【小説】オリジナル/SS/クロヴィエとアリスティード

[ 地図 / ドレス / ラヴェンダー ]

 その図書館は、いつもラヴェンダーの香りがした。
 僕のまとっているドレスにぴったりな、優雅な香り。
 僕はそこでまどろむのが好きで、柔らかい香りに深呼吸を繰り返しては、ため息をついたものだ。

 その日も、僕は図書館にいた。
 背の高い書架だらけの部屋を通り過ぎようと、少し足を速める。
 お気に入りの、ファーブルハンギングソファ。ブランコのように吊り下げられていて、揺れるソファーのことだ。
 それが、僕の特等席。
 今日はその特等席に、見慣れぬ地図がぽつんと置いてあった。

 なんだろう。
 僕はそう思って、それを手に取った。

 知らない国の名前、知らない街の名前、知らない山、知らない川、知らない湖。
 不思議なことにその地図は、覗けば、その場所が『視られる』のだった。

 僕はその日から、図書館でまどろむことより、その地図を覗くことに夢中になった。

 地図を『視れば』、空気の匂いも変わる。ラヴェンダーの香りだったはずの周りは、あるときは清々しい草の香り、あるときは雨の匂い、あるときは潮風と、表情を変えた。

 なにも知らない僕に、その地図はなんでも教えてくれた。

 母が死んでから、ドレスを着せられ、女として生きてきた僕には、知り得ないことだった。
 知りたい、もっと。いろいろなことを、世の中を、世界を。

 ますます地図に魅せられた僕が、ある日図書館に行くと、もう地図はなかった。

 魔女の地図。汚らわしい。燃やしてしまえ。

 そんなふうに言われ、魔女裁判にかけられ、有罪になった地図は火にくべられたのだ。

[ もなか / ミシン / 懇願 ]

 母様は、平民の出だ。
 平民であった頃は、手遊びとして、よく、縫い物を嗜んだという。
 そんな彼女のために、父様はミシンの間を彼女に用意した。

 小さい部屋。
 それでも母様は、とても喜んでいた。

「見て、私のお城よ」

 そんなミシンの間は、母様が生きていた頃は彼女のアトリエとして機能していたが、母様が流行り病で亡くなってからというもの、父様は人が変わられてしまった。
 愛する人のお気に入りだったアトリエを、仕置き部屋に作り替えてしまったのだ。
 何人の使用人がここで命を絶ったか、もう僕にも分からない。

 僕は今、そこに繋がれている。
 『魔女の地図』を視ていたことが、父様に知られてしまったのだ。
 重い足漕ぎミシンは、鎖で繋ぐときの重しとしてぴったりなのだろう。僕の足に繋がれた鎖は、亡き母の、形見のミシンに続いている。
 やがては、僕も、使用人たちと同じ道を辿るのだろう。
 カタン、と音がして、拷問官と父様が現れた。

 激しい責問は、どのくらい続いただろうか。
 だけども僕はなにも知らない。あの地図がなぜあの図書館にあったのかすら。
 着ていたドレスは裂け、肌は破け、血を吐いた。
 僕はその最中、父に懇願した。

 『魔女の地図』を作った者に会ってみたい。
 絶対に見つけ出す、だから。

 父は、そんな僕の顔を見て、拷問官を下がらせた。
 父様が僕を許した理由は、僕には分からなかった。

[ ババロア / ガーネット / ブローチ ]

 僕はミシンの間から出してもらえたあとに、傷を癒やすための部屋に移された。

 筆頭侍女は、生きて出られたお祝いに、と好物のババロアを作って持ってきてくれた。

 まろやかな甘味で生きていることを確かめていると、父が小さな箱を持って、僕を訪ねてきた。
 箱の中身は、ガーネットをあしらったブローチだった。
 キラキラ輝くそれは、地図を作った者の持ち物だという伝承があるという。

「かの者を探す際に、必ず役立つであろう。持って行け」

 父様はそう言うと、きびすを返し、部屋を出て行った。
 声を掛けようとしたが、なんと言えばいいのか、僕には分からない。
 彼の背中が、なんだか小さく見えた。

[ 菫 / 切符 / 祝福 ]

 傷が癒えたのは、スミレの花が咲く頃だった。

 僕は傷が癒えるまで、いろんな文献を調べた。
 いろんな伝承に登場している、不思議な力を持つ者。それが、『地図』を作った者で間違いなさそうだ。
 その者が登場する、一番新しい伝承は、東に伝わる話のようだ。
 僕はドレスを脱ぎ捨て、冒険家として東を目指すことにした。

 出発の日。筆頭侍女が見送りに来てくれた。
 彼女は、汽車の切符を僕に渡しながら、空いた手で十字を切った。

「坊ちゃまの旅が、なにごともありませんように」

 祝福を受け、僕は汽車に乗り込んだ。

[ 植物 / 呪文 / 空 ]

