【小説】岩男EXE/inter_weB第二章


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退院から、数日のち。
青い部屋。
あの日と同じように青い空を、彼は見ていた。
外からは、窓を閉めていても聞こえるような子供の笑い声。
それを聞いて、彼は顔を歪めた。
そして、大きなため息。
……たった1日だったけど、入院してた時は、楽しかったなァ…。
パパとママがいたし、久しぶりに一緒に遊べた。
何よりも、熱斗と一緒にいられたし……。
「……ふぅ」
今日は、熱斗は外で遊んでいる。
こんなに天気がいいのだから、家にいろ、と言うのは、確かに酷な話である。
でも……
このところ、いい天気が続いていて、ずっと熱斗を連れて行かれている。
朝少しの時間と、夜少ししか一緒にいられないのは、彩斗には苦痛だった。
熱斗の側にいたい。熱斗を感じていたい。
それだけなのに。

 

 

inter_weB第二章『サンフラワー』

 

 

「熱斗~……」
黄色の枕をぎゅっと抱きしめて、彩斗が呟いた。
「はぁい~?」
熱斗の声。
彩斗がビックリしてドアの方を見た。
ドアは開き、廊下の方に熱斗が立っている。
「熱斗」
お腹の辺りを押さえて、にっと笑う熱斗。
何かをお腹の中に隠し持っているのが一目で判る。
かなり大きい。
……ヌイグルミ?
だとしたら……
(メイルちゃんのかな)
彩斗は外に出た事がないため、隣の家のメイルとは面識がなかったが、窓から熱斗と遊ぶ姿を見て、メイルの事は知っていた。
赤毛の、可愛らしい女の子だということは窓という隔たりがあってもすぐ判る。
が、彩斗はメイルの事が好きではなかった。
いや。
嫌いだ、と断言してもいい。
(ずるいよな、熱斗のこと、すぐに誘っていっちゃうんだもん……)
しょうがない。
メイルは、熱斗に双子の兄がいることなんて知らないし(メイルの両親が、彩斗に迷惑をかけないように、彼の存在を明かしていない)、ましてや、その兄が病弱で外に出れないなんて知る由もない。
隣の家には、熱斗がいる。
メイルの認識は、それだけなのだ。
だが、そんなこと、彩斗だって知る由もない。
……熱斗がメイルちゃんの事好きなのは、構わない。
……でも、何か……何か、ヤダ。
彼は頬を膨らませて、ぷいっと横を向いた。
「……? どしたの、彩斗クン」
熱斗が不思議そうに首を傾げる。
「何でもない……」
不満そうに、彩斗が呟く。
彩斗が嫉妬してるなんて思ってもいない熱斗は、もう一度笑いかけた。
が、彩斗は笑いかけたいのをガマンして、一生懸命その顔を保つ。
……もぉっ。熱斗はホントにボクの気持ち判ってるのぉ……?
「彩斗クン、おみやげ!」
と、熱斗がシャツの下から、大きな花を出した。
熱斗の部屋と同じ色をした大きい花。
……ヒマワリだった。
「ふわっ?」
これは、いくらなんだってメイルちゃんの物じゃなさそうだ。
そう思った彩斗は、初めて見る物に、恐る恐る手を伸ばした。
指先に、ひやりとした、快い感覚。
この感覚に、彼は思い出せるものがあった。
……あ、これ。
「野菜……?」
彩斗は、植物を間近で見た事がなかった。
見て、触った事がある植物。しいて言えば、野菜。
だから、彼はこれを触って、野菜だと思ったのである。
「ち、違うよ。ヒマワリ!」
熱斗が訂正する。
「何これ? お外には、こんなものいっぱいあるの?」
ヒマワリは雑草ではないから、普通はいっぱい生えない。
実は熱斗、秋原公園で育てられていたヒマワリを、1つだけハサミでちょん切ってきたのだ(熱斗も、勿論彩斗も知らないが、実は、これは立派な犯罪である……)。
あまりにも綺麗で大きいヒマワリ。
彩斗クンにも見せてあげたい。
その為だけに。
「そうだよ!」
「うわぁ、すごぉい。見てみたいなァ……」
彩斗が、自分の顔より大きいヒマワリの花を、ぎゅっと抱きしめた。
植物独特の、青い匂いが彼を包む。
「お外の匂い……だね……?」
そっと瞼を閉じて、彩斗が呟いた。
暑いのも、寒いのも、彩斗には大敵だ。
故に光家では、窓を閉めて、エアコンで一定の温度を保っていた。
窓を閉めているのだから、外の匂いなんて入ってくる筈もない。
彩斗は土の匂いも、雨の匂いも、キンモクセイの素晴らしい香りだって知らない。
「いいな……」
ぽつりと彩斗が呟く。
そして、力いっぱいヒマワリを抱きしめて、涙を堪えた。
(ボクも熱斗と同じモノを見たい。同じモノを感じたい……。だって、そうしたら、もっと熱斗に近付けるのに……)
熱斗が、俯いて動かなくなった兄の『コトバ』を探る。
(……ホントは彩斗クンも、お外行きたいんだ……)
しかし、彩斗は外に出る事が出来ない。
(見せてあげたい。今日みたいに、すごい綺麗な空や、たくさんのお花……)
以前、2人で出かけようとした事があった。
しかし、玄関を出る前にはる香に止められた。
「彩斗は駄目でしょ?」と。
……そう。彩斗クンだから、外に出れないんだ。
……彩斗クンだから……ね。
(もし、彩斗クンがボクだったら、出れる!)
