【小説】岩男EXE/inter_weB第一章


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『……何じっと見てるの?』
新緑のように透き通った瞳が、こちらをじっと見て言う。
「……うん」
チョコレート色の、いかにもいたずらっ子のような瞳は、ふいっとどこか違うところを向いた。
『何だよぉ?』
「何でもない」
お互いの鼻がくっつきそうな程の近距離で、彼らは話し合っていた。
……と、言っても、『現実』で机に向かっているのは、チョコレート色の瞳を持った方……熱斗だけ。
もう一人は、パソコンのデスクトップをうろうろしたり、画面に顔を近付けたりしている。
そう。
もう一人は、人間ではない。ネットナビだ。
熱斗のナビ、ロックマンエグゼ。
彼らは、就寝前に他愛のない話をする事が日課だった。
しかし、今日の熱斗はどこかがおかしかった。
ふいに押し黙り、エグゼの事をじっと見つめては、ため息をついていたのだ。
『もぉ……ボクに隠しゴトするの?』
「オレたちって似てないよなぁ……」
エグゼの言葉を遮って、熱斗がぼそっと呟いた。
その言葉に、エグゼがきょとんとする。
「……双子なら、似てる筈なのに」
熱斗とエグゼ……いや、彩斗は一卵性の双子だった。
彩斗は生まれつきの心臓の欠陥により、命を失い……父、祐一朗の手によってプログラム化されて、今に至っている。
「それに、彩斗兄さんだけ心臓の欠陥だなんて、おかしいよ。何でも一緒なら、オレにだってそーゆーのあってもいい筈じゃねェ? だけどさ、オレ、元気だもん」
『有り余るくらいにね』
エグゼが笑って茶化す。
だが、熱斗にとって、これはまじめな話だったようだ。
「茶化すなよ、まじめな話してるのに!」
彼はそう言って、頬をぷーっと膨らませた。
『……ごめん。でもね、昔は似てたんだよ? ……ただ、人間の成長と、プログラムが考慮する成長は、必ずしも一致しないんだ。それと、一卵性の双子に相違があるケースは、稀にだけどあるんだよ。彩斗と熱斗くんがそうだっただけ』
「ふぅん……」
判ったのか判らなかったのか定かではないが、熱斗が相槌を打った。
『……彩斗とキミは、紛れもなく双子だった……』
エグゼがぽつりと漏らした言葉は、熱斗の耳には殆ど届かなかった。
「ん? 何か言った?」
熱斗が訊き返すと、エグゼが何もなかったかのように笑った。
『さあさ、もう寝なきゃ。キミは寝起き悪いんだからさ』
彼の言葉に、熱斗が「ちぇっ」と舌打ちをする。
「ま、いいや。眠かったしな。……オヤスミ、エグゼ」
熱斗が画面上のエグゼの頬を撫でた。
エグゼの頬が見る見るうちに赤くなる。
『な、何? いきなり、何で……?』
「え? あれっ? ……そういや、何でだ? ……あ。悪い、イヤだった?」
熱斗の言葉に真っ赤になりながら、エグゼが答える。
『ううん、別に! あ……ちょっと恥ずかしかったけど……。あ、いや、でもっ……そのっ』
彼の慌て振りが面白かったのだろう。熱斗が「へへっ」と笑った。
「面白いなー。これからは時々こーゆー事してみよっかな?」
『も、もぉっ! 熱斗くん――……っ』
「ジョーダン! じゃな、オヤスミっ」
熱斗が電気を消し、ベッドの中に入った。
よほど眠かったのだろう、一分もすると、寝息が聞こえてきた。
『……熱斗、くん……?』
エグゼが、さっき熱斗に撫でられたところにそっと触れる。
『熱、斗……』
昔、してくれたように、頬を撫でてくれた熱斗。
てっきり、思い出したのだとばかり思ったのに。
『……』
大きな吐息。
そして、彼もスリープに入った。
ナビは決して見ることが出来ないけれど、もう一度だけ夢を見たい…。
そう願いながら。

 

inter_weB第一章『ツイン』

 

 

朝は憂鬱。彼はそう思っていた。
普通の人にとって、朝は素晴らしく気持ちのいい時間である。
しかし、彼にとって、朝は耐えがたい苦痛を味わう時間だった。
朝は、彼のもっとも大切な人を攫っていってしまうからだ。
「……」
大きくため息をつく。
そして、青のカーテンで彩られた窓の外を見る。
雲一つない、綺麗な青空が、チョコレート色の瞳に映る。
彼はその青空だって大嫌いだった。
いい天気も、大切な人を攫っていってしまうから。
彼が行けない、外の世界へ連れて行ってしまうから。
彼は毛布をのけて、そっと青いカーペットが敷いてある床に立った。
柔らかそうな黒髪が、コバルト色のパジャマの肩にはらっと落ちた。
「……」
小さい手が、その髪を邪魔そうに払う。
「……」
彼は高いドアノブをきっと見据えて、背伸びしてまわし始めた。
朝が、青空が、大切な人を攫ってしまう前に、彼にぎゅっと抱きしめて欲しかった。
ただそれだけの為に。
「……開いた」
彼はパジャマを翻して、小走りに隣りの部屋へ向かう。
「はぁッ……はぁッ……」
ドアの前で、息を整える。
ほんの少しだけの運動なのに、それすら彼にはキツイ。
でも、全然気にしていなかった。
だって、大切な人に「おはよう」って一番に言ってもらえるなら。
ボクの名前を、呼んでくれるのなら。
その為には、苦しいのもガマンする。
「うんっしょっ」
