた……。

医務室に戻ったアルトとアイダは人払いをし、リノの点滴を引き抜き、彼が目覚めるのを待った。
そして、サクラとリノに事情を説明し、2人して謝った。
「いや、アルトは謝らなくても……。それに、アイダだって、わたしのことは構わないよ」
と、サクラ。
「ありがとう……」
と、横たわったまま、笑顔を見せるリノ。
2人の反応を見て、アルトとアイダは顔を見合わせて、ふっ、と笑った。
「でも、脱出させるにしても、リノは治療させないと。どうするんだ?」
サクラの問いに、アイダが答える。
「イイダがデータバンクの暗号キーを持っていたな? あそこからデータを持ち出す。知識の豊富な医者に見せれば、R1のどこに異常が生じているのか判るだろう。原本はコンピューターウィルスで破壊すれば、他の『パワーユーザー』が被害に遭うこともない筈だ」
なるほど。
サクラが頷く。
「この際だ。ヤナハシ・アルトとミサキ・メルも脱出させる。イイダ、お前はどうする? 名誉会長は、お前が『始まりの1人』だということを知っておられたぞ」
「この子たちも脱出させるんだったら、わたしも行くよ。潜伏先は、わたしが外の生活用に借りているマンションがちょうどいい筈だ。研究所には知られていない場所だからね」
アイダが頷いた。
「では、脱出はこのメンバーになるな」
「アイダも来るのか? 名誉会長を裏切ることになるぞ?」
サクラの問いに、アイダがふっ、と笑った。
「わたしが愛したR1や、わたしを許してくれたアルトを放っておくわけにはいくまい。義父への裏切りなど、どうってことはない。結局は、お前たちを逃がした罪で責められる。『毒を食らわば皿まで』だ」
それはそうとして。
それまで黙っていたメルが口を開いた。
「問題は決行日時よね。リノがいつまで正常でいられるか判らないもん」
そうだな。
アルトも口を開いた。
「決行日時は早ければ早いほどいいと思う。どうする?」
「明日の早朝4時、決行する。それで構わないか? イイダ」
ああ、判った。
サクラが頷く。
「では、わたしは通常職務に戻る。イイダ、子供たちを頼んだぞ」
アイダがそう言って、医務室を後にした。
しばし沈黙。
「アイダも結局は、リノのこと、大切だったんだな」
破ったのはアルト。
「そうだね。びっくりしたけど、すごく嬉しかった」
リノが答える。
アルトがリノの髪を撫で付けた。
「大丈夫か? 辛くないか?」
「ん。それより、キミに怪我させちゃったことのほうが辛いな」
「オレは大丈夫だよ。結構、丈夫に出来てるんだぜ。これでも」
「ウっソだぁ~! ホントはわたしがキュアかけたんだよーん」
4人が明るく笑う。
けれど、みんな判っていた。
これは、嵐の前の、ほんの少しの晴れ間なんだと。
しかし、誰もがそれを口に出すことはなかった。
未来を信じているからだ。
そう。
強く願えば、輝く未来は手に入れられる。
誰もがそう信じたからだ。
そして、それが通じ合ったからこそ、誰も何も言わなかった。
今はただ、今だけを見て。
明日だ。
決戦は、明日なのだ。

早朝、3時30分。
サクラがベッドから立ち上がり、メルを起こした。
「ん? サクラさん……? もう?」
「僕はデータセンターに行って、データの複製をしなきゃいけないから……。リノとアルトのところに行ってるといい。多分、2人とも起きてるよ」
メルがこくり、と頷いた。
サクラが自分のノートパソコンを持つ。
そして、メルと一緒に部屋を出て、エレベーターホールを目指す。
エレベーターはすぐに来た。
2人して乗り込んで、階数ボタンを押す。
サクラは、データセンターのある3階。
メルは、リノとアルトの部屋のある2階。
チン。
……3階に着いた。
「気をつけてね」