「……彩斗クン」
熱斗がドアを閉めて、にやっと笑った。
「?」
彩斗が首を傾げる。
と、熱斗が服を脱ぎ始めた。
「?」
「彩斗クンも脱いで!」
熱斗が彩斗のショートパンツを脱がせた。
「ヤ、ヤダっ……。やめてったら」
訳が判らない彩斗は、抵抗をはじめる。
「ボク、まだお風呂入らないよ?」
「もぉ……」
熱斗は言いながら、彩斗の額に自分の額を押し当てた。
入院騒ぎがあって以来、彼らはこうする事で会話が出来るようになった。
2人だけに通じる、テレパシーのようなもの。
彼らは、これを『コトバ』とか、『おはなし』と呼んでいる。
……服を交換するの!
それから、既に脱いだ自分の服を彩斗に渡す。
余計訳が判らなくなって、彩斗が妙な顔をした。
「ふぁ? 何で?」
「……もぉ……。大切な事なんだから、『おはなし』でしゃべるよ?」
熱斗がもう一度、額をくっつける。
……キミが、ボクに成りすませば、きっと外に行けるよ。
そのままの格好で、彩斗も答えを返す。
……でも、きっとバレちゃうよ……。
大丈夫……と言うかのように、熱斗が笑う。
……判んないよ! ボクたち、よく似てるもん。
「さ、早く」
熱斗に言われて、彩斗がしぶしぶ服を脱いだ。
それから、熱斗の服を着る。
熱斗もいそいそと彩斗の服を着た。
そして、着替え終わった彩斗をじっと見る。
何かが足りない。
「やっぱ、似てないよ……」
彩斗がほらみろ、とばかりに、熱斗に言う。
そして、熱斗の服を脱ごうとした。
「あ、ダメ」
熱斗が彼の腕を押さえる。
「もう、いいじゃん……」
彩斗の不満そうな声に、熱斗が強い口調で言う。
「ボクたちは似てるもん。絶対」
「似てないもん」
「似てるもん。双子は似てるんだよ?」
言いながら、熱斗が首を傾げる。
(う、もしかして、似てない……?)
……何でだろ? あともーちょいなんだけど……。
うーん……と考えて、はっと気付く。
「……あ、忘れてた……。バンダナ……」
熱斗は長い髪を逆立てて、黄色のバンダナで止めている。
外見で、彩斗と決定的に違うのは、これだけだ。
そう確信した熱斗は、うんうん…と大きく頷いた。
「じっとしててね……」
熱斗が自分の額から外したバンダナを、彩斗の額に巻きつけた。
そして、近くにあったブラシで、彩斗の髪の毛を丁寧に逆立てる。
……きっと、無理だよ。ボクは、熱斗には似てないもん……。
彩斗が胸の前で手を組みながら、心の中で呟いた。
「……出来たよ、彩斗クン」
熱斗がにこっと笑って、彩斗に鏡を見せる。
彩斗は鏡を見ずに顔を背けた。
「……彩斗クン?」
(元気がよくて、優しくて、ボクの憧れの熱斗。そんなになれたら、いいに決まってる。でも)
……なれっこない。
……ボクたちは二人で一つだけど、似てないよ……。
「無理だよ。似てないよ……」
「似てるよ。ボクたちは……」
熱斗が彩斗の顔を鏡の方に向けた。
それから、胸の前で手を組み合わせて俯く兄をそっと抱きしめる。
そして、兄の頬をそっと撫でた。
「……ね、目を開けて? 似てないって思ったら、すぐに着替えていいから」
「ホントに?」
震える声で、彩斗が訊く。
「ボクがウソついた事、ある?」
彩斗の知っている限りでは、一度だって無い。
そう。
どんな時だって、熱斗は彼にだけはウソをつかなかった。
勿論、そんな事はありえない。彼にだって、ウソは何度かついただろう。
しかし、彼を悲しませるウソは、一度だってついたことが無い。
「ないよ……」
彩斗が返した。
「一回もない」
「でしょ? ほら……」
熱斗が、彩斗の耳元でそっと囁く。
「……『熱斗』クン」
意を決して、彩斗が鏡を覗きこんだ。
「あ、あれ?」
彩斗は、鏡の虚像を見て驚いた。
大きなチョコレート色の瞳。形のいい眉毛。ふっくらした頬。ちょん、とついている鼻。ぷくっとした、可愛い唇。