背伸びして、ドアを開ける。
こっちの部屋は、全てヒマワリのような、暖かい黄色で統一されて、彼の部屋とは全く逆の配置をしている。
まるで、部屋の持ち主そのものを表しているかのようだ。
「……」
大きな瞳をきょろきょろさせて、彼は部屋中を見渡した。
青い枕に、誰かの頭が乗っかっている。
……よかった、まだ寝てる。
彼は『大切な人』がベッドにいることを確認して、ベッドによじ登った。
そして、彼の身体にまたがり、顔を覗き込む。
肩甲骨くらいまでの長さの黒髪。
子供特有の、まあるい輪郭。
目を瞑っているが、彼と『大切な人』はそっくりだ。
大切な人。
そう。
「……熱斗」
彼が『大切な人』の名を呼ぶ。
……しかし、大切な人……熱斗は起きない。
「……うー……」
寝起きの悪いのは知っていた。
昨日、遅くまで起きていたのも判っていた。
それでも、早く起きて欲しい。
笑って、名前を呼んで欲しい。
彼が頬をぷーっと膨らませた。
「熱斗~……」
そして、『大切な人』の頬をぺちぺちと叩く。
「う~……。熱斗、熱斗、熱斗~」
力がない子供のやる事でも、何度もやれば話は別だ。
熱斗の頬がだんだん、小さな紅葉型に赤くなる。
「……うう~ん……」
さすがに気付いたのだろう、熱斗が目を覚まして、彼を見つめ、その名を呼んだ。
「……彩斗クン……」
彼、彩斗の顔がぱあっと明るくなる。
「熱斗」
「うんっ。彩斗クン、おはよっ!」
熱斗が彼の頬を撫でて、その身体をぎゅっと抱きしめた。
余程嬉しかったのだろう、彩斗の頬が紅潮する。
「えへへ。熱斗、おはよ。大好きっ」
満足そうに笑う彩斗を見て、熱斗もにっこりと笑い、起き上がった。
その時だった。
「もう! 彩斗、やっぱりこっちに来てたのね? お熱測るまで、部屋にいてねって言ったのに……」
体温計を持って部屋に入ってきた女性。
ショートにした真っ黒な髪、鳶色の瞳には優しい光を宿している。
二人の母、はる香だ。
「さぁ、彩斗」
はる香が、体温計を彩斗の目の前で振った。
彩斗にとって、体調の悪化はそのまま死に繋がってしまうような問題だった。
だから、体調を知るために毎日体温を測る。
しかし、彩斗には体温計で測る時のカチッというイヤな音が我慢できなかった。
「……」
彩斗が顔をしかめて、熱斗にしがみつく。
熱斗が、それをかばうように抱きしめて、はる香を見た。
「彩斗クンは、ボクが守るんだから!」
そんなふうに語っている目だ。
…ああ、また熱斗は彩斗の騎士気取りなのね?
悪者扱いには慣れたはる香が、気を取りなおして彩斗に聞いた。
「ね、一秒でいいのよ? ちょっとだけ、我慢して頂戴?」
「……ヤダ」
彩斗が首を振ると、はる香が「う~ん……」と唸った。
はる香にとって、毎日のこのやり取りは頭痛の種だった。幼い彩斗には、自分の為だという事がうまく判ってもらえないからだ。
熱斗にも理解できていないらしく、この時ばかりは、まるではる香をいじめっ子を見るような目つきで見る。
いくら慣れたとは言え、我が子にそう見られるのは、やっぱりちょっと傷付く。
「……」
相変わらず、熱斗の守りも堅い。
しかし、最近ちょっとだけ判ってきたのだ。
うまい具合に彩斗の体温を測るコツ。
それは……。
「じゃ、熱斗、測る?」
「ん」
熱斗が耳を差し出すと、はる香が体温計の先を耳に入れた。
そして、検温スイッチを押す。
「はーい。熱斗はOK。先に一階に降りててね。彩斗はまだよ?」
もちろん、彩斗が上に乗っているから、熱斗は動けない。
それに『騎士』の熱斗が、彩斗を置いて動こうとする訳もない。
しかし、彩斗は「えー……」と、不満そうな声を漏らした。
「ヤダ、ヤダ……。熱斗と一緒にいるの」
今日もうまく行きそうね。
はる香は心の中でため息をついた。
そして、
「でも、彩斗はお熱、まだ測ってないもんねェ?」
と、駄目押しの一言。
子供は単純だ。
「……じゃあ、測る……」
彩斗が目をぎゅっと瞑って、熱斗の胸に顔を押し付けた。
耳の中で、カチッというイヤな音。
「はーい、おしまい」
はる香がそう言いながら、表示をリセットした。
36.3℃。心配はない。
……しかし、いつまでこの単純な手に引っかかってくれるのか……。
はる香が思わず苦笑する。
「大丈夫?」
熱斗が、自分の腕の中で震えている彩斗をそっと撫でる。
「……うん」
彩斗が大きくため息をつく。
そして、熱斗の頬に自分の頬を摺り寄せた。
「平気だよ。熱斗がいてくれるから」
毎日のことだけれど……
はる香はいつも、気まずさを感じていた。
……ああ、わたしってお邪魔かな?
そんな風に思ってしまうのだ。
そこで、いつも通り、用件だけを述べてリビングに退散する事にした。
「さあ、ご飯食べよ? 今日はクロワッサンだよ。用意してるからね~」
部屋を出て、パタンとドアを閉める。
……祐一郎さん。彩斗と熱斗は、今日も元気そうです。
……そして、今日も熱斗はわたしの事、悪者扱い。悲しいなぁ。
心の中で報告して、それから、ため息一つ。
(双子だし、兄弟仲いいのはいいんだけど……アレじゃあ、まるで恋人同士よねェ……。今はいいけど、幼稚園に通うようになったら、注意しなくちゃ……。でも、一体誰の影響なのかしら?)
