【小説】オリジナル/ブルプリAfter/至るまでの物語


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<<【小説】オリジナル/ブルプリ/Stage10『雨と少年』
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「本当に来るとは思わなかった」
 ドアを開けたルアムが意外そうな顔でアルトを迎えた。
 眼の下に少しクマを作ったアルトが、照れくさそうに笑う。
「約束だったし」
 その言葉に、少し複雑そうな顔でルアムが返す。
「そういうのは反故にしてもいいんだぞ?」
 そう言いながらも、アルトを室内に招き入れたルアムは少し嬉しそうにして、彼に椅子を勧めた。
 レインフォレストに生えているコシカケキノコ。それでできた椅子に座ったアルトは、きょろきょろとする。
「……なんだ?」
「少し、室内が変わったな?」
 よく見ている。
 そう思いつつ、ルアムは反対側のコシカケキノコに座る。
「断捨離、てやつだ。特に意味などない。……ところで」
 ルアムは心配そうに、幼い少年を覗き込んだ。いつもよりオシャレをした彼は、しかし、眠そうにあくびを噛み殺しながらこちらを見る。
「眠たそうだな。きちんと寝ているのか?」
「昨日は眠れなかった」
「なぜ」
 そう訊いた青年に、アルトは恥ずかしそうに笑う。
「デート、楽しみで」
「……アルフレッドは反対しなかったのか?」
「しない。オレのこともお前のことも信用してるって」
 アルトは足をブラブラさせてから、身を乗り出した。
「どこ行く? お金もいっぱい持ってきたし、街に出てショッピングでもするか?」
 その彼の顔を見ないように、ルアムは立ち上がった。
「その前に、喉乾いたろう。レモネード作ってやる。待ってろ」
 キッチンに向かう青年に、アルトは呼びかける。
「ありがと。オレがレモネード好きだって知ってたっけ?」
「アルフレッドから聞いたよ」
 カチャカチャとかき混ぜる音と共に聞こえてきた声は、少しそっけない。アルトはちょっとだけ不思議そうに返した。
「……来たの、ダメだったか?」
 コップを持ってきたルアムは、いや、と言葉を濁す。
「……意外だっただけだ」
 アルトの前に、魔宝石を入れたコップに注がれたレモネードが出された。このタイプの魔宝石はものを冷やす効果があり、氷の代わりによく使われる。
「美味しそうだな」
「練習したんだ、お前の好物だと聞いたから」
 アルトはいただきます、と行儀よくお辞儀をして、飲み始めた。
「美味しい」
「そうか、よかった」

 **********

 アルトがはっとして目を開ける。
 暗くなった室内、彼はベッドに寝かされていた。
「……え?」
 覚えていない。何も。
 レモネードを飲んだ。それは確かだ。
 そのあと? どうした? なぜ覚えていない?
「起きたか」
 隣から声が聞こえて、アルトがそちらを見た。
 狭い、一人用のベッドの中、寄り添うように青年はいた。
 アルトは瞬時に理解した。
「……てめぇっ……!」
 アルトは青年に馬乗りになった。それでもなお、ルアムの表情は変わらない。
「なにすました顔してんだ!」
「殴りたいのだろう? 殴ればいい」
「このっ……!」
 アルトが腕を振り上げる。
 しかし、ルアムのところに、腕より先に落ちてきたのは、大粒の涙だった。
「……アルト?」
「お前も……そういうやつだったのかよ……」
 可愛らしい顔をくしゃくしゃにして、アルトが叫ぶ。
「そんなにオレとしたかったら! 金でも積めよ! いくらでも抱かれてやるから!」
「違う! 神に誓って、お前に手出しはしてない!」
 ルアムが起き上がり、アルトの肩をつかんだ。
「ただ、寝不足なのがあまりに痛々しくて、いつも使っている睡眠薬を……」
 言われた瞬間、アルトは青年の胸ぐらをつかむ。
 金色の目は怒りに燃え、鋭い眼光を放っていた。
「なんて言った?」
 胸倉をつかまれたまま、ルアムは「神に誓って、手出しはしていない」と言い返す。
 しかし、アルトは
「そこじゃない!」
 と叫ぶと、彼を引き寄せた。
「いつも使っている睡眠薬?」
「え、あ……」
 しどろもどろになる青年に、アルトの眼光はさらにきつくなった。
