日没。
一行は、アゼルマイン城の通用門から入城した。
「リノエリアさまの御所は通用門からほど近い位置です。先ほど部下に確認をしましたら、リノエリアさまもお目覚めだそうですので、ちょうどいい頃合いかと」
ドルケの言葉に、アルフレッドが眉をひそめた。
「ちょっと待ってよ。あの子の御所が通用門にほど近いって、侵入されたらどうするのさ」
「私も心苦しくはあるのですが……。代々リノエリアさまが使われているお部屋ですので、私の一存ではどうすることもできず……」
彼はそう言いながら、大きな建物に案内した。
「どうぞ。こちらです」
大きな建物は、佇まいこそ美しいが古びているのは否めず、皇女の住むようなものとは思えなかった。
ドルケがドアを開き、さっと膝を折る。
「ただいま帰りました」
「ドルケ。おかえりなさい」
聞き覚えのある高い声。
綺麗な緑の長い髪。
まぎれもない、リノだった。
「アルトさん、アルフレッドさん!」
着ているドレスの裾を乱すことなく、高い靴音を響かせて二人の元に駆け寄るリノ。アルフレッドはそれを抱き上げる。
「姫、ケガはない?」
「えへへへへ。おかげさまで!」
高く抱き上げられながら、リノはアルトを見た。彼の顔を浸食している紋様を見て、さっと顔色を変える。
「……ミカルドのですね」
アルフレッドに降ろしてもらったリノは、アルトの顔を確かめた。
「ミカルド?」
アルトが訊き返すと、リノが短く、私の弟です、と返す。
「私は、術式を見れば、術者が分かります。これは弟のミカルド……ランダリル三世が施している術式です。弟の得意とする術なら、大地の魔術ですから、あの魔術銃の弾丸に特殊な鉱石を媒体として魔術を込めたのでしょう」
それを聞き、ドルケが頭を垂れたまま発言する。
「不躾ながら申し上げます」
「なんでしょう」
「リノエリアさまに、その術を解くことはできないのでしょうか」
リノが悲しそうに首を振った。
「ミカルドの魔術であれば、せいぜいレベルは1でしょうから、解くことはたやすくできます。ですが、私の魔術は風の魔術です。相反する属性をぶつけると、アルトさんに負荷がかかりすぎる。ミカルドにお願いするほかないでしょう」
顔を上げてください。
リノがそう言って、ドルケを立ち上がらせた。
それから、来訪した三人に向かって言う。
「ミカルドは公務で忙しく、面会を取り付けられるのは早くとも真夜中になります。食事を用意しましたので、取り敢えずお待ちいただけませんか?」
**********
アゼルマインが飽食の国だというのは本当だった。目の前のごちそうを見て、アルトは思う。
エジャールでは珍しい、スパイスがたくさん入った鶏の香草焼き、新鮮な魚介類をすり潰したのであろうパテ、輝きすら美しいスープ、新鮮な野菜のサラダ、そして、城下町のいい匂いの元だったパン。それらが目の前の長いテーブルに所狭しと置かれ、見ているだけでも美味しい。
そう言えば、ろくに食べていなかった。思い出して、一瞬、身体に走る快楽よりも空腹が勝つ。しかも、腹の虫つきだ。アルトが顔を真っ赤にしてお腹を押さえる。
リノがくすりと笑い、彼に食事を勧めた。
「どうぞ、召しあがってくださいな。お口に合えばいいですけど」
アルトは申し訳なさそうにしてから、パンに手を伸ばした。こういうところでのテーブルマナーは知らないし、リノもそれを分かっていてくれて全部いっぺんに出してくれたのだろうが、それでもなんとなくバツが悪い。
手に持ったロールパンは意外に大きく、齧り付くのはマナー違反の気がした。カトラリーを使うのだろうか。ちぎっても大丈夫だろうか。思いつつ、少し割って、リノの顔を見る。
「あ、マナーなどはお気になさらず。私も知りません」
知らないはずなどない。が、知らない、と言ってくれたリノに感謝しつつ、そのままちぎって口に放り込んだ。旨い。香ばしい小麦の香りと甘さが、口の中にふわっと広がる。一口食べたのに、空腹感がさらに増してきたので、そのままロールパンを平らげた。もっと欲しいが、それを言うのはなんだか憚られる。