子供は親を見て育つとは微塵も思っていないのか、はる香は首を傾げ傾げ、階段を降りていった。
子供二人も、着替えて、すぐにそれに続く。
はる香はそれを見て、ヒマワリの柄が入ったカップと、イルカの柄が入ったカップにアップルジュースを汲み、それぞれを熱斗と彩斗の席に置いた。
それから、焼きたてのベーコンエッグの乗ったお皿を置き、さくさくのクロワッサンの入ったバスケットをテーブルの真ん中に置いた。
「よっとっ!」
「よいしょっ」
二人が椅子によじ登る。
「じゃあ、『いただきます』しようか?」
はる香が二人に聞くと、兄弟は同じように頷いた。
「いただきます」
「いっただっきまーすっ!」
「……いただき、ます……」
両手を合わせてお辞儀する母親に倣って、子供たちも手を合わせた。
はる香が二人にクロワッサンを取ってあげる。
「ママ、ボク三つっ!」
黄色の柄のフォークでベーコンエッグをほおばりながら、熱斗が勢いよく言った。
「はいはい。彩斗は? 一つでいいの?」
「……うん」
アップルジュースをちびちび飲みながら、彩斗が答えた。
食欲がないようだ。
隣りにいる熱斗は、そんな彼とは逆に、凄い勢いで目の前にある食べ物を平らげていく。
ベーコンエッグを食べて、クロワッサンを口に詰め込んで、少し噛んだらアップルジュースを流し込む。
またベーコンエッグを食べて……
「ごちそうさまっ。行ってきまぁす!」
三個ものクロワッサンとベーコンエッグをぺろっと平らげた熱斗が、食器の片付けをしないまま、叫んだ。
「こら、熱斗! 食器は片付けるって、ママと約束したでしょ?」
はる香に怒られて、熱斗が自分の食器を重ねる。
ベーコンエッグのお皿、クロワッサンの取り皿、それから、カップ。そして、フォーク。
それらを落とさないように運ぶ。
それを、食が進まない彩斗はじっと見ていた。
「……」
突然、熱斗が彩斗の方を振り返って、彼をじーっと見た。
(……お日様のイジワル……。また、熱斗を連れて行っちゃうんだ……)
彩斗は、少し不満そうに熱斗から視線をはずす。
(……あっ……。彩斗クン、寂しいんだ……)
そう思った熱斗は、食器を流しに置き終わると、自分の席に戻った。
そして、テーブルに肘をつき、足をぶらぶらさせながら彩斗の事を見る。
「あらっ? 熱斗、遊びに行くんじゃなかったの?」
「んっ? やめたー。今日は、お外では遊ばない。彩斗クンと一緒に遊ぶの!」
「……え? いいの?」
彩斗が嬉しそうに訊き返す。
「うんっ。だから、彩斗クン。早くご飯食べて遊ぼ?」
「うん。待っててね。……でも」
熱斗が首を傾げた。
彩斗が、悲しそうに首を振る。
「……食べたくない……」
彼にとって、朝の食事は苦痛だった。
食べると、気持ちが悪くなってしまう。
時間をかけるなら食べられるけど……。
だけど……
「……」
彩斗をじーっと見つめる熱斗。
彩斗が首を振った。
(ゆっくりならいいけど……。早く食べるの、辛いよぅ……)
それから、じっと見つめてくれる弟を、申し訳なさそうに見つめ返す。
弟は、判ったように頷いた。
(……そっか、やっぱり辛いんだ……)
熱斗が流しから自分の食器を運び直す。
「熱斗、どうしたの?」
はる香が訊くと、熱斗がフォークでお皿を叩いた。
そして、さらっと言い放つ。
「ママ、ボクもっと食べる。もっとちょうだい」
突然の熱斗の行動に疑問を抱きながら、はる香が食器を洗い直し、熱斗のお気に入りのアップルジュースを注いであげた。
それから、バスケットのクロワッサンを一個、取って取り皿に乗せてあげた。
「ベーコンエッグもちょうだい」
「いいけど、食べれるの?」
「彩斗クンと一緒に、ゆ~っくり食べるの! ゆっくり食べれば、大丈夫っ!」
「?」
彩斗が首を傾げた。
はる香も首を傾げるが、ベーコンエッグを焼きに席を立った。
「熱斗……」
「ん? だって、ゆっくりだったら食べられるでしょ? ゆっくり、お話しながら食べよ?」
彼の言葉に、彩斗が嬉しそうに笑った。
「うん。一緒に、食べよ」
青い柄のフォークを握る手が、少し元気になった。

その日の夜。
『じゃあ、今日は、彩斗が全部ご飯食べたのかい?』
電話の向こうで驚く、優しそうな声色の男性。
双子の父、祐一朗だ。
次世代ナビ開発の第一人者である彼は、滅多に家に帰れない。
だから彼は、時間が空いた時に家に電話して、みんなの様子を伺うことにしている。
『しかも、三食とも?』
祐一朗の前で彩斗が食事を平らげた事はない。
……大抵は殆ど手付かずと言っていいくらい余っていたのに。
「うんっ。そうなのよ! 熱斗が一緒にゆっくり食べてくれたら、全部平らげちゃったの!」
嬉しそうなはる香の声を聞いて、祐一朗がため息をついた。
『すぐにメールくれれば、仕事ほっぽっても、二人を抱っこしに行ったのに……』
一人だけ目撃できなかったのがよほど悔しいのか、彼がいじけたように言う。
『僕だって、全部食べるところ見たかったのに……。はる香、最近冷たいよ?』
そんなことないわ、と笑いながら、彼女が話題をそらした。
「でもね、熱斗ったらおかしいのよ? 彩斗の事、全部判ってるみたいな行動を取るの」
『それは前からじゃないか? あの二人は仲がいいし……。うん』
「違うのよ」
はる香が反論する。
「前からそうだったけど、なんて言うか、まるで……ホントに自分の事みたいなの」
『まあ、そういう事もあるさ。なんてったって、双子だし……』
「それにね、ますます仲が良くなったみたいなのよ」
はる香の言い方に、祐一朗が不思議そうに声を漏らす。
『いいじゃないか、仲がいいのはさ』
何の気なしに、祐一朗が答えると、はる香が声のトーンを高くさせた。
「だって、だって! まるで恋人同士みたいなんだもの!」
『えぇっ?』
電話の向こうから、妙な声が返ってきた。
『はる香、それは勘違いじゃないのかい? ほらっ、二人は最近、白雪姫のビデオがお気に入りなんだろ(男の子が白雪姫好きって、変わってるけどさ)。白雪姫ごっこしてるんじゃないか?』
「絶対っ、勘違いじゃないわ。あの子達、二人で抱き合っちゃったりして……。まだちっちゃいから、可愛いで済むけど……」
『でもさ、ほら、それくらいは……』
まだ許容範囲内だろう?