「お前、そんなもの使ってたのかよ!」
 そう吠えたアルトは、青年をベッドに寝かしつけた。
「デートはまた今度! お前が薬なしで眠れるようになったらにするぞ!」
 寝かしつけられたルアムは居心地悪そうに毛布から顔を出す。
「怒らないのか……?」
「なに言ってんだ! 充分怒ってるだろ!」
 違う。
 彼はますます居心地悪そうに呟いた。
「お前に薬を盛ったことに対してだ」
「何もしなかったんだから別にいい」
 その言葉を聞いて、ルアムは、アルトに背中を向けた。
「……私」
「あーもう、言い訳はいいよ」
 アルトはめんどくさそうに言って、ため息をついた。
「……お前と城下町で別れたあの時から、眠れてなくて」
「えっ、そんなに?」
 少年は壁の方を向いている青年を見た。魔宝石の寿命が近いのか、明かりは消えそうで、その明かりが彼の影をゆらゆらと揺らしていた。
「また、お前に置いて行かれるんだと思うと耐えられなくてな」
「なに言ってるんだよ。お前にもブループリズムとカルミナ鉱石渡したろ。いつでも来ていいんだぞ」
 ルアムが寝返りを打つ。彼の碧眼は相変わらず透き通っていて、ただ一人だけを映していた。
「私は、お前と違うから年を取ってやがて死ぬ。お前はそのままなのに」
 時が止まった少年は、泣きそうになって震える青年を見つめた。自分の倍生きているはずの青年は、なんだか小さく見えた。
「わがままを言えるならば。それが許されるなら」
 震える手は、アルトを抱き寄せた。それを受け入れて、彼はこの寂しがり屋な青年を撫でる。
「……連れて行ってくれ。私も」
 ルアムは少年に必死にしがみつく。アルトの膝に、ポタポタと雫が落ちた。
 確かに、アルトには……『楔』には『眷属』を選ぶことができる。ルアムはどこかでそれを調べたのだろう。
 だがそれは、マスターとサーヴァントの関係になるということだ。
 しかも、サーヴァント側からは契約を切れないが、マスターは契約を一方的に破棄することができる。契約を破棄された『眷属』は人間には戻れず、存在自体が消える。決してフェアではない。
「そうしたら人間じゃなくなるんだぞ」
「構わない」
 即答するルアムに、アルトは言葉を重ねる。
「オレが一方的に契約を切れるんだぞ」
「構わない」
 アルトが顔を歪めた。
「……契約切ったら、お前、どうなるか分かってるのか?」
「それでも」
 アルトの腰に回っている腕に力がこもる。こんな細腕なのに、意外にも力が強い。そのことにびっくりして、アルトは身体をよじらせた。
 それを感じたのか、ルアムはさらに力を強める。
「お前にまた置いて行かれるより、幾分ましだ」
 アルトがため息をついた。
「……取り敢えず、今日は泊まってく。一晩寝て、じっくり考えろよ。一晩寝ても変わんないんだったら、契約しよう」
 それを聞いて、ルアムは頷いた。起き上がると薬をザラザラと取り出して口にし、水で流し込む。
「ちょっ、お前適当に飲むなよ」
「適当じゃない。適量しか飲んでない」
 かなりの不眠症なんだな。
 アルトは再びため息をつき、隣で横になった青年の頭を撫でた。
「……眠れそうか?」
「……ん」
 青年は再び、アルトに抱きついた。アルトも再びそれを受け入れ、頭を撫で続ける。
「アゼルの人って、髪の毛ふわふわしてるよな。気持ちいい」
「アルト」
 ルアムは気持ちよさそうに少年の名を呟く。
「……そばにいて」
「ああ、眠るまでは」
 アルトの返答に、ルアムはもう一度彼の名を呼ぶ。
「アルト」
 呼ばれた少年は、なんだ、と優しく問う。
「……おいて……いかないで……」
 今度は答えるわけにいかず、代わりに撫で続けることで答えとした。
「アルト……」
 呼ばれて、アルトは何度目かの返事をした。
「なんだ?」
「……愛している、というのは……」
 眠いのだろう。ルアムの声が小さくなる。
「……重い、だろうか……」
 やがて、小さく寝息が聞こえてきた。
 アルトはそれを聞いてから、起こさないように小さい声で返す。
「オレが最初に愛したのは……多分、お前だよ。ルアム……」

 **********

 ふわふわと漂ういい匂いで、ルアムは久しぶりに気持ちよく目覚めた。
「あ、起きたか」
「ん……」