快活な熱斗にピッタリの黄色と黒の七部袖。動きやすそうな大きめのスパッツ。そして、逆立てた髪に黄色いバンダナ。
すべて……
……さっきまでの熱斗。
「ボク、熱斗だ……」
「でしょ?」
熱斗が、髪の毛を撫でつけながら答えた。
そして、少し頼りなさげに笑いながら、全身を彩斗に見せる。
「……ボクは彩斗だ」
チョコレート色の瞳は大きいけれど、前で分けた髪の毛でよく見えないし、頬も髪でその形が判らない。そして、細い身体をより頼りなさげに見せてしまう、大きめの青い上着。ぴったりとした白いショートパンツ。真っ直ぐに肩に下りた、細い黒髪。
さっきまでの彩斗、そっくりだ。
「えへへっ……。そうだね」
二人は見つめあって、にっこり笑った。
彩斗に成りすました熱斗……サイトは、もう1人の自分をぎゅっと抱きしめて、口調を真似た。
「さぁ……。『ネット』。お外に行っておいでよ。ボクはここでじっとしてるから……」
熱斗に成りすました彩斗……ネットも、口調を真似る。
「へへへっ。んじゃあ、行ってくるっ」
彩斗が、ドアを開けた。
そこには、はる香が立っていた。
「あ……」
……やばいッ。
二人とも、気まずそうな顔をする。
……ばれたら、この上なく怒られる……。
怒られるのはいい。二人は同時にそう思った。
……ボクが怒られる分には。
「ん? あれっ、熱斗。帰ってきたのは知ってたけど、やっぱり彩斗のところだったのね?」
はる香が熱斗に訊いた。
いや。
彩斗が成りすましているネットに、訊いた。
「え?」
彩斗が何と答えようか考え、そわそわしていると、救いの手が入る。
「熱斗、ボクに見せたいものがあるって、戻ってきたの。でも、もう遊びに行くって……」
ふぅん……。はる香が感嘆のため息をつく。
「熱斗、彩斗を疲れさせちゃ駄目よ?」
「う、うん(いつも疲れてなんかいないけど…)」
本当の彩斗はびくびくしながら返事をした。
「彩斗は……どうする? ママ、ご本読んであげようか?」
「うん。あのね……、ピーターパン、読んで欲しいな……」
偽者の彩斗はまるで本物のように振舞ってみせる。
「あら、今までは白雪姫だったのにね。この前のビデオですっかりお気に入り?」
「うん。面白かった。ボクね、ルナが好きなんだ」
「ふふふ。ルナは絵本には出てこないのよ」
なァんだ……。熱斗は首を傾げて、いつも彩斗がするように少し笑った。
そして、はる香に気付かれないようにウィンクして見せた。
「早く行っておいでよ」
その目はそう語っている。
「ママ、じゃあ、行って来るっ」
「はい、行ってらっしゃい」
彩斗はにこっと笑い、部屋を後にした。
……やっぱり、熱斗はすごいや。
そう思いながら階段を降りて、リビングを通過する。
赤いドアが目の前に現れた。
廊下の先のあのドアは、外へ続くドア。
彼は玄関にそっと腰を下ろした。
そして、靴を履く。黄色い、熱斗の靴だ。
(……お外に、行ける………)
ドアノブに手をかけて、親指でその感触を確かめる。
ざらざらとした、金属の感触。
初めて触るドア。
(このドアを開いたら、ボクが知らないものがたくさんあるんだ…)
このタイプのドアは、親指部分のトリガーを押すと、ドアストッパーが外れる仕掛けだ。
彩斗も、その事は知っていた。
そっとトリガーを押す。
……小さな金属音。
ストッパーが外れた証拠だ。
ゆっくりと前に押し出す。
部屋のドアより、若干重い。
「んんッ……」
彩斗は、予想外の重量に戸惑いながらも、ドアを前に押す事はやめなかった。
(このドアが開いたら……)
段々と開くドア。
まぶしい光が、隙間から差し込む。
(きっと、熱斗と同じモノを感じる事が出来る……)
……ようやく、彼が通れそうな隙間が出来た。
すかさず、その隙間から外へ出る。
熱い空気の流れ。
そして、光のシャワー。
「うわ……」
彼は思わず声をあげた。
「何て……眩しいんだろう」
今まで室内にいた彼には、外の光は眩しすぎた。
