blueprism11

「あの時……。あの、雨の上がりかけた日、確かに僕はアルトを探してた」
 アルフレッドがぽつり、と呟く。
「見つけたのに。やっと見つけたのに、アルトは帰らないって言ったんだ。帰ってきてほしくて押し問答をしているうちに、この子は記憶を取り戻して……。仕方なく、デタラメの記憶を大量に書き込んだんだ」
 アルトはそれを聞きながら、カタカタと震える。
「でも、そんなことがあったのなら、僕は……。僕のしたことは……」
 アルトの抱きしめている本を、ルアムは半ば強引に取り上げた。箔押しの、『雨と少年』というタイトルが反射する。
「アルフレッド。マーキングを頼む」
「ちょっと待ってよ。そんなことを聞かされて、僕ができると思ってるの?」
 ルアムは、まるで反射のようにすぐさま答える。
「やらなければアルトは酷いことになるぞ。お前がそれに耐えられると思えない」
 それに反抗するかのように、アルフレッドも言い返す。
「じゃあ、アルトの気持ちはどうなるっていうんだ!」
 アルフレッドに近づき、襟ぐりをグッと掴むルアム。いつもは何事にも興味がなさそうな碧眼が怒りに燃えて、自分を親友と呼んだ少年を睨む。
「このまま放っておけば、アルトは私のもとに戻ってきてくれるのか? 違うだろう? 過去には戻れないんだ」
 ルアムが一つ、息を吐く。その大きな息遣いは、自分を抑えるためにも、諦めにも聞こえた。
「私がアルトにしてやれるのはこれくらいしかない。しかも、多分これが最初で最後だ」
 アルフレッドの襟元を離し、ルアムはうっすらと笑う。
「情けない男が、好きな子相手に格好つけることくらい、させてくれ」
 その言葉に、アルフレッドは顔を歪ませた。
「そんなの……断れるわけ、ないでしょ……」
 ルアムはアルトに向き直る。俯いたアルトは、彼の方を見ようとしなかったが、それを見たルアムは、あの頃と変わらないままの高さに位置する頭をそっと撫でた。
「この本は無くなるが、私の存在が消えるわけじゃないし、私の想いも、思い出も、消えるわけじゃないんだ。さっき言ったように、初版本なら私の手元に献本用として何冊かある。それで我慢してくれ。な?」
「オレ……お前を裏切った……」
 下を向いたままのアルトが、拳を握る。
「裏切ったのか?」
 頭を撫でたまま、ルアムは優しく聞き返す。
「帰ってこなかった」
「しょうがない」
 アルトが続ける。
「お前のこと忘れた」
「しょうがない」
 頭を撫でる手は止まることなく、優しい。
「違う人、好きになった」
「しょうがない」
「お前のこと好きって言ったのに!」
 アルトがボロボロと涙をこぼし、ルアムにしがみついた。ルアムはそれを抱きしめることなく、頭を撫で続けた。
「そうか、私は裏切られたのか」
 そう言って、なんだかおかしそうにルアムは笑う。
「だったら、一つ、願いを聞いてもらってもいいかな」
「……なんでも聞く」
 涙で濡れた顔を上げ、アルトは黒ずくめの青年を見た。碧眼はあの頃と変わらず透き通っている。
「この件がすべて終わったら、デートしよう。あのときの約束。それだけは守ってもらいたいんだ」
 透き通った目に、小さく自分が映っているのを見て、アルトは視線を反らした。このキレイな瞳が、大嘘つきで汚い自分を映しているのが耐えられなかった。もっとキレイなものだけを映せば、もっと正しいものだけを映せば、この青年は幸せだったかもしれないのに。
「……アルト。やはり、それは卑怯だろうか」
 答えていなかったことに気づき、アルトは彼の瞳を見ないようにして、大丈夫、と答える。
「約束する」
 アルトはルアムから離れ、居心地悪そうに涙を拭った。それを少し気にしつつ、そうそう、とルアムが付け足す。