 まだ寝ぼけている青年に、エプロン姿のアルトはせわしなく動きながら語りかける。
「よく眠れたか?」
「……まぁまぁだ」
 よろしい。
 アルトはそう言いながら、ルアムにうがいをしてくるように促した。ぼーっとしたままうがいをしてきたルアムが戻ってくると、アルトがベッドルームのテーブルに食事を並べ始める。
「まだ眠いだろうから、ここで食べよう」
 並べられた食事は、以前ルアムが好きだと言っていた『肉じゃが』と白米を炊いたもの、焼いた川魚に、保存食として塩漬けにした野菜。みな、極東の島国で食べられているものだ。
「豪勢だな」
「まあな。食おうぜ。魚、釣ってきたばかりだから旨いと思うよ」
 ルアムには箸を、自分にはフォークを添えて、アルトはいただきます、と手を合わせた。ルアムも寝ぼけながら十字を切り、食べ始める。
「……川魚、旨いな」
「脂乗ってるよな」
「……釣ってきたと言っていたが」
「川流れてる場所あるだろ? あそこ、釣り出来そうだったからしてきた。食べれる魚いっぱい泳いでるのな」
「私もよく釣りをするが……。食材として見たことはなかったなぁ。ファルにやるために取ってくるだけだ」
 ファルとはルアムが飼っている黒鷹だ。
「ファルにはご飯やっといた。アイツ、ご飯食べる時だけオレに寄って来るんだよなぁ」
 アルトの言葉に、ルアムがふふっ、と笑う。
「ファルは私がお前に夢中なのが心底面白くないらしい。ライバルとしてみてるんじゃないか?」
「えっ。アイツ、それでオレのことよく噛むのか」
「噛むのか」
「噛む。甘噛みだけど痛い」
 甘噛みか。ルアムがお茶を飲んだ。
「なら、愛情表現だ。アイツはそういうのが下手なんだ。すまないな」
「飼い主と似るんだな」
 その言葉に、ルアムはバツが悪そうにする。
「私は愛情表現が下手か?」
「下手だなぁ。素直に『一緒に寝よう』とか言っときゃいいのに、ヒトに睡眠薬飲ませて無理矢理寝かせるあたりとか」
「うん……まあ、気をつける」
 塩漬けの野菜を箸休めとして食べたルアムが、ん、と声を上げた。
「そういえば私、こんなの常備してないぞ。これ、お前が作ったのか?」
「文献で読んでさ。アサヅケ?とか言うらしい。お前の好きな塩漬け野菜ではないけど」
「塩漬け野菜、ではなく、漬物」
 ルアムの言葉に、うーん、と言いつつ浅漬けを食べたアルトは、首を傾げながら咀嚼する。
「食べたことないしなぁ、ツケモノ。これも文献のレシピ通りには作ってるけど、味が合ってるのか分からないなぁ」
「合ってる合ってる。旨いよ」
 ルアムはさ。アルトが問いかける。
「……その、極東の島国、行ったの?」
「一年ほどいたかな」
「どんなところだった?」
「ご飯は美味しかった。だが、二度と行きたくはない。高温多湿でな、ひどく過ごしにくいんだ」
 ふーん。
 アルトがお茶を飲む。
「……やっぱ、このお茶はダメ。苦い……渋い?」
「なら、お前は違うの飲めばいいだろう」
「今度こそ美味しさ分かるかなぁって」
「これは飲み慣れないと無理だ。私も最初は拷問かと思った」
 拷問かぁ。アルトが声をあげて笑う。
「お前、最初、オレにそれ飲ませたのに?」
「あの時は正直、早く帰ってもらいたかった」
 アルトはお腹を抱えて苦しそうに笑う。
「なんだそれ! 連れ込んだのお前なのにひっどいなー!」
 楽しそうに笑うアルトをちらっと見て、青年は食事を続ける。
「相変わらず、肉じゃが旨く作るな。レシピ覚えてたのか」
「あ、うん。記憶取り戻してから、家でも何度か作ったよ。旨いよな、この料理」
「島国の人がカレーを思い出して作った料理がこれだそうだ」
「え、じゃあ、カレーと親戚なのかこれ。なんか変なのはいってるけど」
 ルアムが箸でつまんで、白滝、と言った。
「コンニャクイモでできたものだそうだ」
「なんでこんなプルプルしてるの?」
「コンニャクイモを煮たものに灰を入れて……とかなんとか」
「なんでそんなもん入れんの?」
 青年は必死に思い出し、そうだ、と頷いた。
「じゃないと毒があるらしい」
「毒があるもの必死こいて食うとか、どんだけ食い意地張ってんだその国の人たち……」
「よく分からんが、何でも食うぞあの国の人たちは。でも、エジャールではどうなんだ? なんか、食糧事情はよくないと聞いたが」
 んー。アルトが少し考えた。