 空まで続く大樹に寄り添う街。
 それが東の果てだった。
 伝承によれば、求める者が呪文を唱えれば、かの者は現れるという。

「The quick brown fox jumps over the lazy dog」

 唱えてみたが、なにも起きない。
 まあ、当たり前だろう。僕だって、期待してはいない。
 ところが。

「まあ、合格かな」

 いつの間にか後ろにいた青年が、僕を値踏みするような目で見て、そう呟いた。
 その視線に居心地が悪くなりつつ、僕は彼を睨みつける。

 おお、おっかない。

 白い服を着た彼はそう言って両手を挙げて笑い、僕の帽子についていたブローチに触った。
 そのとき、帽子のプリム越しからでも分かった。ガーネットだと思っていた宝石が、光っている。

「あなたは」

 僕の問いに、彼は答えた。

「君の求める者だよ」

[ 螺子 / 月桂樹 / 森 ]

 彼に連れられて、ネジのごとく螺旋になっている、大樹の中を歩く。
 なんでも、この先は森になっていて、その中の月桂樹の葉がほしいらしい。
 木の中が森だなんて、なんとも頭がおかしくなりそうな話だが、事実、中は森だった。

「お前のおかげで、僕はひどい目に遭ったんだ」

 先を行く青年に、僕は噛みつかんばかりに不満をぶつけた。
 知ってるさ。青年はこともなげに言う。

「地図を視ているとき、君もまた、地図に視られていたのさ」
「なにを」
「地図を視ている者を私は見ることができる。私は君を知っている。アリスティード坊ちゃま」

 つまりは、ドレス姿も見られていたと。
 そういうこと。青年がコロコロ笑う。

「よく似合っていたよ。最初は女かと思っていた」

 僕はあの姿が大嫌いだったのに。
 一回、殴ってやろう。
 そう思って拳を握り、振り上げると、彼はこちらを向かないで避けた。
 よろめいた僕は、体勢を立て直す。

「ああ、いいローリエが見つかった。これは使えそうだ」

 どうやら青年は、避けたわけではなくて、単にいい月桂樹が見つかったので駆け寄っただけらしい。
 それが、余計に腹が立った。

「また魔術を使って人に迷惑を掛けるつもりか」

 僕の言葉に、青年は不思議そうな顔をして、こちらを見た。
 そして、彼の言葉は僕を惑わせる。

「君のお父上も、同じことを言っていたが。私は人に迷惑を掛けようとしたことなんてないよ」

[ シナモン / スカート / 笑う ]

 彼の住んでいるという小屋に着いた。
 彼は、濃く淹れたミルクティにコショウとシナモンを浮かべた飲み物を作って、僕にくれた。
 夕暮れ時になり、少し肌寒い今、この温かい飲み物はなんとも嬉しい。

「君のお母上の幼い頃を、私は知っている。長いスカートの似合う、可愛らしい少女だった。そうだな、君は彼女によく似ているね」

 微笑み、彼は僕を見た。
 その顔はあくまで優しくて、魔女だとは思えない。
 いや、そもそも、男性だから、魔女ではないのか。
 そんなことはどうでもいい話だが。

「お母上は愛らしく、聡明な方だった。貴族のお父上が見初めるのも無理はない。私は身分不相応だからね、身を引いたんだ」

 それでも彼女は、私の救いだった。女神だったと言ってもいい。
 彼は懐かしむようにそう言った。

「私は君のお父上に、病を流行らせたという嫌疑に掛けられた。魔女裁判に掛けてほしくなければ、妻の病を治せと交渉されてね」
「流行らせたのはお前ではないのか」

 僕の問いに、彼は肩をすくめた。

「私は、永遠に近い命を持っているが、そんなことはできないし、できたってするもんか。第一、お母上のことは私だって好きだったんだ。彼女にかかる可能性のある病なら流行らせはしないし、治せるものなら治してる」

 そう言ったけど、お父上は聞いてはくれなかったよ。
 彼は悲しそうにいい、カップの飲み物を飲んだ。

「結局、お母上は亡くなった。お父上はそりゃあお怒りだったさ。私も死なないわけではないからね。魔女裁判に掛けられるのはごめんだと思って、そんなわけで、東の果てに逃げ出したわけさ」
「『魔女の地図』はなんの目的で作ったんだ」

 僕の問いに、彼はこともなげに言い放つ。

「彼女が面白い見世物が見たいって言うから、手遊びに作ったんだ。タブレットに、世界地図の描かれた羊皮紙風のカバーを掛けて、ついでに空間VRと双方向カメラも搭載してみた」
「タブ……? いや、僕はだまされない。ガーネットだって光った」
「ガーネット? ああ、赤い発光ダイオードを埋め込んだ、あのおもちゃのブローチね。第一、君たちはアレを『魔術』だと言うが、あれは『科学』だ。魔術なんかあるわけないだろ」
「ハッコダイ……? なんだか分からないけれど、なにをデタラメな。あんな科学があるものか」
「遙か昔、大昔はあったんだよ。私はそれの生き残りなだけ」
「第一、さっきだってローリエを」
「この辺の空気は汚いからね。食べ物に使うローリエだったら、綺麗なもの選びたいでしょう」