「お前は私を裏切ったと思っているのかもしれないが、私はそう思ってはいない。少なくとも、お前たちの事情を知ってからは、一度もそんなことは考えたことがない。それだけは、覚えておいてくれ」
 ルアムはアルフレッドに本を渡す。戸惑ったように受け取るアルフレッドに、彼は声を掛けた。
「お前もだ。私は、これ以上の隠しごとには意味がないし、嫌だったから明かしただけで、それ以上でもそれ以下でもない。これまで通り、友人でいさせてほしい」
「……僕を責めないの? 僕の身勝手さが生み出したのに」
 先程も言ったが。ルアムが繰り返す。
「過去には戻れないんだ。私は後悔はしていない。お前が、自分を身勝手だと思うなら、今からでも直していけばいい。それだけだ」
 アルフレッドは俯いて、ありがとう、と答えた。それから、その手に持ったハードカバーに魔法をかけようとする。それをアルトが止めた。
「……オレにやらせてくれ」
 アルトは弟から本を受け取ると、タイトルを撫でた。そうして、過去を懐かしんだあと、決心したかのように術式を展開する。術式が放つ光に包まれた本は、サラサラと虹色を放って崩れ、やがてその姿を消した。アルトは小さく、誰にも聞こえないようにさよなら、と呟いて、二人の方を向く。
「アゼルマインの城下町。確かに繋がった」
「では行こうか。ゲートを出してくれ」
 ちょっと待ってよ。アルフレッドが止める。
「城下町に行くまではいいよ。でも、皇王にどうやって会うのさ?」
「あ、そうか。確かに。リノの知り合いって言っても信じてもらえねえだろうし」
 同調するアルトに、ルアムが目線を反らせた。
「変装は必要だが、城には入れる……と、思う」
 居心地が悪そうに、彼は続ける。
「実は兄が……。リノエリアさまの側近なんだ……」
 双子は顔を見合わせ、同時に声を発した。
「それマジ?」

 ********

 城下町、印刷所の裏手にゲートを繋げた一行は、不思議な色をした石畳の上に降り立った。
 辺りは焼き立てのパンのような薫りが漂っている。
「いい匂いだね」
 アルフレッドの言葉に、ルアムが答える。
「ここの特産は小麦でな。パン屋が多いんだ。皇族に献上するパンは毎年コンテストで選ばれ、たいへん名誉なこととされている。故に、みんな美味しいパンを作ることに必死なわけだ。どこの店も抜群に美味いぞ。今度、通行許可が降りたら正式に来い。食べ比べさせてやる」
 こっちだ、と手で指し示し、ルアムは双子を案内した。
 二人は普段着ている服ではなく、ルアムの小屋から引っ張り出してきたアゼル人の伝統衣装を着ている。普段は上で結んでいる髪をおろして耳を隠し、帽子をかぶって、どこに耳があるのか曖昧にさせた。アゼル人は感情によって髪の毛が跳ねたりするから、じっと見られればすぐにバレるだろうが、それでも変装しないよりはマシだ。
 服や帽子を取りに行ったとき、ルアムの小屋の前にはあの男の姿はなかった。去ったのか、喰われたのか。それはわからない。
「城の周りは警護が厳重で入れない。兄に連絡を取れるまでは身を潜めているしかないが、我慢してくれ」
 ルアムはそう言って、肩に乗せた黒い鷹を撫でた。この鷹は、小屋を建てたとき、双子がルアムに贈ったものだ。伝達係をこなす程度には人に慣れている。
 細い道や、なんだか分からない場所を潜り抜けて、人通りのない位置に出た。
「よし、行けっ」
 飼い主の声に従い、黒鷹は低空を、目立たないように飛んでいった。
「過去にも何度かこの方法で兄を呼び出しているし、撃ち落とされはしないはずだ」
 それを見送り、アルトは口を開く。
「お兄さんがいるのは前に聞いてたけど、まさかリノの側近だとは……」
「この国では、右人差し指の指輪で大体の身分がわかる。リノエリアさまが持っていらしたあの指輪は、兄と同じ身分のものだ。だから気づいたんだよ」