「よくはなかったな。うちが貧乏だったのもあるけど。アルフレッドがよく食べるからおやつ欠かさずに作ったけど、材料揃えるのも苦労した」
「何作ってたんだ?」
「アイツのお気に入りはステンドグラスクッキー。くり抜いた中に溶かしたキャンディ入ってるやつな? でも、卵とバター高くってさあ。キャンディも高級品だし」
完成品お裾分けするのを条件に、近所のおばさんに材料分けてもらってた。
彼はそう言いつつ、ジャガイモをフォークで突き刺して乱暴に頬張った。決して行儀のいい食べ方ではないが、その飾らない食事方法ですら好きだとルアムは思っていた。
 アルトが身を乗り出す。
「お前の話、もっと聞かせて」
「つまらないと思う」
「オレが聞きたいって言ってんの」
 うん……。
 ルアムは言葉を濁し、それからしばらく考えて話し始めた。
「私、家名を名乗ってないだろ?」
「でも、ドルケさんと兄弟だから一緒だろ? リノに聞いたけど、すごい由緒正しい騎士の家らしいじゃないか」
「……いや、私は家名を名乗れないんだ」
 青年は一旦箸を置いて、ため息をついた。
「親父に勘当されててね。私はあの家名を名乗れないし、なんなら家の門もくぐれない」
「……なにしたの、お前」
 訝しげに言うアルトに、ルアムはお茶に手を伸ばしながら答える。
「逆。なにもできなかったから追い出された」
「なにそれ」
「兄貴がリノさまの側近にまで登りつめたろ? それなのに私ときたら剣の腕がからきしで、騎士団に入れずに厨房に回されたんだ。そりゃあ親父は怒ってね。手切れ金をやるから出てけと言われてこのザマだ」
 ごくり、と喉を鳴らして青年がお茶を飲む。再びのため息のあと、テーブルにカップを置いた。
「兄貴は私を匿ってくれようとしたんだが……自分が惨めになってね、島国を放浪したあと、あの人種混合地区に辿り着いたんだ」
 そもそも。
 ルアムは茶碗を持って川魚をほぐし、それでご飯を食べた。
「私が小説家目指したのだって、完全なる兄貴への逆恨みだ」
「意味がわからないんだけど……」
「デザーは兄貴の幼名だと言ったろ。あの名前で売れない小説家になって、兄貴が少しでも馬鹿にされればいいだなんて……そんな意地悪いことを考えてたんだ、私」
 ははあ。アルトが声を上げる。
「目論見外れたなあ」
「こんなに売れるとは思わなかったし、私のファンだと初めて言ってくれた子にベタ惚れしてしまうのも予想外だったし、まったくもって人生ってわからないものだな。こんなことなら、ペンネームを自分の幼名にすればよかった」
「お前の幼名って?」
「ルゥ」
「あはは、ルゥか。かわいいな」
 魚をほぐすのが下手なのだろう。アルトは両手で色々とやっていたが、そのうち諦めて魚にカプリとかぶりついた。
「お前は幼名とかあるのか?」
「幼名ってわけじゃねーけど、伴侶以外にはヴァレルだなあ」
 アルトの言葉に、ルアムの頬がみるみるうちに染まった。
「お、お前はっ。そのっ。伴侶向けの名前を、呼ばせてたのかっ……?」
「だって、そーゆーこと、アルフレッドが教えてくれねーんだもん」
 悪びれないアルトに、ルアムはまさか、と訊ねる。
「アルフレッド、ていうのも?」
「アイツの外向けの名前、クリスな」
「……私もしかしてとんでもない呼び方してたんじゃないのか? 大丈夫か?」
 今更だし。アルトは言いながら、指をペロリと舐める。
「そもそも、人種混合地区とかだと、伴侶向けの名前で呼ばれることも多いし。気にしてねーし、アイツもだと思う」
 んー。
 アルトは白いご飯を見つめつつ、気難しい顔をした。
「これ、いつも食べ方迷うんだよな。味ない」
「それは魚や肉じゃがなどのメインディッシュと一緒に食べるんだよ。私はそうしてるだろう?」
「……それ、やってみたけど気持ち悪くて」
 少し笑って、ルアムが立ち上がった。
「口内調理というものらしいが、確かに慣れないと無理だな。待ってろ、いいものがある」
 彼はそう言って、キッチンに行き、蓋つきの器を取ってきた。
「これをご飯に振りかけて食べてみろ。私も慣れないうちはそうやって食べてた」
 アルトはそれを受け取り、ご飯に振りかけた。そのご飯をフォークですくって食べる。
「あ、美味しい。これはいいなぁ」
「だろう?」
 かちゃり。
 ルアムが箸をおいた。