それを見て、リノがそばにいた給仕に頼んだ。
「すみません、彼にパンを」
彼女はそれがアルトに配られたのを見てから、にこりと笑って自らも食事を始めた。
そう言えば、彼女の食事は自分たちとは違う。食器も、こちらに出ている豪華なものとは違い、柄さえついていない質素なものだ。
リノの隣にいたアルフレッドは、そのことに気づき、疑問を投げかけた。
「姫はこっち食べないの?」
「私の食事はこれです。これしか食べるのを許されていない、とも言いますけれど」
言い方に棘があるが、よほどおいしいものなのかもしれない。そう思ったアルフレッドは、少し意地悪をしてやろうと、カトラリーを奪って、彼女のスープを一口飲んだ。
アルトがアルフレッドを叱ろうとするが、その前にアルフレッドが大きな声を上げた。
「まずっ! 味ないよこれ!」
その言葉を聞いて、リノが申し訳なさそうに微笑む。
「大丈夫ですか? 基礎魔力を上げるための食事ですので、魔法使いであるアルフレッドさんには害はないと思いますが、念の為お水で口をゆすいでくださいね」
彼女はそう言って、目の前のごちそうを羨ましそうに見た。
「アルフレッドさんが作ってくれたお食事、本当に美味しかったなあ……」
リノを挟んで左右にいる双子は、思わず顔を見合わせた。もしかしたら、この子は外にいる間もこの料理しか口にしていないのかもしれない。そうしたら、『味がする』アルフレッドの料理は、本当に美味しく感じたのだろう。それが例え、ひどく味の偏ったものであろうとも。
アルフレッドは水を煽ってから、自分の前に置かれたカトラリーを掴み、握りしめた。そして、そのまま無言で食事を再開した。
********
皇王に謁見が叶うまでと、双子とルアムが通された部屋は、リノの御所の二階にあった。
かび臭い部屋は、そのことから、あまり手入れされていないことがわかる。
「皇女って、なんなのさ」
アルフレッドは、ベッドに寝かせたアルトのバイタルを診ているルアムに向かって呟いた。
鼓動は早く、辛そうではあるが、あと少しなら持ってくれるだろう。
アルトの様子を伺いながら、ルアムがアルフレッドに言う。
「皇女殿下は皇女殿下だよ」
「そうじゃない!」
珍しく声を荒げ、アルフレッドは目の前のアゼル人に訴えかける。
「なにあの食事! なにこの住まい! 皇族が贅沢しろとは言わないけど、いくらなんでもひどすぎる! パンは確かに献上されてるんだろう、僕たちが頂いたものはすごく美味しかった! だけど、それが姫の口に入らないなら、全然意味ないでしょ!」
ルアムはしばし沈黙し、それから口を開いた。
「それが『リノエリア』さまだ」
「なにそれ、意味わかんない!」
「なら、聞いてみますか。私に」
怒りを顕にするアルフレッドの後ろから、高く響く声がした。
全員がそちらを向くと、そこにはリノが立って、真っ直ぐな瞳でこちらを見ていた。
「姫……」
「リノエリアさま」
うやうやしく膝をおるルアムにやめるよう告げ、彼女は双子に視線を向ける。
「あなたがたには、知る権利があります。知りたければ、私に聞きなさい」
その言い方は、敵国の皇女のそれだった。
双子は、彼女の瞳から、様子を伺おうとする。
彼女の瞳には少しの躊躇の色もなく、髪の毛も跳ねたりしていない。至って平静で、冷静だった。
「教えて、姫。僕は知りたい」
アルフレッドが彼女に聞く。
「キミは何者で、なぜあんな扱いを受けているのか。場合によっては……」
アルフレッドがルアムのほうをチラリと見た。
「僕は、キミを攫って、ビオトープに閉じ込めなきゃいけないかもしれない」
「アルフレッドっ、お前っ」
ルアムの叱責を視線で牽制し、リノはようやく少しだけ笑った。
「お話します。私の。『リノエリア』のことを」
彼女の口から話されたのは、想像を絶する歴史だった。