視界がハレーションを起こして、真っ白だ。
手のひらでひさしを作って、目の上に持っていく。
段々と慣れていく目。
周りの物の形も、色も、ハッキリしてくる。
「……」
息を呑んだ。
それしか出来なくて、ただただ、息を呑んで、その情景を目に焼き付けようと、丸い目をもっと丸くさせた。
暖かい土の色。キラキラ光る、道路の白線。瑞々しい緑の葉っぱ。それに散らすように咲く、真っ赤な大きい花。吸いこまれそうな青い空。その空に浮かぶ、綿アメのようなふわふわの雲。遠くにある、物語で見た『雲の王国』のような雲。そして、太陽が織った光のベール。
すべてが、夢のように美しい。
「これが、お外なんだ……」
窓から見た風景と全然違うのに、彼は驚きを隠せなかった。
なんて綺麗なんだろう。
なんて素敵なんだろう。
彼は光のベールに触りたくて、空に手を伸ばした。
光は彼の手に触れると、その手を優しく包んでくれた。
柔らかくて、優しい感触。
そこに風が来て、彼の頬にキスをして去っていった。
「はじめまして」
そんな風に挨拶をするかのごとく。
そして、あんなに大嫌いだった、熱斗を攫っていってしまう青空は、彼をぎゅっと抱きしめてくれた。
青空は、熱斗と彩斗を間違えているのではない。
ちゃんと判っていて、それでも、彼を抱きしめてくれたのだ。
(……いい気持ち……)
熱斗に何回抱きしめられようとも、決して手に入れられない感覚。
自分が、確かにここに存在している。
幼いながら、彼は初めて、自分と言う存在を感じ取った。
そして、これが生きる事なんだ、と思った。
初めて体験する暑さだって、気にならない。
もう少し、感じていたい。
彼はそう思って、玄関先に座り込んだ。
サヤサヤ……と、木が拍手する音。
風が彩斗を誘いに来る。
「一緒に遊ぼう」
そう言うように、彩斗の髪を撫でて。
でも、彩斗には判っていた。
彩斗の体力では、風と一緒に走る事なんて出来ない。
……とっても……とっても残念だけど。
「……ダメ……」
少し笑って、風の誘いを断った。
風が残念そうに去っていく。
その時だった。
「熱斗、どうしたの?」
女の子の声。
彩斗は顔を見上げた。
可愛らしい赤毛のショートボブに、くりっとした茶色の瞳。
……メイルだ。
「……ね、どうしたの?」
彩斗は、前述の通り、メイルの事をあまり良く思っていない。
大切な熱斗を攫いに来る誘拐犯。
言い過ぎじゃなく、これくらいに思っている。
それは、メイルが女の子だから……という事も多分にある。
(メイルちゃん、前にみんなの前で熱斗に抱きついてた……。いいよな……。女の子だから、みんなの前でそんな風に出来るんだもん……。ボクだって……)
青空に対する偏見は治ったが、これだけはどうしようもなさそうだった。
何一つ思い通りにならないけれど、これだけは譲れない。
……ボクが一番、熱斗の事判ってるし、熱斗の事好きだもん。
……キミになんか、あげないからねっ。
彼は立ち上がって、メイルを見据えた。
「?」
何故そんな風に見られるのか、メイルは全く判っていない。
当然だ。
熱斗に恨まれる覚えはない(しょっちゅうケンカするけれど)し、まさか、目の前の男の子が、熱斗にそっくりな別人だなんて微塵にも思っていないのだ。
彼女は熱斗(実は彩斗だけれど)に確かめるように首を傾げて見せる。
「べー……だっ」
彩斗は舌を出して、メイルに見せ、すたすたと歩き始めた。
……メイルちゃんに邪魔されたくないもんね。
メイルはきょとんとして立ち尽くし、こう呟いた。
「変な熱斗」
しかし、すぐに他の子からおままごとのお誘いがかかり、嬉しそうに去っていった。
彩斗は秋原公園の方に歩いていた。
この辺で一番大きい公園だ。
秋原公園は、家から少し歩くが、一本道で迷う事もない。
「あのね、彩斗クン。秋原公園にはね、海があるんだ」