「メルちゃんもね」
キスを交わし、2人はそこで別れる。
サクラが渡り廊下を抜け、データセンターの前に行くと、アイダが既に待っていた。
「早いな、アイダ」
「イイダもな」
「寝付けなかっただけさ。それに、早ければ早いほどいい」
同感だ。
アイダが扉を開けた。
メインコンピュータは、眠らずに稼動している。
サクラが作業を始めた。
「何分で終わる?」
アイダが訊く。
「ジャスト30分だ」
サクラが答えると、アイダは壁に背を預け、腕を組んだ。
その手には、USBメモリ。
「それがウィルスか」
「ああ。かなり凶悪なものを作っておいた。LANで繋がっている他のパソコンも全部ストップするようにな」
それはありがたい。
サクラの呟きに、しかし、とアイダが返す。
「セキュリティーシステムは別のコンピュータで管理されているから、これでは破壊出来んがな」
そのことなんだが。
サクラが尋ねる。
「わたしの外出用IDでは、わたし1人の通行しか許されていないぞ。アイダのIDは無制限なのか?」
「ジャスト5名だ」
アイダが先ほどのサクラの口真似をして、ニヤリと笑う。
「ちょうどいい」
サクラも笑い返した。
一方、2階。
リノとアルトの部屋前。
メルがドアをノックすると、入室許可に切り替わり、アルトがメルを招き入れた。
具合が悪いのか、リノはベッドに横たわったままだ。
「リノ、大丈夫なの?」
メルが訊くと、リノが頼りなさそうに笑う。
「うん、ちょっと頭痛がするだけ。大丈夫だよ」
「まあ、座れよ」
アルトがメルに勧めた。
言われるがまま、クッションに身を預けるメル。
アルトはリノのベッドに、頭をぶつけないように腰掛けて、メルに訊いた。
「……サクラさんは?」
「今、データの複製してるよ。終わったら、多分ここに来ると思う」
「そか」
リノの髪を撫で付けながら、アルトが頷いた。
何分かかるか判らないが、きっちりとした性格のサクラさんのことだ、予定より遅くなることはないだろう。
アルトが思う。
「……ね、外ってどんなところ?」
リノが2人に尋ねた。
「空があって、地面……土があって、海があって」
アルトが答える。
「昼間は太陽の光で明るくて、夜は月と星が空に浮かんで」
メルが引き継ぐ。
「夜は暗いけれど、街の明かりがキラキラ輝いて」
「おいしいモノを売っている場所や、リノの読みたい本を売っている場所、素敵な音楽を売っている場所、デートに最適な場所があって」
「そうだ、お前の好きな植物がいっぱい生えている場所があるぞ」
「春は暖かくって、夏はちょっと暑いけど、プールとか海に行けば涼しいし、かき氷とかもおいしいし」
「秋はいろんな花や実が楽しめるし、冬は寒いけど、雪が降ったりして、雪で遊んだり……」
「とにかく、ここよりもずーっと楽しいところだよ!」
ずっと首で相槌を打っていたリノの瞳は、希望でキラキラ輝いていた。
「ボクもそこに行けるんだね?」
「行けるよ! わたしたちが絶対連れてく!」
「ボクもそこで遊んだり出来るんだね?」
「ああ、一緒に遊ぼう。きっと……いや、絶対楽しいからさ」
アルトが優しく微笑んだ。
ありがとう。
リノの瞳から、涙がこぼれる。
「泣くのはナシだぜ。まだ連れて行ってないからな」
「この作戦が成功したら、みんなで嬉し泣きしよう」
こくり、とリノが頷いた。
「わがまま1つ、言っていい?」
リノのお願いに、アルトが聞き返す。
「なんだ?」
「ボクね、2日後に誕生日なんだ。12月30日。だから、その時はみんなでお祝いしてよ」
「約束するよ。ほら、指きり。指きり、判るか?」
差し出された包帯の巻かれた小指に、知ってるよぉ、と首を傾げて笑いながら、リノが小指を絡ませる。
「ゆーびきーりげんまん、うーそついたらはーりせんぼんのーます」