 彼はそう言って、かまどの方を指した。
 かまどからは、いい匂いがしている。食べ物の匂いの湯気。湯気の匂いには、確かにローリエのそれも混ざっていた。

 青年の言うことに、嘘はなさそうだ。
 しかし。

「……呪文」

 僕はポツリ、と言う。

「呪文はなんだ? 白魔術か、黒魔術か? どんな意味なんだ。それだけは答えて貰いたい」
「『すばしっこい茶色の狐はのろまな犬を飛び越える』」

 彼の答えに、僕は変な顔をしたんだと思う。
 青年はそれを見て、ぷっ、と吹き出した。

「大昔、世界共通だった言語の文字を、大体一文字ずつ使った文章だよ。文字のサンプルの表示に使ったやつなんだ、意味は特にない」
「意味ないならどうして」
「知ってたら、その時代から生きてた仲間だろ。ああ、でも、伝承で語り継がれちゃったのか。もう仲間との合図には使えないな」

 彼はそう言って、寂しそうに笑う。

「長いこと探したけど、結局、生き残りに会えた試しはないし、いい加減にあの『呪文』も捨てるべきなのかもな」

 僕はなんだか、彼に同情を覚えていた。
 独りで長いこと生きていたのが本当なら、彼の孤独はいかほどのものだったのだろう。
 彼が言うように、母様が、彼の救いだったのなら。

「……てやる」

 ん?
 彼はそう聞き、僕に確かめた。

「そばにいてやる、と言っているんだ。聞こえなかったのか」

 母様はきっと、この青年を気に入っていたのだ。
 魔法使いのような、この科学者の青年を。
 父様も、彼を嫌いではなかった。
 だから、母様を救えなかった自分も彼も、憎んだのだろう。
 それがいつしか歪み、母様のアトリエが仕置き部屋になった。

 きっと、壊したかったのだ。
 母を救えなかったすべてを。
 そして、忘れたかった。
 母のことも、全部。

 でも、忘れられなかった。
 僕という、そっくりな忘れ形見が残っていたから。
 それが父を歪ませた。

 だから、僕は帰れない。
 それに、母を好きでいてくれた、この青年が孤独ならば、たとえ彼にとっては刹那でも、その孤独と寄り添いたい。

 それが、僕の覚悟。
 僕の出した、結論。

[ 鷲 / 泡 / 額 ]

 彼と過ごし始めて、数ヶ月が経った。

 最初に、鷲を使って、父に手紙を送った。
 もう帰らないこと、『地図』の作り手に会えたこと、彼と一緒に暮らすこと。
 ありったけのことを書いて、父様への最後のラブレターとした。

 父からの返事は

「今まですまなかった、アリスティード。幸せにな」

 それだけだった。
 でも、父様の気持ちは、十二分に伝わってきて、僕にはそれが嬉しかった。

「アリス、泡立てすぎ」

 青年は結構口うるさく、僕の料理に口出ししてくる。
 今も、生クリームを泡立てていたら、彼がすっ飛んできて頭を抱え始めた。

 そりゃあ、大昔はさぞかし飽食の時代だったんだろうが、今はおなかいっぱい食べられればそれで豊かな暮らしなんだぞ。文句を言うな。

「だからこそ、食材は大切にしろと言ってるんだよ。なんだこれ。ツノが立つってレベルじゃないでしょ」
「ウェディングケーキは日持ちする方がいいだろう」
「生クリームはいくら泡立てても日持ちしないよ」
「うそ」

 本当に箱入りだなぁ……。
 彼はそう言って、僕から生クリームを奪い取った。

「ああー。これ、どうしよう……」
「そんなの知らない。お前がなんとかすればいいんだ」
「そんなご無体な……」

 青年は泣きそうだ。
 いい年して泣くなよ。何歳生きているんだ。

「第一、お前と結婚してやるって言ってるのに、お前は贅沢だ」
「なにが?」
「自分の名前すら、僕に話そうとしない」

 僕がそう言うと、彼は目を見開いた。

「え、自己紹介してなかったっけ」
「されていない。お前の名前を、僕は未だに知らないんだぞ。恥を知れ」
「君が、私のことを『おい』とか『お前』でしか呼ばないのってそういう理由だったの」
「ほかにどういう理由だと思ったんだ」

 怒った僕を抱き寄せて、彼は、僕の額にキスをした。

「私の名前はクロヴィエ」
「クロヴィエ」

 僕は確かめるように、このうっかり者の名を口にする。

「クロヴィエ」
「うん、なぁに」
「愛してるぞ、クロヴィエ」

 クロヴィエは優しく微笑み、ゆっくりと唇を寄せた。

「愛してるよ、アリスティード」