 アルフレッドはむー?と考える素振りを見せた。
「おかしくない? 姫がお兄さんと同じ身分だった可能性だってあったのに、なんであの子がリノエリアだと気づいたのさ」
 その言葉に、ルアムが目を逸らした。彼はしばらくそうしていたが、覚悟したかのように話し始める。
「……私も、宮仕えをした時期があってな。リノエリアさまのお側には行けなかったが、何度か遠くからお見かけしたんだ。あの通り、お美しい方だろう? なかなか忘れられるようなお顔ではないからな」
 そんな話をしているうちに、再び黒鷹の姿が見えた。ルアムは腕を上げ、そこに留まるように指示する。黒鷹が舞い降りると、彼は褒美をあげて撫でてやり、脚に着けた筒から手紙を取り出した。手紙を読む青年は、ほっと胸を撫で下ろす。
「十分後に通用門で会ってくれるそうだ」
 アルトはルアムの横顔を見て、複雑な顔をした。過去にこの青年は、自分のペンネームは兄の幼名から取ったと言った。そして、それを呼ばないでほしいと。もしかしたら、その兄に対して、何らかのコンプレックスを持っているのかもしれない。
 それは、アルフレッドに対する自分と同じだ。勉強ができて、身体を動かすことも上手で、人付き合いも巧く、美しい弟。そんな彼と比べて、自分は何もできなかったし何もなかった。それは今もだ。
 好きだ。愛してる。そんなふうに言われ続けて、それが惨めだったときもあった。母譲りの、弟そっくりな見た目は成長が止まり、いつまでも子供のまま。今も辞書を引きながらでないと大好きな本すら読むことができず、体力がない故に戦力にもなりはしない。そんな、なんの取り柄もない自分はアルフレッドに愛される資格なんてないと。
 兄を何度か呼び出している、とは聞いたが、あの小屋に行き着く前、ルアムが旅をしていたのは知っているし、その前に住んでいたのはここから遠く離れたあの人種混合地区。おそらく、兄とルアムは数えるほどしか会っていない。それほど仲良くはないのかもしれない。
 そうしたら、自分はまた、この生真面目な青年を傷つけているのではないだろうか。
 アルトは気づかれないように息を吐いて、自分の頬をそっと撫で、その感覚がより鋭敏になっていることに気づいた。もしかしたら、呪いを解くまでに身体が持たないかもしれない。
「通用門はここからそう遠くないが、それでもかなり歩く。急ごう」
 ルアムの声に、アルトは少しだけビックリして、彼を見た。不思議そうに自分を見返す青年に、アルトは小さくごめん、と謝る。
「ぼーっと、してた」
「紋様の効果が強くなってきたのか?」
「まだ大丈夫……」
「だが、顔色が良くない。無理はしないほうがいい。アルフレッド。背負ってやってくれ」
 ルアムの言葉に、アルフレッドは兄を担ぎ上げた。その途端、アルトは声を上げて弟を拒絶する。驚いたアルフレッドは、急いでアルトを降ろし、その場に座らせた。
 アルトは後ろにある壁に寄りかかり、そのまま倒れ込む。その顔色は紅く、息は荒い。
「ぁ、っ……。は、っ……」
「アルト……」
 アルフレッドが立ち尽くして、兄を見下ろす。
 ルアムは懐中時計を見、蓋を乱暴に閉じた。そして、革で出来たカバンを漁ると、コインの大量に入った麻袋をアルフレッドに渡す。
「その道を行けば宿がある。宿を取って、アルトの処置をしてやってくれ」
「ちょ、ちょっと待ってよ。キミは?」
「兄に一度会って、事情を説明してくる」
「……わかった。気をつけて」
「それはお前たちのほうだろう。目立つなよ」
 ルアムはそう言い残し、双子を置いて走り去っていった。
 アルフレッドはそれを見送ると、アルトをそっと抱き上げた。それにさえ甘い声を上げる兄の瞼に、アルフレッドは唇を落とす。
「もう少し、我慢して。いい子、だから……」
 彼はそう言って、親友が示した方角に歩き始めた。