「指きった!」
それを見て、メルも嬉しそうに笑う。
「わたし、実はお菓子作り大好きなの! 大きいケーキ作ってあげるからね!」
「うん! 楽しみにしてる!」
「おぉ、マジかよ。味は保障できるんだろうな?」
「何よ、失礼しちゃうなぁ、もうっ!」
3人で笑ったところに、ノック音。
「開いてますよ、サクラさん」
アルトが立ち上がってドアを開ける。
サクラとアイダだった。
「準備はいいかい? 3人とも」
リノが起き上がって立ち上がると同時に、メルも立ち上がった。
「大丈夫です」
「少し時間は早まったが、行くぞ」
アイダの言葉に、全員が頷き、部屋を出た。

1階。
暖房はいつもどおり切れていて、少し吹く隙間風が寒かった。
アルトがメルの肩に、着ていたジャケットをかける。
「ありがと」
「紳士だね、アルト」
サクラの言葉に、アルトが顔を真っ赤にして、別に、と呟いた。
「しかし、静かだな」
アルトが話題を変える。
「まさか、わたしたちがこんな計画を企てたとは誰も思っていないんだろう。まぁ、当然だが」
アイダが言う。
一行はそれを機に黙り、ひたすらに外界へのゲートを目指す。
その道のりは、長く長く感じられた。
やがて、ゲートが見えてくると、リノが呟いた。
「あそこが、外への出口……」
3日前に、アルトとメルが通った、あのゲートの前に着くと、アイダがIDカードを取り出して、機械に差し込んだ。
『あいだ・るあサマ。IDヲ確認致シマシタ。4名通行可能デス』
「!」
機械のアナウンスに、アイダが声を上げた。
「どういうことだ!?」
アイダがどうにかならないか、機械をいじる。
『名誉会長ヨリめっせーじガゴザイマス。読ミ上ゲマスカ?』
「表示するだけでいい」
イラついた声でアイダが答えると、機械のモニターにメッセージが表示された。
『ルア。お前が、R1をはじめとする被検体とイイダ・サクラ研究員を逃がすことを考慮し、このメッセージを残す。お前の権限を4名までに書き換え、イイダ・サクラの権限を剥奪した。無駄な抵抗はやめることだ』
「くっ!」
ガッシャン!!
アイダが液晶モニターを叩き割った。
「……アイダ……!」
サクラが心配そうに彼の顔を見上げた。
アイダが俯く。
「なあ、2回機械に通せばいい話じゃねーのか?」
アルトの問いに、サクラが首を振る。
「このIDでヒトが外出してしまうと、その研究員は不在とみなされ、研究所内からのアクセスは一切出来なくなるんだ。勿論、研究所外からアクセスしても、そこから出ることはセキュリティ的に出来ないようになっている。だから……」
サクラが唇を噛んだ。
その時、アイダが顔を上げ、ゲートを指差して言った。
「……お前たちだけで行け!」
「……! アンタはどうすんだよ!」
アルトが聞くと、アイダが初めて、心穏やかそうな笑顔を見せた。
「わたしはどうとでもなる。お前たちはこの研究所にいる限りは、自由になれはしない。さ、行くんだ」
そして、4人をゲートの外へ追いやろうとした。
「グッド・ラック」
「『グッド・ラック』じゃねぇ! なにカッコつけてんだ!! アンタだって無事じゃ済まないに決まってんだろ!!」
追いやられながら、がなるアルト。
しかし、その腕からするっとすり抜けた人物、1人。
「ボクも残ります、アイダさん」
リノだった。
「さよなら、アルト。短い間だったけど。……ダイスキだよ」
ピッ。
リノがゲートの開閉ボタンを押したらしい。
だんだんと、しかし、速度を上げて閉まっていくゲート。
「何でだよ、どうしてだよ!」
急いでゲートの内側に滑り込もうとするアルトを突き飛ばして、外に追いやるリノ。
「……キミのことがダイスキだから、だよ。判って……。ね?」
ガシャン!