熱斗にそんな話を聞いていて、以前から見たいと思っていたのだ。
無論、秋原公園に海などあるわけがない。あるのは噴水だけだ。
しかし、熱斗も彩斗も、海を見た事がなかった。
だから、少し大きめの噴水を海と勘違いするのも、無理はない。
(……時計ワニはいないらしいけど……海、見たいな)
「あ……」
……噴水が見えてきた。
遠くからでも、その様子はよく判った。
きらきら輝く水の珠がビー玉のように見える。
……こんなの今まで、見た事ない。
「わぁ……」
彩斗は、噴水の目の前に立って、落ちてくる水の珠を受け止めた。
「あ…消えちゃった」
跡形もなく消えた水の珠に、ちょっとがっかりする。
……あの形のまま、残ってくれたらいいのにな。
……そしたら、熱斗にもママにもとうさんにもあげるのに。
「まぁ、いっか……」
彼はにっこりと笑って、周りを見渡した。
凛と咲くヒマワリに彼が気付くのは、そう遅くはなかった。
真っ直ぐに立って、前を見て、堂々としていて、優しく、大きい。
ヒマワリのその姿は、まるで……
「……まるで、熱斗みたい」
ヒマワリに吸い寄せられるかのように、彼が噴水前の日陰から、日向に出たその瞬間。
胸を締め付ける感覚。
「……うぁ……」
彩斗は急いで、息を整えた。
「ふぅ……ふぅ……」
発作ではないが、気分が悪い。
暑さは、確実に彼から体力を奪っていたのだ。
こんなところで倒れたら、成りすましていたことがバレてしまう。
そうしたら……
……ボクも怒られるけど、熱斗も怒られる……。
……熱斗に迷惑かけたくない……。
「もう……戻ろう……」
しかし、遅すぎたようだった。
締め付けがどんどん強くなっていく。
(……イヤだ、治らない……)
焦れば焦るほど、感覚は増し、恐怖を連れて来た。
ヘタッと座りこんで、胸を押さえる。
……家に戻らないと。熱斗に心配かけたくない。
目を見開き、口を硬く閉じる。
そして、立ち上がろうとする。
力を入れた瞬間、ぐるっと回る視界。
周りの風景が、まるで色眼鏡をかけたような奇妙な色になった。
吐きたいくらいの気持ち悪さ。
「あ……あ……」
見開いた両目から、涙が溢れた。
鋭い痛み。気持ち悪さ。誰も頼れる人がいないという事実。
そんな恐怖には勝てそうになかった。
心細い。
……イヤだ、怖いよ。
彼は目の前のヒマワリを見た。
ヒマワリを持ってきてくれて、外に出してくれた熱斗。
大好きな熱斗に似ているヒマワリ。
ヒマワリを見れば、勇気も元気も沸いて来るような気がした。
しかし、今は、そのヒマワリでさえ、よく見えない。
「……熱斗……ネッ……ト」
彼は無意識のうちに、熱斗の名前を呟いていた。
それは、助けにきて欲しいからでは無く……
ただただ、彼の事しか思い出せなかったからだった。
……同時刻、彩斗の部屋。
「……!」
熱斗は、胸に痛みを覚えた。
いままで、こんな事は経験したことがなかった。
痛みに戸惑いながら、あれこれと考える。
この双子を例えるなら、アンテナとラジオだ。
彩斗の想いを、熱斗が受ける。
それは前からだし、彼らもよく判っていた。
しかし、受信区域には限りがあった。
どちらか片方が家から出ると、だいたいは判らなくなる。
彩斗は今、外にいる。
……ボクと『おはなし』出来るところにはいないはず……。
(……気のせい?)
熱斗が思った瞬間、もう一度激痛が走る。
「あぅっ……」
鋭い痛み。これは……
(彩斗クンが危ない……)
本能的にそう思い、熱斗がすっと立ちあがった。
途端、ふらっと前のめりに倒れる。
「彩斗!!」
はる香が抱き止め、何とか事無きを得る。
「ママ……」
「大丈夫? どうしたの?」
はる香に事情を説明している暇は無かった。
熱斗の視界は、奇妙な色で彩られていた。
恐らく、彩斗はもっとひどい状態になっている。
……助けに行かなきゃ……。ボクが、彩斗クンを守るんだ。
……何が、あっても……!!