しかし、その声は、はる香の声にかき消された。
「でもねっ、今度、二人の行動見てみてよ! もぉ、わたし、二人が危ない方に走っちゃうんじゃないかと気が気じゃなくて…」
『それは心配しすぎ』
祐一朗がぴしゃりと言い放つ。
『……ところで、「王子さま」と「騎士」はオヤスミかな? 明日帰れるけどさ……。久しぶりに声が聞きたかったんだけどな』
「大丈夫よ。まだ部屋で暴れてるわ。今呼んで……」
はる香が言いかけた時だった。
何かが倒れる音。
「なに?!」
嫌な予感。
コードレスの受話器を持ったまま、はる香が階段を駆け上がった。
左側の手前にある、熱斗の部屋に駆け込む。
「彩斗、熱斗。どうし……」
どうしたの、は最後まで言えなかった。
「熱斗!!」
熱斗はドアのすぐ前で、うつ伏せになって倒れていた。
『はる香? 熱斗がどうしたんだ?! ……はる香ッ!!』
「熱斗が倒れちゃったの!!」
彼女は机に電話を置いて、自分の息子に駆け寄った。
苦しそうに息をする熱斗。
苦し紛れにカーペットを掴んだのだろう。しわが寄っている。
「…………っ……」
何かを言いたいのだろうが、言葉にならない。
「熱斗、しっかりして!」
その言葉に、必死に何かに手を伸ばす熱斗。
「…………イ…………ト…………クン…………ッ」
……イトクン。
……彩斗?!
「彩斗? 彩斗の事?」
間違いない。
彼の腕は、双子の兄の方に伸びていた。
熱斗のベッドにうつ伏せで寝ている彩斗。
特に異常は見られない。
「彩……斗…………クン」
苦しそうに、何度も呼吸をする。
……いや。
呼吸出来ていない。
どんどん顔が真っ青になっていく。
「熱斗?!」
「……サ……イ……」
「判ったわ、彩斗の様子を見て欲しいのね?」
こんな状況で、はる香もパニックを起こしているのだろう。
一旦熱斗の側を離れ、うつ伏せになっている彩斗の様子を見る。
「……彩斗!!」
彩斗の顔色は、既に真っ白になっていた。
心臓の発作を起こしたのだ。
仰向けに起こすと、助けを求めるように、細い腕を伸ばす。
「……ふぅ…………はぁッ……」
熱斗と同じように、呼吸しようとする。
しかし、どこかがおかしいのだろう。血が巡ってないようだ。
「や、やだっ!! 彩斗ッ、熱斗!!」
パニックに陥るはる香に、電話の向こう側の祐一朗が声をかける。
『はる香! 今レスキューを呼んだ!! もうすぐ到着する筈だから、落ち着きなさい! 僕もすぐにそっちに向かうから!』
「祐一朗さんッ。彩斗と熱斗……」
はる香が受話器を持ち直す。
彼女の手は、小刻みに震えていた。
『落ち着くんだ。意識はまだあるんだね?』
「で、でも……」
涙がこぼれた。
どうしていいか判らない。
誰か、どうしていいか教えて欲しい。
どうしたら二人がこれ以上苦しまずに済むのか、教えて欲しい。
「祐一郎さん……」
『はる香……大丈夫。僕がついてる。すぐにキミの側に行くよ』
「うん……」
祐一朗の、いつもと変わらない声に、はる香が少し落ち着きを取り戻した。
こぼれた涙を袖で拭う。
『さぁ、励ましてあげなくちゃ。キミがパニクってたら、不安がるだろ?』
優しく諭すように、はる香に声をかけた祐一朗は、今度は双子の兄弟に声をかけた。
『彩斗、熱斗。もうすぐだよ。もうすぐ、お医者さんが来るからね。それまで頑張ろう』
「……とうさん……」
消えてしまいそうな細い声で、彩斗が、父親を呼んだ。
そして、誰にも聞こえないような声で、こう言った。
……熱斗を、ボクの大切な熱斗を、助けて……。
『パパもすぐに二人の側にいくからな?』
「……うん……」
苦しいながらも、少し安心できたのか、熱斗が相槌を打つ。
サイレンの音。
「……来たわ!」
『はる香、誘導するんだ。二人は動かさずに。いいね?』
「はいっ!」
はる香が受話器を双子の側において、階段を駆け降りる。
『彩斗、熱斗。お医者さん来たぞ! 頑張れ!』
祐一朗の声は、既に彩斗には届いていなかった。
彩斗の発作が若干先だったのだろう。ついに気絶してしまったのだ。