ゲートによって、遮断された2人。
もう、会えない。
「……お前……?」
アイダが、リノに言葉にならない言葉で訊いた。
「アイダさん、ボクに考えがあるんです。拙いですけど、聞いてくれますか?」
「ああ」
アイダが頷いた。
一方、ゲートの外。
アルトはゲートのそばに座り込み、俯いて、一歩も動こうとしなかった。
「…………アルト、急いでとは言わないが……。移動しないと、じきに研究所員が出勤してくる」
サクラが、俯くアルトの肩に手を置いた。
「……研究所員が来れば、リノを奪還することも、アイダを救出することも、より困難になるだろう。機会を待とう。……アルト」
「お前がいなきゃ……」
ぽつり、とアルトが呟いた。
「お前がいなきゃ、意味ねーんだよ! リノの大バカヤロ――――ッ!!」
絶叫だった。
しかし、その絶叫でさえも、厚いゲートに遮られ、中に届くはずもなかった。
サクラとメルは、ただ彼を見つめているしかなかった……。

2日後。12月30日。
K市、某マンション。
そこに、アルト、サクラ、メルは潜伏していた。
研究所では、彼らの居場所は掴めていないんだろう。未だに何もない。
何もないのが不気味なくらいだが。
「……また食べてないの? アルト……」
部屋の隅で体育座りをしているアルトに、エプロン姿のメルが心配そうに話しかけた。
リビングには、1人分の食事が丸々、手付かずで残っていた。
「……食欲、ねーんだ……」
ポツリ、と返事をして、アルトがある一言を思い出す。
『ボクね、2日後に誕生日なんだ。12月30日。だから、その時はみんなでお祝いしてよ』
なにが誕生日だ。
お前がいなきゃ、何もかも意味がない。
それだけ想ってた。
それなのに。
サイテーの裏切りだ。
でも。
(お前のこと、まだ想ってる……)
そう思う自分は、女々しいんだろうか。
もう涙も枯れ果てた。
リノ。
今頃、お前はどうしてる?
少なくとも、まだ生きていて欲しい。
思考はぐるぐると同じところを廻る。
「アルト……」
メルが涙ぐんだ。
「アルト、メルちゃん! 大変だ!」
玄関から駆け込んできたサクラが、リビングのTVのスイッチを入れながら言う。
「名誉会長が逮捕されたらしい!!」
「えぇっ!?」
メルが叫ぶ。
「ほら、ニュース!!」
サクラとメルが、TVにかじりつく。
『……という内部告発により、ベクレル・シンク・ラボラトリは立ち入り禁止、アイダ元名誉会長は研究の指示をしていたということで、人権侵害の疑いで逮捕されました。アイダ元名誉会長は、被検体になった少年と少女の、義理の親族の殺害を指示したことも自供しており……』
「ホントだ!」
場面は変わり、記者会見場が映る。
そこには、サングラスを外し、正装したアイダの姿があった。
『本日付けで、蓬田財閥の会長に就任したアイダ・ルアと申します。このたびは、大変申し訳ありませんでした』
アイダが謝罪のお辞儀をすると、たくさんのフラッシュと質問が彼に浴びせられる。
だが、アルトの視線はTVには向かなかった。
耳は澄ませて、リノの安否だけは確実に聞き取ろうとしているが。
『わたくしども蓬田財閥と、ベクレル・シンク・ラボラトリは、これから、被検体となっていた子供たちの社会復帰を目標とすべく、組織一丸となって研究に努めてまいります』
そこで何かが起こったのか、TVからざわめきの声がいっそう高くなった。
『この少年は、件の少年なんですか!?』
ある記者の声を聞いて、アルトが憔悴しきった顔をやっとTVに向けた。
小さな液晶TVの画面を、遠くから見ても判る。ビリジアンブルーの髪。