「う……」
熱斗がはる香を押しのけた。
「ママ、どいてっ……」
「どうしたの? 何かあったの?」
「どいてってば!」
はる香が聞いた途端、熱斗が走り出した。
「彩斗?!」
慌てて、後を追う。
靴を履かずに、そのままドアから飛び出す熱斗。
迷わず、公園の方に向かう。
はる香は急いで靴を履き、彩斗の靴を持って、彼を追いかけた。
「彩斗?! 何で、あなた走れ……」
はる香はそこまで言ってはっとした。
……さっき、あの子……叫んだ。
彩斗は呼吸がうまく出来ないから、叫べないはずだ。
ほんのちょっとだけ口調を強める事も出来るが、本当に少しだけだ。
そう。
さっき、外に出ていった『ネット』は、語尾を強めてはいたが…
叫んではいなかった。
もしかしたら……
「熱斗? あなた、熱斗なのね?!」
なんて迂闊だったんだろう。
はる香はこれ以上ないくらい、後悔した。
二人は一卵性だけあって、確かに似ていたが、間違える訳が無いと思っていた。
仮にもあの子達を宿した母親だ、という過信があった。
しかし、彼らを見分けることが出来たのは、服装や髪型、口調の所為もあったのだ。
二人が故意にそれらを交換すれば、本人たち以外は判りっこない間違い探しが出来上がる。
はる香が前を走る彩斗……いや、熱斗を見る。
今にも倒れそうで、裸足にアスファルトが痛そうで、見ていられない。
「!」
熱斗が派手に転んだ。
「熱斗!!」
はる香が駆け寄った。
起き上がろうとする熱斗に、力は残っていないようだ。
痙攣している腕を、無理矢理つっかえ棒にしようとしている。
言いたい事はたくさんある。
しかし、そんな場合ではない。
……よし。
彼女は頷いて、彼を抱き上げた。
そして、そのまま走り出した。
「……ママ」
はる香の胸の中で、熱斗が呟いた。
はる香は前を見て質問する。
「彩斗はどこにいるの?」
何故、そんな事を訊いたのか、はる香は自分でもよく判っていなかった。
しかし、熱斗なら彩斗の現在地を知っている。
そんな奇妙な確信があった。
「……秋原公園、……海……の、前……」
今にも消えそうな声で熱斗が呟いた。
「海……? 海なんか……」
はる香ははっとして、理解する。
彼は、噴水の事を『海』と呼んでいるのだと。
「……ママ、彩斗クンを助けて……」
「判ったわ! 心配無いからね」
はる香が力いっぱい地面を蹴った。
そして、秋原公園へと走り出す。
「……いた! 彩斗!!」
ヒマワリのすぐ側で倒れているのが彩斗だと、はる香にはすぐに判った。
暑い日中に外出する人は滅多にいない。
彩斗の周りにも人は無く、彼は一人で倒れていた。
はる香が彼のすぐ横に来て、しゃがむ。
それから、彼の脈を取る。
大丈夫だ。発作ではない。
彩斗がうっすらと目を開けた。
「……熱、斗……?」
「……彩斗、判る? ママよ」
彼はそうっと頷いて、眠るように気を失った。
恐らく、熱斗が気付かなかったら、彼はそのままだっただろう。
はる香はほっとして、胸を撫で下ろし、双子を抱きかかえる。
しかし、はる香の腕に、この双子は重すぎた。
なかなか立ち上がる事が出来ない。
「……ママ、ボク……歩くよ」
熱斗が遠慮して言う。
「馬鹿ね、何言ってるの? 歩けないでしょ?」
はる香はそう答えてから、きっと前を向いて、自分に言うように呟いた。
「母は強いのよ」

五分後、彩斗の部屋。
青いベッドには、元の持ち主が眠っていた。
水分も取らせたし、締め付けている服も脱がした。
軽い熱中病だし、もう心配は要らない。
「……」
その隣の青い椅子には、すっかり治った彩斗が座っている。
いや、彩斗ではない。
彩斗に成りすました熱斗である。
「……」
沈黙を守る熱斗。
「黙ってちゃ、判らないのよ。熱斗。ママ、超能力者じゃないの」
その熱斗を見下ろすように、はる香が腕を組んで立っていた。
「彩斗クンは、黙ってても判ってくれる」
熱斗がぽつり、と呟いた。
「ボクも、彩斗クンのこと判る。黙ってたって、離れてたって」
熱斗がはる香を見据える。
いや、睨んだ、と言った方が正しいだろう。
しばらく、睨み合う2人。
やがて、はる香が折れた。
「彩斗は外に出れないの。判ってるでしょう?」
「知ってるよ」
はる香が目を逸らして、ため息をつく。
「なのになんで……」
「知ってるけど、判んないよ。何でお外に出ちゃいけないの?」
熱斗が低い調子で言った。
そのまま続ける。
「……彩斗クン、何にも知らないよ。お外のこと、何も知らないんだ」
はる香はもう一度、熱斗と目を合わせた。
目を真っ赤にさせて、今にも泣きそうな熱斗にはっとする。
「彩斗クン、ヒマワリを触って何て言ったと思う? 野菜って言ったんだよ?! 海だって知らないって、前言ってた!! ボクだって知ってるのに…野菜とヒマワリは違うって…。でも、彩斗クン、それが判らなかったんだ!!」
身体を震わせて、唇を噛み締めて。
大人に反抗することは、子供にとっては恐ろしいことだろう。
しかし、彼は涙を流さなかった。
息を整えて、はる香を睨み直す。
「だから、お外に出してあげたくって……服を交換しようって言ったんだ。ボクが言ったんだよ。彩斗クンじゃない」
はる香は息を吐いて、細かく頷いた。
「ボク……彩斗クンに、ボクと同じモノを見せてあげたかっただけなんだ。同じ匂いを知って欲しかったんだ! 何も知らないなんてイヤだ!! ボクはいっぱい知りたいことあるし、見たいものあるし、触りたいものあるもん!! 彩斗クンだって同じだよ!!」
熱斗がこぶしを握り締めた。
涙を堪えて、顔を真っ赤にして、一生懸命訴える熱斗。
「ボクはいっぱい怒られても我慢するよ!! だけど、彩斗クンには怒らないで!! 彩斗クンは悪くないっ!!」
その瞳は、信念を持ち、それを貫き通すという意思に満ちていた。
「熱斗!」
はる香が叫んで、手を上げた。
熱斗が目を瞑ってびくっと震える。
その途端、ふわっと温かい感触と香水のようないい匂い。
はる香は、熱斗を抱きしめたのだった。
「ママ……」
熱斗が目を開き、不思議そうに瞬きを数回した。
……何で怒らないんだろう?