「ごちそうさま。美味しかったよ」
 彼の皿にはわずかの白米も残っておらず、ただ魚の骨が横たわっているだけだった。
「綺麗に食べるなぁ」
「人間としての最後のご飯だからな。一応、悔いのないようにしておいた」
 その言葉を聞いて、アルトの表情が曇る。
「……本当に、オレと契約する気なのか?」
「お前が許してくれるなら、私はそうしたい」
 真っすぐな視線は、アルトには痛いだけだった。
 目を逸らして、もしも、を言う。
「……オレが裏切って、契約を解除したらとか、考えないのか?」
「お前をマスターにするというのは、私が決めたことだ」
 ルアムは躊躇せずに続ける。
「そして、お前が契約を解除するというのなら、それはきっと、私が至らなかったのだろう」
 だから。
 彼はそう言って、目を逸らしたままの少年の手を取った。
「そうなっても、私は後悔しない。後悔することがあるとしたら、今お前と契約をせず、お前に置いて行かれることだけだ」
「……でも」
「私のことを最初に愛してくれたのなら、私のわがままをもう一つくらい聞いてくれ」
 その言葉に、アルトは青年を見た。
「聞いてたのか」
 アルトの顔を見て、この青年は明らかに傷ついた顔を見せ、俯いた。
「……すまない。聞くつもりはなかったし、もう二度と言うつもりもない。お前が今好きなのはアルフレッドだということも分かっている」
 けれど……。
 ルアムが言葉を濁して、沈黙した。なんと言おうか、考えあぐねているようだった。
「……お前は、ズルい」
 青年から出た言葉は、アルトを責める言葉だった。
「私はこんなにもお前だけを想っていて、お前さえいれば何もいらないとすら考えているのに」
 手のひらを握る手に力が籠った。
「お前はいつも私から逃げていくんだ。思わせぶりな態度を取って」
「……」
 アルトが、こうべを垂れたルアムを見た。
 黒髪が揺れる。
「何度も忘れようとしたんだ! お前とのことなんて何もなかったと! 私は独りきりのままだったと!」
 それなのに。
 彼の声がわずかに震えた。
「私はお前を忘れられなかった……。嫌いにも、なれなかった……」
 彼の手が急速に冷えていく。
「私は……私でいる限り……お前のことが好きだ」
 その手を、アルトは両手で温めようとしたが、振り払われた。
「でも、それは苦しいんだ。嫌なんだ。置いていかれることも嫌だが、報われないのは、もっと。だから」
 顔を上げた青年は、涙でボロボロだった。
「契約を、しよう。そして、すぐに解除してくれ。私は、私を、消したい」
 もう一度俯いたルアムに、アルトは震える声で返す。
「ルアム……」
 アルトがルアムのそばに行って、彼をそっと抱きしめた。
「優しくしないでくれ。惨めなんだ、私が」
「それでも、放ってはおけない」
 ルアムは乱暴に立ち上がって、アルトを押し倒した。
「放ってはおけない、か」
 組み敷かれたアルトは、手首を掴まれたまま、青年を真っすぐに見つめる。
「お前は誰にでもそうなんだろうな」
 ならば。
 ルアムの口が意地悪そうに歪む。
「もう一度だけ、抱かせてくれないか? それでもう、契約するだのしないだのは言わない。お前にも近寄らない。元々、お前たちの前から姿を消すつもりで、この部屋の整理をしていたし、もう私はそれでいい」
「本心から言ってるのか?」
 アルトの声に、ルアムはおかしそうに笑った。
「本心かって? 勿論。本心だとも」
 少年の顔は、一瞬歪む。だが、それを受け入れるかのように笑って、全身の力を抜いた。
「なら、いいよ。好きなだけすればいい」
 ルアムは意外そうにアルトを見た。そして、ひどく辛そうな顔をしてから、アルトの首筋に口づけた。
 そして、アルトの耳元で、震える声で懇願する。
「うそだよ……。うそだ……。頼むから、そんなに簡単に、他人に身体を任せないでくれ」
「でもお前、辛そうだった」
 青年は、アルトの身体を抱きしめた。冷たい手が、身体に当たる。
 その手を、そっと温め、アルトが呟く。
「それに……お前なんか勘違いしてるけど」
 アルトがとんでもないことを言ってのける。
「オレ、ルアムのこと、未だに好きだぞ」
 その言葉を聞いて、青年が固まる。
「は?」
 妙に高い、少し間が抜けた声が、ルアムから返ってきた。
 それにアルトが答える。