『はい。この少年は、被検体のうちの1人です。研究所から外に出たこともなく、日々、実験を繰り返されていました。先日、検査をしたところ、脳波に乱れが見られたので、今は薬を投与して、様子を見ております。彼が1日も早く、社会に溶け込めるよう……』
そのあとの言葉なんて、アルトは聞いていなかった。
リノがいる。
TVという隔たりはあるけれど、生きている。
「……っ!」
枯れ果てたはずの涙があふれる。
アルトは涙を流しながら、TVに近付いた。
TVにリノが大写しになり、さまざまな質問が浴びせられる。
しかし、リノは質問には答えず、困ったような笑顔を浮かべて、ぽつりと、しかし、はっきりと、こう言った。
『作戦、終了。今すぐにそっちに行くから、待っててね』
アルトに向かってのメッセージなんだろう。
バカヤロウ。
アルトが涙を手で拭いながら、呟いた。
「今すぐって、今は記者会見中だろーがよ」
ところが。
外で、車のクラクションの音。
警告として鳴らしたのではないのは、すぐに判った。なぜなら、サクラの部屋は、道路に面していないからだ。
サクラが窓の外を見ると、黒い車が1台、停車していた。
運転席のほうから、人影が出てきて、眩しそうにサクラの部屋を見上げた。
……アイダだった。
「アイダ!」
サクラが嬉しそうな声を上げた。
「イイダ、なにが『研究所には知られてない』だ。筒抜けだったぞ、ここの住所」
そう言いながら、アイダが、助手席のドアを開けた。
助手席からも人影が出てきて、やはり眩しそうにして、サクラの部屋を見上げ、そして、両手を振った。
「リノ!」
サクラがますます嬉しそうに言う。
その名に反応して、アルトがドアを蹴破るようにして、部屋を出て行き、廊下を走る。
そして、マンションを出て、車のところへ走っていった。
「リノーッ!!」
「アルトッ!!」
リノがそれに気付いて、両手を広げて、迎え入れる準備をする。
アルトがリノのところに辿り着き、リノを力いっぱい抱きしめた。
リノも、それに負けまいとアルトを抱きしめ返す。
「アルトっ、会いたかったよ……ッ!」
リノの声は涙声だ。
「オレだって!! どんなに心配したか……。2日間、殆ど食事してねーんだからな!」
ごめん……。
肩越しに、嗚咽が聞こえてくる。
「もう絶対、こんなことは嫌だからな! 何があっても、オレはお前のそばにいる。いいな!?」
「うん……!」
そっと交わした口づけは、涙の味だった。
それを見せ付けられたアイダが、ふっ、と笑い、車にもたれかかる。
「アイダ、リノ!」
「アイダさん、リノ!」
サクラとメルが遅れて到着する。
「では、わたしは失礼する」
「ちょっと待って」
行こうとするアイダを、リノが止める。
「アイダさん、今日、何の日だか覚えてますか?」
リノの問いに、アイダがよどみなく答える。
「R1。いや、リノ。お前の誕生日だ。それがどうかしたのか?」
「ボク、アルトとメルちゃんに約束してもらったんです。今日の誕生日、祝ってもらうって。アイダさんにも祝ってほしいなと思って」
「……」
「最後のお願いです。聞いてもらえますか?」
最後のお願いになるとは思えんがな。
「いいだろう」
アイダが笑った。
「よーし。じゃあ、今日はお祝いだね! わたし、腕ふるって料理作っちゃうよ~! 勿論、大きなケーキもね!!」
「オレ、腹減った!」
「食欲がないってずーっと食べなかったのはどこの誰だい?」
「そ、それは心配事があったからで……。い、いいじゃんっ、もうっ!」
全員で笑う。
これが終わり。
そして、これからが始まり。
取りあえずは、
「リノ」
「ん?」
彼の誕生日を、心から祝おう。
まずは、それからだ。
「19歳の誕生日、おめでとう」

END.


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