実は、はる香は初めから怒ってなどいなかった。
ただ、理由を聞きたかった。
それが熱斗のワガママだけだったなら、はる香は熱斗を叱りつけただろう。
でも、彼は兄のことを……彩斗の事を第一に考えてやったのだ(安全への配慮は欠けていたけれど)。
そして、この事件の原因は、自分にもあることは判った。
自分の事を棚に上げて、誰が熱斗を責められるだろうか。
(彩斗は、外を見たがっていたのね……)
安全を保障できないから、外に出すわけには行かない……と思っていたのだが、彼が外に憧れていたのは、薄々感じてはいた事だった。
この前、はる香が小さい時に見たピーターパンのTVを見せてあげた時、彼はそのストーリーをいたく気に入っていたからだ。
見終わった後、彼はこう漏らしていた。
「ボク、ウェンディになりたいな」
彼はきっと、『ピーターパン』を待っていたに違いない。
すべて、おとぎ話の中の事。
でも、彩斗にとっては、窓の外も、それと同じものであったのかも知れない。
空を飛ぶ事は勿論、地面を走る事も、海を泳ぐ事も彼には出来ない事だから。
海。
そう言えば、熱斗も海を知らない。
……彩斗と熱斗に、海を……生き物が泳いでいる、生命の源を見せてあげたい。
「熱斗。秋原公園のアレはね、噴水……って言うのよ。海じゃないの」
「海……じゃ、ないの?」
熱斗が首を傾げる。
「そうよ。だからね……今度、パパが帰ってきたら、みんなで水族館行こうか? 本当の海に近いモノを、見せてあげる」
突然の言葉に戸惑いながらも熱斗が答える。
「ううん、いい」
「あら、どうして?」
「彩斗クンが一緒じゃなきゃ、イヤだ」
熱斗の答えに、はる香はくすっと笑った。
「あら。ママは『みんなで』って言ったわよ? ……パパと、ママと、熱斗。そして、彩斗と……四人で行こう?」
熱斗がはる香と距離をおいて、はる香の顔を見た。
「……ホントに?」
「ホントよ。パパに相談してみるわ」
はる香が言うなり、熱斗が部屋を出ていった。
「?」
「ママ、はいっ!」
すぐに戻ってきた熱斗の手には、電話の子機。
……電話、今すぐしろって事なのね?