「本当に契約する気なら、大切にするって誓えるし……」
 ルアムは急いで身体を離して、その場に正座した。
「あの、アルト? それってアルフレッドにすごく失礼なんじゃないのか?」
 その言葉に、身体を起こしながら、あれ?とアルトが訊く。
「……もしかして、エジャールが複婚制だって、しらなかった?」
「複婚制……? えっ? 三人とかで結婚ができるってことか……?」
 絶句するルアムに、アルトが答えた。
「うちの両親珍しかったんだよ、複婚しなかったからさ。周囲には変人カップルとして有名だったみたい」
「……アルフレッドはお前と結婚すると言っていたが?」
「アルのあれは、『オレと結婚する』のは確定で、他に相手がいたらソイツとも結婚する、っていうのをひっくるめて言ってるだけ」
 だから。
 そう言いつつ、アルトは手を差し伸べた。
「そこまで決意が固いんだったら。契約、するならしよう。お前のこと、二度と離したりしない。大切にする。誓うよ」
「なんかプロポーズみたいだ」
「実際、プロポーズだろこれ」
「なんか、さっきまで喚いてた私がすごくカッコ悪いじゃないか」
「ごめん。まさか知らないとは思わなくて。……で、するのか?」
「……する」
 普段は白い頬を紅く染めて、ルアムは、その小さな手を取った。
「契約の術式張るから、このまま手を離さないで」
 そういって術式を展開し始めたアルトに、青年が訊いた。
「契約って、何をするんだ?」
「調べたんだろ? 書いてなかったのか?」
「図書館の禁書だったんだが……」
 ルアムがぽつり、と呟く。
「肝心なところが全部古代アザセール語で書かれてて、私にはさすがに読めなくて……」
 あー……。アルトが苦い顔をする。
「そこ、なんて書いてあったのか想像つくぞ。セックスしろって書いてあるんだ、きっと」
「えっ」
 顔を真っ赤にする青年に、アルトが慌てて否定する。
「体液の交換をすればいいから! キスだけで平気!」
「く、口づけはしろと?!」
「それは仕方ないだろ! 耐えろ!」
 アルトの身体がうっすらと光り始める。
「……あとは、体液の交換だけだ。いつキスしてもいいぞ」
 ルアムの手を離して、アルトはそっと目を閉じた。
 青年は、少年の頬を両手で包む。さっきまでとは違い、手は暖かい。
「……アルト」
「ん?」
「愛している」
「ああ」
 ルアムは、ゆっくりとアルトに口づけた。
 光がだんだんとルアムにも移っていく。
 舌を中に入れ、彼を味わうかのようにたっぷりと口内を侵した後、そっと唇を離す。
 光は二人に吸収されるかのように収まった。
 だが、ルアムはそのあと、すぐにアルトを抱き寄せて、もう一度唇を奪った。
「んっ……」
 アルトがびくっと震える。ルアムはそれをも楽しむように、彼を抱きしめる力を強くした。
 思う存分味わったのか、ようやく彼を解放する気になったルアムが唇を離してアルトを見る。
「……サカりのついたイヌか、お前は」
「サカりがついているのは否定しないが、イヌとはまたひどいな」
 アルトの毒に、少し拗ねながら、ルアムは髪をかき上げた。
 それを見て、アルトはまた毒を吐く。
「その歳でサカりついてるのかお前! 30過ぎてるだろ! すっげー若いな!」
「しょうがないだろうが! 私はいたって正常だ! お前が可愛いのが悪い!」
 しかし、二人で顔を見合わせるとぷっと吹き出して笑い始める。
「私のご先祖さまは多分本当にイヌだぞ! それに向かってイヌって言うか!」
「サカってるって! そこは否定しないのかよ! 否定しようぜ、そこはさ!」
 散々笑った後、二人は立ち上がって服のほこりを払った。
 アルトが食器を片付け始める。
「食器洗ったら、一度帰るよ。アルが心配しているかもしれないし」
「ああ、分かった。いろいろすまなかったな」
「身の回りの準備しといて。お前もビオトープに移住できるように」
「私もお前たちと一緒に暮らしていいのか?」
 その言葉に、アルトが一旦食器を片付ける手を休め、不思議そうに首をかしぐ。
「……もしかして、その禁書……。サーヴァントの役目も書いてなかったのか?」
「書いてあったんだろうが、大半が古代アザセール語でな……解読が出来なくて」
「じゃあ、教えてやる。サーヴァントってのはな、『楔』の魔力供給元だぞ。一緒にいてもらわなきゃ、オレが困る」