「……パ、パ……」
まだ意識のある熱斗が、受話器の方に呟く。
「彩斗クンを、助けて……」
目の前が、どんどん暗くなっていく。
『大丈夫だよ、熱斗。それよりお前は、自分の事を心配しなさい』
「彩斗クンを……」
ボクの大切な彩斗クンを、助けて……。
そして、目の前が真っ暗になり……
何も、見えなくなった。

「こちらのお子さんが心臓麻痺を起こした原因が判らないんですよ」
医者が、ベッドで眠っている熱斗を見ながら言った。
「心臓麻痺を起こした原因が判らない?」
祐一朗がオウム返しする。
そのまま飛び出してきたのだろう。着ている白衣はぐしゃぐしゃだし、少しウェーブのかかったキツネ色の髪は乱れ、ネジの緩んだメガネはようやく、彼の小鼻に乗っかっている。
彼は、少し顔をしかめながら、医者の向こうにかかっている、パステルピンクのカーテンを見た。
カーテンを隔てたその隣りには、彩斗が眠っていた。
彩斗の方は、体力の低下が熱斗より激しいとの事なので、カーテンで仕切って、静かに寝かせている。
だが、二人の顔色は大分良くなっていて、もう何も心配は要らないとの事だった。
祐一朗とはる香はそれを聞いて、ひとまず安堵のため息を漏らした。
しかし……
「でも、確かに……」
はる香の言葉を遮って、医者が続けた。
「ええ、確かに心臓麻痺を起こしたようです」
「……『ようです』とは?」
祐一朗が思わず聞き返す。
だが、その答えには、驚かざるを得なかった。
「その形跡が見当たらないのです」
「バカな」
彼は、チョコレート色の瞳を見開いて、呟いた。
はる香の話では、熱斗は呼吸が出来なくなり、見る見るうちに真っ青になっていったと言う。
そして、救急隊員も「心臓麻痺だ」と断定していた。
形跡がないなど、ありえない。
「弟さんが倒れたのを見てパニックになり、擬似症状を引き起こしたのではないかと……」
「熱斗は彩斗の弟です」
祐一朗が間違いを訂正し、熱斗を見た。
「これは失礼」
この二人の兄弟関係は、よく反対に間違えられていた。
快活で面倒見がいい熱斗と、内気で甘えん坊の彩斗。
体格だって、熱斗の方が若干大きい。
間違えられるのは判る。
だが、彼は、彩斗がそのことをひどく気にしているのを知っていた。
「……しかし、カルテを見ると、このお子さんたちは一卵性双生児…。彼も危険因子を含んでいるかもしれないという事を、ご両親とも十分に理解していただきたい」
祐一朗とはる香が顔を見合わせた。
お互い、言いたい事は判っている。
……神様は、こんな小さな子供たちに、一体何をしているのだろう。
「祐一郎さん……。熱斗まで……」
それ以上が声にならない。
「……ああ……」
祐一朗も、言葉を濁らせた。
こんなに可愛い双子を授かれただけで、自分たちは幸せだと思った。
四人で楽しく、平和に過ごすのがこの夫婦の夢だった。
しかし。
二人が産まれてまもなく、彩斗の心臓の欠陥を知り、彼を家に閉じ込めて、不自由な生活を送らせる事になった。
そして、今度は熱斗まで……。
贅沢は言わない。
二人が健康でいてくれるなら、それだけでいい。
「元気でいてくれれば、それだけでいいの……」
はる香の瞳から大粒の涙がこぼれた。
何も言わずに、肩を抱く祐一朗。
「駄目なの……かな……」
「そんな事はないよ」
祐一朗が呟く。
「僕もそれだけでいいし、僕たちが守ってあげれば、きっと叶うさ」
優しく、ゆっくりと言う夫に、はる香は救われる思いがした。
「うん……」
そう。
……わたしたちが守ってあげる。
……絶対に、何があっても、守ってあげる。
「……熱斗……」
はる香が、自分の息子にそっと手を伸ばす。
それに気付いたかのように、熱斗の目が開いた。
「……ここ、どこ?」
「熱斗! よかった……」
はる香が微笑む。
「……熱斗」
祐一朗もほっとして微笑む。
訳が判らず、熱斗も笑い返す。
しかし、彼は次の瞬間、表情をこわばらせて、きょろきょろと見まわした。
何を探しているのだろう?