「は~いはい。ただし、パパと繋がったらよ?」
苦笑いをしながら、彩斗の部屋を後にする。
それから、短縮の1を押し、受話器を耳元へ持っていく。
『……はる香? どうしたんだい、こんな時間に……』
寝ぼけた声が受話器から聞こえてくる。
こんな時間にも何も、まだ日は暮れていない。
が、祐一朗にとっては、今は睡眠時間だったようだ。
「あ、あのね、祐一朗さん……。頼みがあるのよ、聞いてくれる?」
『?』
祐一朗は不思議そうな声を出して、はる香の言うことを聞き始めた。
「……って訳なの。お願い」
受話器を両手で持って、電話の相手にお願いするはる香。
『お願いなんてしなくてもいいよ、はる香』
眠気がすっかり覚めた祐一朗はくすくすと笑った。
『キミや子供たちの頼みなら、何だってきくさ』
「ありがと! 愛してるわ、あ・な・た」
『僕もだよ、はる香』
言ってから、お互いに照れたのか沈黙する。
沈黙を破ったのは、報告すべき事がたくさんある、はる香だった。
「……でも、熱斗……。あの子、本当に彩斗の真似が上手かったわ……。あれで何事も起きなかったら、だまされたままだったもの。ビデオ見てないのに、ルナの事知ってたし……」
『ルナ?』
祐一朗が不思議そうに聞き返す。
「ほら、ピーターパン。昔、日曜日にやってたでしょ? あれだけのオリジナルキャラクターよ。悪い魔女の孫娘の…」
『オリジナルキャラクター? じゃあ、それを見てなきゃ、知ってる訳ないじゃないか』
そうなんだけど……。
はる香が頷きながら言う。
「彩斗に聞いたのかもしれないし……。あ、でも。見せたのは昨日だし、熱斗と彩斗が入れ替わるまで多分、そんなに時間なかったような……」
祐一朗は、いつだったかの疑問を思い出した。
何も言っていなかったのに、「『早く起きて』しか言えなかった」と言った熱斗。
そして、それが聞こえたような素振りを見せた彩斗。
彼らは確かに言葉を交わしたらしい。
祐一朗とはる香には聞こえなかった言葉を。
『……はる香。黙ってるつもりはなかったんだが……』
彼はそれをはる香に聞かせた。
「ホント? だってあの時、あの子、何も……」
『そうだ。彼が言った「言う」って、なんだと思う?』
はる香は突然、あの日の朝を思い出した。
彩斗が朝ご飯を平らげられたあの日。
熱斗は彩斗を見て「彩斗クンと一緒に、ゆっくり食べる」と言った。
まるで、彩斗の状態を全て理解したように。
「言葉じゃないものでも、会話できるとか……。例えば、ジェスチャー……」
はる香が呟いた。
「そうとしか考えられないし……」
そこまで言って、はっとする。
あの日、彩斗と同調するかのように、いきなり倒れた熱斗。
そして、突然飛び出した、今日のあの行動。
今日の熱斗の言い方。
「彩斗クンは、黙ってても判ってくれる。ボクも、彩斗クンのこと判る」
……そうだ。
……あの子達は、きっと……
「そうよ。絶対そう……。あの子達は……心で会話できるんだわ」
はる香が呟いた。
「だって、そうじゃなかったら、今日、彩斗を助けに行けなかったもの」
『そうか。やっぱり、そう思うんだね』
祐一朗が確信したように言う。
『あの子達は不思議だよ。誰よりも判り合えてるし、繋がってる。まるで一人であるかのように』
それははる香も同感だった。
彼らはきっと、二人で一つなのだ。
「まるで、祐一朗さんが目指してる、次世代ナビとオペレーターの関係ね?」
『そうだね』
祐一朗がくすっと笑った。
『あの子達のような関係のナビを作り出せれば、僕の夢が叶うんだけどな』
「がんばってね、祐一朗さん。お義父さんを越えるんでしょう?」
はる香の言葉に、祐一朗は少し口調を強めた。
『もちろん、そのつもりさ。近い将来、僕は父を超えて見せるよ。でも……』
それから急に元の調子に戻る。
『今はそれより、王子サマと騎士と、僕のお姫サマにめいっぱい家族サービスしたいな』
「うふふ」
はる香が嬉しそうに笑った。
「楽しみにしてるわ。わたしの王子サマ」
祐一朗が照れくさそうに笑う。
『帰れるようになったら、また電話するよ。彩斗は無理をしなければ、体調はいいんだろ?』
「うん。一度倒れてから、体調はいいみたいよ。何せ、今日、外に出たくらいだもの」
『そうか。じゃ、あの子達へは、パパが帰るまでいい子にしてたら、って言っておいて。……じゃあ、はる香。愛してるよ』
電話が切れた。
はる香が受話器を置いてくすっと笑い、それから口の中で呟いた。
「わたしもよ、祐一朗さん」
それから、彩斗の部屋を覗き込んだ。
はる香が指でOKを作る。
あっという間に、熱斗の瞳がキラキラ輝いた。
「ただしっ、彩斗も熱斗もいい子にしてたら……ね?」
はる香が小指を差し出した。
「約束よ」
「ん!」
熱斗がその指に自分の小指を絡めた。
「ゆびきりげんまん」
はる香が歌い出す。
「ウソついたらハリセンボンのーます!」
熱斗の声が重なる。
「ゆびきったっ!」
……彩斗クンと、外に行ける!
熱斗が嬉しそうに両手でガッツポーズをしてみせた。
「ボクたち、絶対絶対、いい子にしてるよ。だから、絶対絶対絶対! 連れてってね!」
はる香も嬉しくなって、笑う。
(こんなに喜んでくれるなら……ね)
そして、眠っている彩斗を見た。
心なしか、彩斗も笑っているような気がした。


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