 ほう。ルアムが声を漏らす。
「あれか、リノエリアさまみたいに専用の食事でも作ればいいのか?」
 ルアムの問いに、アルトは恥ずかしそうに視線を逸らして、もごもごと何かを呟いた。
「?」
 分からない、よく聞こえなかった、と態度で示す青年に、アルトは顔を真っ赤にして大声で叫ぶ。
「だ・か・ら! お前の『精』を貰わないとダメなんだよ!」
「!」
 言われた途端、顔を真っ赤にするルアムに、アルトはつかつかと歩み寄る。
「まさか、オレのこと抱けないとか、オレじゃ勃たないとか、ないよな?」
「あ、いや、それは、ない。ない、が……」
 しどろもどろになるルアムに、アルトが迫る。
「もし、魔力供給してくれなかったら、オレもお前ごとキオネイナみたいに消えちまうからな? 頼むぞ?」
「……た、頼まれた」
 よろしい。
 少年は笑って、食器をキッチンに持っていき、洗い始めた。
「あの……」
 ルアムはアルトの背中に声をかける。アルトは食器を洗いながら、ん、と短く声を発した。
「私もビオトープについていって構わないか?」
「ん、いいよ」
 食器の水を払い、片付け、アルトが振り向く。
「なら行こうか」

 **********

 玄関のドアを開けると、そこにはなにやらオブジェと格闘しているアルフレッドがいた。
「……なにやってんの、お前」
「ん? ああ、アルト。ルアムも。おかえり」
 その、木材でできたアートを見たルアムは、気難しい顔をする。
「なんだこの前衛的なオブジェは……」
「椅子を作ろうと思ったんだけどねぇ……」
「椅子?」
 アルトの問いに、アルフレッドはオウム返しで答える。
「なんでまた」
「え、だってルアムも一緒に住むでしょ?」
 その言葉を聞いて、アルトとルアムが顔を見合わせた。
 なぜ知っているのだろう。
「なんで、ルアムを眷属にしたって知ってんの?」
「そっか、眷属にまでしたんだ。そうだよね、人間のままだと死んじゃうし、それが一番だよね」
 眉をひそめる二人に、アルフレッドは心外そうに言う。
「僕がアルトのことで知らないことでもあると思ってるの?」
 彼は誇らしそうに腕を組んで胸を張った。
「だって、僕、アルトの弟ですし!」
「恋人でもあるけどな」
 アルトの言葉に、そう!ともっと胸を張って意気込むアルフレッド。
「でも、先回りして準備しようと思ったらこうなっちゃった……。DIYは不得意みたいだ……」
 アルフレッドはそう言いながら、工具を箱にしまい始める。それを見届けてから、ルアムは申し訳なさそうに切り出した。
「お前の了承を得ずに、アルトと契約してしまった。そのことを、謝りたくて」
 その言葉に、アルフレッドはぽかんと口を開ける。青天の霹靂だ、と言わんばかりの顔に、ルアムは小さく、えぇ……と声を上げた。
「……なんとも思ってないのか、お前」
「うん」
 工具箱を棚にしまい、アルフレッドが水で手を洗いながら答える。
「アルトだったらそうするって分かってたし、僕はその意思を尊重するよ。あとね、キミは全然気づいてなかったみたいだけど」
 タオルで手を拭いて、彼は小首をかしいで笑う。
「この三人でそういう関係になるのは、僕もやぶさかではないかな」
「……?」
 同じように首をかしいだ青年に、アルフレッドはあっ、と言って頬を膨らませた。
「鈍いなぁ、キミ。じゃあ、分かるように言ってあげるね。好きだってことさ」
 言われた瞬間、頬を真っ赤にした青年は、少し後ずさりした。刹那、テーブルの脚に躓く。
 ひどい音と同時に尻もちをついたルアムに、アルトが駆け寄った。
「だ、大丈夫か?」
 大丈夫だ、と言い、爆弾発言の主を見上げる青年は少し涙目だった。
 それを見たアルフレッドは楽しそうに笑う。
「好きだとか言われ慣れてないんだね」
「慣れてない」
 それを聞いて、アルフレッドはますます楽しそうに笑う。
「じゃあ、毎日言わなくちゃね」
「でも、私は」
 アルフレッドは、ルアムの言葉を塞ぐように人差し指を立て、口のところに当てる。
「親友として見ていてくれるならそれでいいよ。一対一の婚姻しかしないアゼルの人に、僕たちの習慣を持ってきたところで理解はできないと思う」
 ただ、覚えていてほしいのはね。