両親が不思議がる。
「彩斗クン……。彩斗クンっ!!」
そして、まるでそこにいるのが判っていたかのように、カーテンを引っぺがし、まだ眠っている彩斗に抱きついた。
「こ、こらっ、熱斗っ!! 彩斗は眠ってるんだよ」
祐一朗が慌てて、彩斗から彼を引き剥がそうとする。
しかし、それにも動じず、熱斗は父に質問した。
熱斗の丸い目が、祐一朗の優しい目と合う。
「彩斗クン、いつまで眠ってるの? 起きる?」
可愛い息子に見つめられて、内心嬉しいのだろう。
へらっと笑って、祐一朗が答える。
「大丈夫、明日には起きるよ」
「えぇ~? 明日まで? やだやだ。どーして? どーすれば起きる?」
どうしたって起きるが、起こすのは可哀想だろう。
今はゆっくり寝かせてあげたほうがいいだろうし。
そう思った祐一朗は熱斗の頭を撫でながら言った。
「駄目だよ。彩斗には眠りのリンゴを食べさせたからね。明日にならなきゃ起きない、魔法のリンゴだよ」
最近のお気に入りになぞらえれば、熱斗も納得してくれるだろう。
祐一朗は単純にそう思っただけだった。
しかし、事態をややこしくしただけだったらしい。
「んじゃあ、ボクがチューすれば起きる?」
熱斗が間髪入れずに質問する。
「魔法のリンゴだったら、そうすれば起きるでしょ?」
医者がぶっと吹き出した。
はる香が頭を抱え込む。
……もうこの子達のクセ、いい加減直すわ。
祐一朗が「あはは……」と気の抜けた笑い方をする。
……なるほど、はる香が心配するのも判る気がするよ。
「ど、どうだろうなァ……。白雪姫は王子サマのキスで目が覚めたけどなァ……」
彩斗は白雪姫じゃない(そもそも性別すら違う)し、熱斗は王子サマじゃない(まるで彩斗の『騎士』のようだけど)んだから、起きないよ。
そう言えなかった祐一朗は、このあとすぐに後悔した。
「じゃあ、試してみよーっと!」
言うなり、熱斗の頭がぐいっと下がる。
「うわっ! 熱斗ッ?!」
祐一朗が慌てて、熱斗の首根っこを掴んで持ち上げた。
「?!」
宙吊りになった熱斗が驚きの声を上げる。
驚きたいのは、むしろ、祐一朗だろう。
「な、なッ、何をしてるんだよぉ……」
「彩斗くんが起きるか、実験」
実験、じゃないだろう。
祐一朗が熱斗を持ち上げながら苦笑する。
「んー……。通じたのかな? 今、『早く起きて』しか言えなかった~……」
「? 言えなかったって、何?」
言いながら、熱斗をはる香に渡す。
はる香はしっかりと抱きしめ、熱斗を逃がさないようにした。
「熱斗、お願いだから、やめてちょうだい。チューはしちゃいけないのよ」
真っ赤になって言う母親に、熱斗は首を傾げて言い返す。
「何でよ~? ママだって、パパとチューしてるじゃん! 朝と、昼と、んーと、いつも!」
今度は、パパ・祐一朗が耳まで真っ赤になる。
「いッ……いつもじゃないぞっ、いつもじゃ!」
「ぷっ」
医者が吹き出した。
「いや、失礼……」
そう言って、彼は後ろを向いた。
が、笑っているのは肩の動きで判る。
「ママとパパは、ママとパパだからいいのよっ」
はる香が訳判らない論理をブチかます。
「好きだったら、してもいいのよっ」
それは違う。
言いながら、はる香は思った。
「じゃあ、ボクと彩斗クンだって、いいんだっ! 双子だもん!」
熱斗も訳判らない論理で応戦する。
「ボクも、彩斗クンのこと好きだもんっ!」
「お互いに好きじゃなきゃ駄目よっ」
はる香は言いながら、また思った。
いや、お互いに好きでも、あなたたちは駄目なんだけど。
「お互いに好きだよっ! だったらいいでしょっ?」
だから、よくないんだってば。
「うぅ……」
はる香が助けの手を祐一朗に求めた。
真っ赤になったままの祐一朗が、何を言おうか考えたその時。
「……熱斗?」
祐一朗の後ろから、可愛らしい声が聞こえた。
「熱斗……」
彩斗が目を覚ましたのだ。
丸い、キスチョコのような瞳に、熱斗が映る。
いや。
正確に言えば、熱斗しか映っていない。
ここがどこなのか、何でこんなところにいるのか……そんなこと、彩斗には関係ないのだろう。
熱斗がいてくれれば、それだけで。
「彩斗クンッ!」
母の手を振り解き、父の側を素通りして、熱斗が彩斗のベッドにひょいっと登る。
「わぁいっ、リンゴの呪いが解けたぁっ!」
「何? それ? 白雪姫?」
不思議そうに聞く兄に、熱斗が首を振る。
「なーんでもないっ! 彩斗クンっ」
それから、少し冷たい頬に自分の頬を摺り寄せて、細い身体をぎゅっと抱きしめた。
彩斗の身体とは反対に、熱いくらいの体温。
耳元で、熱斗が囁く。
「ね、さっき、呼んだの判った?」
「うん。『早く起きて』って……ボクにも、判った」
彩斗の頬に赤みが差した。
「……嬉しい……」
「へへへっ」
熱斗が笑って、兄を抱きしめなおした。
「えへへっ……」
彩斗が満足そうに、そうっと目を閉じ、熱斗に寄りかかった。
「な、仲がいい双子さんですな」
医者が苦笑する。
仲がいい双子はたくさんいるだろうが、ここまで仲がいい(というより、まるで夫婦のような)双子はそうそういない。
「……はる香」
祐一朗がはる香を見る。
「祐一郎さん」
はる香も、同じように祐一朗を見る。
「…………」
明日から、この子達のこのクセ、直すことにしようか……。
はる香と祐一朗は、安堵と、不安を混ぜたため息をついた。
……しかし、祐一朗の胸に、妙なしこりが一つ。
(熱斗の『言えなかった』って何だ? 何にも言ってなかったけど……)

翌日、二人は祐一朗とはる香が来るのを待っていた。
早めの処置がよかったのか、明日には退院できそうなくらいの見事な回復力で、二人とも暇を持て余している。
「ねぇ、熱斗」
飛ばしすぎて、飛ばなくなった紙飛行機に飽きたのか、彩斗が話しかける。
「なぁに?」
熱斗の手には、分解されかけの紙手裏剣がある。
「……ホントにボクの事、好き?」
上目遣いに熱斗を見ながら、すねたような口調。
何か不安な時の彩斗のクセだ。
「好きだよ。何で?」
即答する熱斗に、彩斗が悲しそうに首を振った。
そして、ベッドに横になり、毛布を頭までかぶる。
「だって、ボクには熱斗の事、あんまり判んないもん。熱斗はいつでも、ボクの事、判るみたいなのに……」
熱斗はじっと、毛布の中にいる、自分の兄を見た。
(彩斗クン……)
痛いくらいの恐怖心。
何より大切な人に嫌われてしまうのは、誰だって恐ろしい。
それが、『もう一人の自分』なら、なおさら……。
(ホントに、怖いんだ……)
彼は自分のベッドから降り、隣りの彩斗のベッドまで歩いた。
「……彩斗クン」
彩斗は、毛布をかぶったまま、熱斗のほうを見なかった。
「ボク、熱斗の事大好き……。ぎゅって抱きしめてもらうとすっごく嬉しいし、ずっと一緒にいたい。……でも、熱斗はボクと一緒にいると、ボクと一緒に倒れちゃうから……」
熱斗の身体がびくん、と痙攣した。
(痛い……ッ)
心臓を押さえて、目を見開く。
それから、音を立てないようにしゃがみ込む。
「ボクのこと、嫌いになっちゃったかなぁって……思って……」
本当に、胸が痛い。
心臓に鉄の重りを付けられたように、重くて痛い。
彩斗の不安と恐怖が、痛みとなって熱斗の胸を貫くのだ。
(声を……出しちゃいけない……。彩斗クンが……心配するから……)
痛みに耐えながらも、熱斗が心配するのは、兄の事だった。
……彩斗クンは? 大丈夫なの……?