「僕はキミを歓迎するし、好いてもいる。そして、キミにだったらアルトを半分預けられると思ってる。それだけ」
 そう言いながら、少年はルアムに手を貸した。その手を借りて立ち上がるルアムは、少し恥ずかしそうにして視線を逸らす。
「……お前たちは本当に、ずるい」
 逸らせた視線は、少しだけ下に行った。
「私の心をそういう風に揺さぶる」
 そうやって少し瞳を彷徨わせ、
「私の半分しか生きていないのに」
 そして、彼は首をもたげて、
「本当に欲しいものをくれるんだ」
 手をぐっと握りしめて、
「だから、二人とも、好きなんだ」
 涙をこぼした。

 **********

「うーん……」
 ルアムが自分の左薬指にはめた指輪をしみじみと見つめた。
「自分の結婚指輪を、自分で作る日が来るとは思わなかった」
 その様子を見て、紅茶と茶菓子を持ってきた双子が彼の指を覗き込んだ。
「似合うねー。肌が白いから金の色が映える!」
「思えば、石の色と瞳の色似てるな! めちゃくちゃいいじゃん!」
 ルアムは双子の惜しみない称賛に頬を染めて、双子から紅茶と茶菓子を受け取った。
 黒鷹のファルに茶菓子を分けながら、アルトが訊く。
「ところで、執筆のほうも順調なのか。デザー・ミルフェ先生」
「ああ、この前編集に送ったばかりだ」
 紅茶のカップにミルクを入れて、アルフレッドが数回頷く。
「恥ずかしながら、読んだことなかったんだよねぇ。今度読んでみようかなぁ」
「オレ、全部持ってるから貸してやるよ」
 その言葉に、ルアムが嬉しそうに言う。
「この子の部屋、本棚がすごいぞ。私の本のコーナーがある」
「一番のお気に入り作家だからな。全部買い集めてる」
「実は一部抜けがあるんだがな」
「えっ、うそっ。どれどれ?」
 アルトが訊くと、ルアムがしまった、という顔をする。
「……読ませたくないから教えない」
「えー!」
「あっ、僕知ってる。確かねー、デザー・ミルフェって別名義で」
「わー! やめろやめろっ」
 いいじゃーん。アルフレッドが続ける。
「えっちな小説何作か出してるよね!」
「えぇ……官能小説……?」
 アルトのがっかりした声に、気まずそうにうむ、と答えるルアム。
「あまりにもあまり過ぎて童貞の妄想って言われたぞ」
「でも、それ書いたとき童貞じゃないよね?」
 ん、まあそうだが。
 ルアムは真っ赤になって咳ばらいをした。
「一部からは、こんなにエロい子がいるわけない、とすら言われた」
「あー……。実体験を元ネタにしちゃったか……」
 憐れむ目で見るアルフレッドを少しだけ睨んで、ルアムは続ける。
「仕方ないだろう。知らないんだ、他には。そんな小説読んだことすらないし」
「え、じゃあなんで書こうと思ったの?」
「書こうと思ったわけじゃなく、お金になるから仕方なく……」
 ふと、アルフレッドがアルトのほうを見ると、彼はファルを肩に載せたまま顔を真っ赤にして固まっていた。ファルが何度も顔をつついているが、それすらも通じていない。
「わー……。了承を得ないまま小説ネタにされた本人が固まってるぞー……」
「す、すまなかったアルト……。反省しているから許してくれ」
 その言葉に、アルトはぎこちなくこくんと頷いた。
「でもすごい量のファンレターが来てな……。シリーズ化にこぎつけたんだが」
「あの話って3作くらいで打ち切りのはずだけど」
 詳しいな……。ルアムが紅茶をすすりながら答える。
「その頃、アルトと再会してな。妄想しなくても本人に会えるからやめた」
「うわぁ……童貞の妄想じゃん……」
「うるさいなそうだぞ悪いか」
 アルトが恐る恐る訊く。
「アル……。詳しいけど……なんで?」
「実はそれ、大好きなシリーズで……」
 アルトが小さく叫ぶ。
「めちゃめちゃ好みなんだよ、キャラ造形が。しかもエロい。アルトがこんなにエロい子だったらいいななんて思ってたら、まさかの本人がモデルでしたっていう……」
「今すぐ燃やせ! 私自らが焚いてやる!」
「やだー! 宝物にするって今決めたー!」
 ぎゃあぎゃあ騒ぐ二人を他所に、アルトが紅茶を飲む。
 そしてふと、カップを持った手の指輪に目をやり、これからずっと続く日々に微笑んだ。


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