毛布をかぶった彩斗を見つめる。
彩斗には、この感覚は移っていないようだ。
……良かった。
そう思った瞬間、熱斗の胸に、これまでにないような激痛が走った。
「……うあ――――……ッ!!」
声を出すまいと思っていたのに、あまりの苦しさに熱斗が喘ぐ。
「熱斗っ……?」
彩斗が毛布を剥いで、弟の方を見た。
しゃがみ込み、苦しそうに震えている熱斗。
彼は瞬時に理解した。
弟がその意思に反して、自分の感情と同調している事に。
「う……ぐっ……」
「熱斗っ……」
ベッドから飛び降り、熱斗を抱きしめる彩斗。
その途端、痛みがすぅっ……と消えていくのを感じた。
「熱斗、熱斗……。しっかりしてよぉ……」
すぐ側に、心配そうな彩斗の顔。
昨日とは違う、温かい身体。
彩斗の心臓が、ちゃんと動いている証拠だ。
(彩斗クンの身体、あったかい……。……良かった……)
心地良い温かさに大きく息を吐く。
そして、
「……大丈夫だよ。もう、大丈夫」
と、彩斗に笑いかけた。
「……ふうぅ……ッ」
彩斗のその大きな目から、涙がぽろぽろとこぼれる。
そして、彼にしがみついて、唱えるように呟き続けた。
「ごめんね、熱斗。ごめんね……」
……ボクのせいで、熱斗は苦しむんだ。
……ボクさえいなければ、熱斗は……。
彼は目をぎゅっと瞑った。
これ以上、涙が溢れないように。
熱斗に気付かれないように。
「……」
熱斗は、自分にしがみついて呟き続ける兄をじっと見た。そして、いつもするように、彼の心を探る。
「……」
……判らない。
『もう一人のボク』の気持ちが、判らない。
心を閉ざしてる……。
「彩斗クン。ボクを、見て」
両手で彼の頬を包み、ぐっと引いて、強引に目を合わせる。
再び溢れる涙。流れ込んでくる、自責。
……ボクが、悪いんだ。
(……そんな事、思っちゃ駄目だよ…)
呟いて、熱斗は『もう一人の自分』をぎゅっと抱きしめた。
「ぅ…」
痛いくらいの抱擁に、彩斗が声を上げる。
熱斗は、彼が痛がっているのを知っていたが、腕を緩めなかった。
「熱……斗……っ。痛、い……」
「駄目だよ。そんな事思ったら」
彩斗の声を無視するかのように、強い口調の熱斗。
「もう一度そんな事思ったら、怒るからね」
彩斗ははっとして、熱斗の腕を見た。
熱斗は、これまでにないくらい、怒ってる……。
顔を見上げる。
「駄目だからね!!」
そこには、目を真っ赤にして、必死で涙を堪える弟の姿があった。
よくよく見ると、腕も小刻みに震えている。
「……熱斗……」
彼らは一卵性双生児。元は一つだったモノだ。
しかし、今は他人だ。誰よりも近い存在だけども、一つではない。
それなのに熱斗は、まるで自分の悲しみであるかのように、こうやって悲しんでいる。
そして、真剣に彩斗の事を叱っている。
まるで、今でも一つであるかのように。
「……うん」
彼が返事をすると、途端に腕の力が緩まった。
熱斗が泣き顔のまま、笑う。
どことなくおかしいけれど、本当に純粋で、綺麗な笑顔。
彩斗はそれを見て、こぼれた涙を拭ってあげた。
「……熱斗……」
彩斗が『もう一人の自分』の背中に手を回した。
それから、ぎゅっと抱きしめて、瞼を瞑る。
額と額がコツン……とぶつかる。
彩斗に流れ込む、熱斗の感情。
……ボクも、彩斗クンの事、大好きだよ。
「うん……」
判ったのが嬉しくて、彩斗は思わず返事をした。
「誰よりも大切だし、ずっと一緒にいたい。だから……」
不意に、熱斗の声が消えた。
「……熱斗?」
彩斗が不思議がって彼の名を呼び、目を開けた。
鼻と鼻がくっつきそうなくらいの距離に、熱斗の顔。
「……やべッ」
熱斗が舌をぺろっと出した。
「……?」
彼の見ている方を見てみる。
「…あ」
彩斗もぺろっと舌を出した。
視線の先には……
「彩斗~……」
と、男性の声。
「熱斗~……」
と、女性の声。
祐一朗と、はる香。
「へへへへ……」
ごまかし笑いの熱斗。
「えへへへ……」
同じように笑う彩斗。
「あははは……」
引きつった笑いの祐一朗。
そして。
「………………」
無言のはる香。
それを見て、熱斗と彩斗がお互いを庇うように抱き合った。
……来るぞ。
……来るね。
「彩斗ッ!! 熱斗ッ!! あなたたち――――」
「病院内ではお静かにッッ!!」
病室外のナースの叱咤を受けて、はる香が一旦黙った。
それから、息を整えて訊き直す。
「――――あなたたち、何してるのかなぁ?」
何をしているかなんて、二人を見れば一目瞭然だが……。
聞くのはママの癖。
判っているから、双子は必死で言い訳を考えた。
「えっとね」
彩斗が言葉を濁す。
「えーっと」
熱斗も言葉を濁す。
二人で見つめ合い、それから調子を合わせて一言。
「仲良しこよし」
「ぷっ」
祐一朗が吹き出した。
「そっか、仲良しこよしか」
「もうっ」
はる香が祐一朗を怒る。
「笑わないでよ、祐一郎さんってば」
祐一朗がしゅん……とする。
「ごめん、はる香」
……この隙に逃げよっか?
……そうだね。逃げよう。
双子の兄弟が目を合わせて、同時に呟く。
「ママ……ボク、トイレ……」
それから、抜き足差し足で病室から出ていこうとする。
「あら、二人同時に? トイレなのに、スリッパも履かないで?」
後ろから、ちょっと刺がある声。
二人はそーっと後ろを向いた。
そこには、はる香が仁王立ちをして立っていた。
「……」
その迫力に、熱斗が声を失う。
「……」
圧倒されて、彩斗も声を失う。
はる香が首を振りながら言う。
「は~い、熱斗クン。昨日、ママとお約束したこと、何だったかな?」
熱斗が少し考えて答える。
昨日約束したこと。それは……
「……チューしないこと(今はしてなかったけど)」
「ご名答。彩斗クン。もう一つのお約束、何かな?」
彩斗も少し考えて答える。
「……『ぎゅっ』ってしないこと(しっかり見られてるしなぁ)」
「ご名答」
はる香がにっこり笑う。
……いや、「にっこりと」というのは、語弊がある。
「にっこりと笑ったように見せかけた引きつり笑い」というのが正しいだろう。
二人はそれを見て、再び、お互いを庇うように抱き合った。
そして。
「……ごめんなさい」
打ち合わせたかのように、二人一緒に謝る。
「あのね、ごめんなさいって言いながら、今も思いっきり約束違反してるんだけど……」
「まあまあ、はる香」
祐一朗が割って入ってきた。
「いいじゃないか。人が見てなかったら」
「そ、そういうものかしら?」
はる香が呟く。
たぶん、そういうものじゃないのだが。
「そう。そういうものだよ」
だから、そういうものではないのだが。
祐一朗が二人の方に向いてウィンクした。
それから、双子に目線の高さを合わせ、ぼそっと小声で呟く。
「ただし、人が見てたら駄目だぞ?」
声が二人から上がる。
「どーして?」
兄の声だ。
「何で何で何で~?」
こっちは弟。
何で……と言われたって、答えに詰まる質問である。
常識的に……なんて言ったって、子供たちに判りはしない。
が、祐一朗は、そういう時、必ずこう言うことにしている。
「神様が決めたんだよ」
別に宗教家でも何でもないのだが、神様の存在は実に扱いやすい。
子供にも判る、『絶対的』な『絶対』だからだ。
しばらく、ぷうっ……と頬を膨らませていた二人だったが、
「あっ」
彩斗が呟いた。
「いい事思いついちゃった」
祐一朗の頭に、一抹の不安……。
そして、予感は見事に的中した。
「ボクが女の子だったら、みんなの前でぎゅってしてもいいんでしょ? じゃあ、ボク、今日から女の子ね」
祐一朗だって、贅沢を言えば、女の子も欲しかった。
この双子のどちらかが女の子だったら、言うことないな……なんて事も、産まれた当時は少しだけ、考えた。
だけど、今はこんな可愛い(少し問題児だが)子供たちを授かれただけで感謝している。
それに、なによりも……
なれる訳がないだろう。
盗み聞きしていたはる香が、慌てふためいて言い返す。
「な、なれないわよっ」
「どーして?」
「か、神様が決めたのよッ」
ナイスフォロー。
祐一朗が心の中で拍手するが、危機はまだ去っていなかった。
「じゃあさ」
熱斗もちっとも判っちゃいない。
「ボクがなればいいんだ!」
だから、なれる訳がない。
「な、なれないだろ?」
祐一朗が言い返す。
「何で何で何で~?」
「それも神様が決めたんだよ」
神様は便利だが、そう何度も、連続して使うものじゃない。
使っている大人が、心苦しくなってくる。
「じゃあ……」
彩斗と熱斗のむちゃくちゃな質問。
「だから、神様が……」
祐一朗とはる香の苦しすぎる言い訳。
両親と子供たちの『神様』合戦は、ゆうに一時間に及んだ。
「光さん。もう、その子たち退院しますか。元気そうですし(ご両親もうるさいし……)」
ナースの一声で、その日のうちに退院になったのは言うまでない……。


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